第1話後編 銀筆、宵闇を裂いて
最初、何が起きたか俺には分からなかった。
俺の部屋の壁に叩きつけられ崩れ落ち、床に崩れ落ちるティナ。彼女が頭から青い血を流しているのを確認して、そこで初めて誰かがティナを攻撃したことをやっと理解する。
俺が窓の方を見ると、窓の前でフード付きの黄色いロングマントを纏った怪人が宙に浮かんでいた。
「貴様は噂の……何故ここに!?」
俺は奴を知っている。都市伝説の怪人、被害者無き連続殺人の主犯、夜刀浦市に迫る正体不明、仮面ハスターだ。
「簡単だよ。彼女が我々人類の敵だからだ」
驚いたことに噂通りだ。仮面ハスターは確かに人間と会話ができるらしい。
「ほう、つまりお前も人間なのか?」
「そうさ、僕は人間。只の人間だよ」
フードの奥から覗く石仮面。仮面には三つのクエスチョンマークの下の点を重ねたような紋章だけが刻まれている。
「意外だな、只の人間が空を飛び、触手を伸ばすと?」
「その理由については後で説明しよう。
「貴様だけ俺の名前を知っているとは不公平だな? 一体何者だ。神ならまだしも、貴様とて知らない人についていってはならんと学校で習わなかったのか?」
仮面の男はクスリともせずに低い声で呟く。
「やれやれ……まあ、緑郎はそういうこと言う人だよね」
重く、冷たく、鈍い。ゾッとするような声色だった。
出会ったばかりの男に、俺は見透かされている。一体どうやって?
こいつはティナよりなお得体が知れない。
「だったらどうするつもりだ……?」
「実力行使だ」
男は窓からゆったりと部屋に入り、俺に向けてマントの下から淡黄色の触肢を伸ばす。
ティナの襲撃によって慣れていたせいだろうか、俺の感性はこの異常な状況に対して至極真っ当に恐怖を感じ、逃走と抵抗の必要性を脳へと訴えかけていた。
「ま、待て! 待ってくれ! 見逃してくれ!」
「何を必死に懇願するんだ。君は逃げればいいじゃないか。この家に君が守るべきものなんて無いのだから」
「それは……」
男がゆっくりと迫ってくる間に周囲の状況を再確認。
気絶したティナ、頭から血を流している。意識は無い。状況は最悪。
迫ってくる男、人間を名乗っているがどう考えてもそう見えない。しかも連続殺人犯だ。逃げたところで後ろからバッサリいかれるのが関の山だろう。
「俺に、守るべきものなんて……」
考えてみる。確かにこの家にもう家族は居ない。だけど――――。
目の前で倒れている少女を見下ろす。
俺の中で何かのピースがカチリと嵌った。
「――――ああ、今できたよ」
俺は確信を持つ。今の俺にならば
そう、あれだ。作家にあるまじき月並みな言い方をすれば、命の危機に際して眠れる力が覚醒したという奴だ。
「なに?」
「俺は人間嫌いだ! ツマラン人間なんかより俺は読者、そして物語のネタをとる! 俺の今守るべき者は此処に確かに存在する!」
右腕を天に向けて掲げ、高らかに叫ぶ。
「
俺の舌先は本能のままに躍り、俺の知らない言葉を紡ぎ始める。
すると俺の右手に鍵の文様が刻まれた銀色の万年筆が、左手に
「確かにこいつは迷惑千万にして自己中心的な邪神そのものだ! だが其処の人間気取り! 俺は正体の分からない人間を大人しく信用する程
「嘘だろう、移植されたばかりでもう
「男子高校生を舐めるな! 妄想力なら人一倍だ!」
そう、俺の能力はこのペンと白紙の本、そして妄想によって作用する。
妄想し、記述する。この行為に関して、俺が高校に入ってからの三年間は鍛錬を欠かしたことがない。
俺の意思に鋭敏に反応した
【如何なる奇跡によりてか、少女は立ち上がる。彼女の目的はただ一つ、突然の闖入者を打倒し、たまさか交友を結んだ少年を守る為だ!】
記述。それが俺に与えられた
俺は願う展開を記述する。ページに描かれた記述は如何なる因果によってか神の力を引き出し、現実を俺の願うように捻じ曲げる。
万能の力というわけではなさそうだが、今この状況ではこれだけわかっていれば十分だ。
「あ~、いったいなあもう!」
間抜けな声を上げて起き上がるティナ。
俺の願った通りの展開だ。
「やってくれたね緑郎、だが一度起き上がったならばもう一度倒すだけのこと!」
ティナに飛びかかる仮面の男。
だがその展開は予測済みだ。故に俺は先んじて描写をさせていた。この後の展開さえ予想出来ていれば、俺の
【「あのさ、人間。ティナが二度も人間如きから不意打ちを受けると思う?」 そう言ってティナは仮面の男の蹴りを軽々受け止める】
「くそっ! 支援系か!」
本に著された展開通りとなり、攻撃を凌がれる仮面の男。
彼は再び窓から飛び出す。逃げ出すつもりか?
「さんきゅーロクロー! 後で一杯お礼をするよ!」
ティナもそれを追って窓から飛び出そうとするが、俺はそれを止める。
「ちょっと待て、勝ち目は有るのか?」
「ここまで介入しておいて手伝ってくれないの?」
先ほどの「支援系か!」という台詞からして、俺が他者を強化する
ティナと協力すればこの局面も乗りきれるかもしれない。
「俺は人間嫌いの人外贔屓、そして重度の
俺は再び
さあ、この血潮滾らせる愛らしい神々の為に、俺がとびきりの戦う女の子の一張羅を書き上げてやるとしようじゃないか!
