A Big “C”

海野しぃる

第1話前編 真夜中の訪問者

 深夜、午前一時。今日も俺は自宅で友人とのボイスチャットに興じていた。次の作品の為の作戦会議だったのだが、思ったよりも伸びてしまっていたのだ。


「それで緑郎ろくろう。仮面ハスターの調査は進んだかい?」


「残念ながらさっぱりだ」


 仮面ハスター。


 それは一週間前から、俺達の住む夜刀浦市に現れた怪人の名前だ。


 黄色いローブとその隙間から見える蛸のような八本の腕が特徴で、今までに何度か殺人事件を起こしている……とされている。


 殺人事件を起こしたと断言されないのには理由がある。その事件というのが妙なのだ。確かに血痕は残っている。仮面ハスターが超人的な動きとその異形で被害者を縊り殺すのを見た者も居る。


 しかしそれでもその被害者というのが見つからないのだ。目撃者は居る。直接仮面ハスターと話した者さえ居る。だが被害者だけは見つからない。


 遺体も、戸籍も、何もかも。


 被害者なき殺人。世間はそれを単なる与太話と呼んだ。


「ふぁ~あ……せめて実際に目撃できれば分かることも有るかもしれないんだけど」


「それは難しいんじゃないかな。緑郎はこんな深夜までボイスチャットに興じる不健康な男子高校生な訳だし」


「だがむくよ、お前も人の事は言えないぞ」


 確かに随分と遅くまで起きてしまった。それもこれも新しい話の執筆にとりかかる為に、ネットを使って仮面ハスターの噂を追いかけていたせいだ。


「そうかもね」


 チャットの向こうで椋は笑う。


「だから僕はそろそろ寝かせてもらうよ。明日は彼女とデートなんだ」


「ちぃっ、リア充め。精々楽しんでくるが良い!」


「あ、僕に嫉妬してる?」


「別に! 楽しい夢だけ見て生きている人間なのでね俺は!!」


「あはは、魔法少女は現実には居ないもんね」


「違う! 魔法少女のことじゃない! あれはもっと尊くて……俺なんかが触れてはいけない、なんというか救われる存在であって――――」


「それじゃあお休み」


「あっ、おう。また連絡してくれ」


 通話が終了する。


「……さて、取材もそうだが原稿も進めなくてはいかんな」


 自宅に居ながらにして取材をするのは簡単だ。


 なにせSNSを使って仮面ハスターのことについて検索をかけると、怪人の写真や目撃情報などを自慢気に載せている愚にもつかない連中が次々湧いて出るのだ。


 それらの多くはくだらないデマも混じった取るに足りない情報。しかしネット上でホラー作家をやる俺にとってはネタの山である。


 今日も今日とて俺は粛々とネタ帳にアイディアを書き留め、気が向けば原稿を進めたりする。普通は深夜の作業なんて非効率的だが、俺みたいな物書きだとこういう時間の方がむしろ筆が乗ることもある。


「な~に? 面白そうなことをしてるね? 良い年頃の男の子が機械を使って書物かきものを続けるなんて、初めて見る光景だよ~! 人間も随分文化的になったんだねぇ?」


 その声は全く唐突なものであった。


 だがその呑気な口調のせいか、只でさえ眠かった俺は、問いかけに当たり前のようにいらえてしまう。深夜テンションって奴だ。


「面白いに決っているだろうがこの愚か者め! もし面白く無いならば、貴重な睡眠時間削ってまで、誰が小説なんぞ――――誰だ貴様!?」


 結局、俺が“深夜一時”の、“自室”で、“家族でもない少女”に、“声をかけられる”という異常事態に直面していることに気づいたのは殆ど返事を終えてからだった。


「キャハハ! 君面白いねえ!」


 慌てて椅子ごと振り返ると俺の普段眠っているベッドの上で、白いワンピースを着て、同じく白い肌の少女がケタケタと笑っていた。


 少なくとも人間ではない、そう直感するに足る存在だ。


 俺は勿論逃げようとしたが、椅子から飛び上がろうとしても足が動かない。


 足だけじゃない。手も、首も、動かない。喋る以外何もできなくなってしまっている。


「逃げても無駄だよ? 逃がしてあげても良いけど、巻き込みたくないでしょう? 家族とかさ~」


 少女は桃色の瞳を輝かせ、音もなくベッドから飛び降り、一歩ずつ俺の方に近づいてくる。


 一体何が起きているんだ? 俺が何もできない哀れな子羊だということ以外何も分からん!


「…………」


「あ、もしかしてさ。今のティナの話から、大人しく自分がやられれば家族が巻き込まれないって判断した?」


 気づいてくれたか。正直、「家族を巻き込みたくないでしょう?」という台詞からその可能性には思い至った。


 今この家に俺の家族は居ない。だが下手なことを言って心変わりされないように返事はしない。なにせこいつはその気になれば俺の家族の場所も探し当ててろくでもない事件に巻き込んでくれそうだからだ。


 俺がなおも沈黙を続けていると、ティナと名乗った少女は俺の目と鼻の先まで顔を近づけてくる。こんな時なのに、ちょっとドキドキする。悲しきかな、こんな時でも俺は非リア男子高校生って奴だ。


「ティナ、君のお返事を聞かせてほしいなあ。面白いし」


「そうだな、できれば……家族は勘弁してくれ」


「あはっ、つまんない! 月並だねぇ?」


 まあこんなこと