「見ていろ神々! 俺の筆が
俺は再び記述を始める。
【ティナの戦意の昂揚と共に蒼白の燐光が彼女の身を包む。水色に変色したドレスからは袖が消え、スカート丈は短くなり、背中には青いリボンのついた動きやすく愛らしいデザインに変わった!】
そうだ、何を隠そう俺は大の魔法少女ファンだ!
ホラーばっかり受けているが本当はああいう夢と希望に満ちた物語を書きたい男だ!
【更に、鈴の鳴るような音色と共に彼女の胸元に赤い光が走る。ティナの闘争心を表すが如きその光は、もう一度鳴った鈴の音色と共にブローチとして実体化を果たす!】
【そして、一見すれば身体を覆う布面積は減ったように見えるが、これは彼女の持つ神々の力をより効率よく収束制御させた結果なのだ! その証に見よ、彼女の白かった髪は今や青く染まり、蒼海の底に坐す神々の加護を高らかに示している!】
以上、俺の考えた完璧な魔法少女だ。どこの魔法少女とは言わんがブルーっぽいデザインを中心にしつつ、原点回帰のピンク&ブラックな差し色やヒロイックなレッドの小物を混ぜたてんこ盛りの意匠にしてくれたわ! ふはははは!
これが俺の妄想した最強の魔法少女コスチュームだ!
「なんだありゃ!?」
仮面の男は一瞬で魔法少女的変身を成し遂げた神の娘に動揺を隠せない。
確かに俺だってびっくりするよ。いきなり魔法少女が飛び出してきたら。でも仮面の変身ヒーローみたいな姿のお前が驚くなよと声を大にして言いたい。言わないけど。
「この服動きやすいなー! 素敵だよロクロー! 君にはお世話になりっぱなしだ!」
「存分に褒めろ! 俺の筆はいずれ神をも超える!」
「後でね!」
ティナは俺の返事を待たずに仮面ハスターへと飛びかかる。
そして彼女と仮面ハスターの間に超高速の攻防が開始される。
大空を自在に舞う仮面の男。
電信柱や電線、果ては空を飛ぶ怪生物を踏み台にしてそれに追いすがるティナ。
男の拳とティナの掌底が、男の蹴りとティナの膝が、空中で幾度もぶつかり合い、空気が破裂する高い音が燃え盛る我が町の空に吸い込まれていく。
「ロクロー! 見とれてないで支援してよ! そろそろ決めないと警察なり自衛隊なり来ちゃうよ?」
「承知した! では君の全力を出してもらうぞ!」
【可憐なる蒼衣に身を包んだティナ。彼女はは己の内に眠る神の力を震わせ、両腕を前に構える。放たれた蒼き光条は夜空を貫く神の息吹、少女は高らかにその閃く光の名を謳う――――】
描写は敢えて区切る。
合法的に女の子にかっこいい必殺技の名前を叫ばせる機会だ。
冷静に、冷静に、冷静に―――――■辰■■■■来■リ
なに?
【――――
急に意識が薄れ、頭の中に正体不明の声が走る。
タコの頭を持った化物の姿が一瞬だけ脳裏に走り、何事もなかったかのように消える。
そして気が付くと、既に
白紙の本の中には俺の知らない文字列が浮かび上がっている。だがもうそれを止める訳にはいかない。
「セイクリッドォオオッ! ソルスティィィイイスッ!」
ティナが雄叫びを上げる。
先ほどまでの呑気そうな話し方からは想像もできない激しさで。
仮面の男は蒼い光の奔流の中へと飲まれ、それが消える時には悪夢の如く綺麗に姿を消していた。
ティナはそれを見届けると再び屋根や電線を飛び回り、俺の部屋の中へと戻ってくる。
彼女は嬉しいのか、ぴょこぴょこ飛び跳ねながら、俺にまくし立てた。俺が思っているより人間的な存在なのかもしれない。
先ほどまでの淡白な態度とは大違いだ。
「やったねロクロー! 今回はティナも助かっちゃった! けど……」
足元がもつれて転びそうになるティナ。
甲高い金属音と共に彼女の衣装が光の粒子になって消える。
俺は慌てて彼女を抱きとめた。白い髪からは、青く涼しげで心地良い香りがした。何故だろう。やはり彼女のことが懐かしい。
「少し……眠くなっちゃった。ごめん」
「恩に着る。そして服を着ろ」
「え? ああ、気にしないでよ」
「こっちが気にするんだよ?」
「ねえ、ロクロー?」
どうやらこの全裸美少女は会話のドッジボールが好みらしい。
俺は自分の質問に答えてもらうことを諦めて彼女の話を聞くことにした。
「なんだ?」
「ロクローは……どんな話書いているの?」
「何のことは無い。何処にでも居るような三文怪奇小説だ。ただ……」
「ただ……?」
「本当は、もっと夢と希望に溢れた物語を書いてみたい。そう思っている。女の子が変身して、人々に夢と希望を与える子供向けの話とかな」
「そっか……じゃあ今度はそれを……読ませ、て」
ティナはそう言って小さく笑い、桃色の瞳を閉じた。
「ふん、何者であっても読者は何時でも歓迎だ。せめて楽しんでもらう為に努力するとしよう」
得体のしれない存在だが、助けてもらった上に読者予備軍ともなれば、作家志望としては無碍に扱うこともできん。
すうすうと子供みたいな寝息を立てる彼女を自分のベッドに運び込み、一先ず今は居ない母親のパジャマを着せて布団をかけた。
俺は友人が来た時の為の予備の布団を床に敷いて、俺も瞳を閉じる。正直なところ、
とりあえず明日まではこの
そう思うと、この異常な世界の真ん中で、色んな心配事や分からないことは沢山有った筈なのに、安心して意識を手放すことができてしまった。
【第一話後編
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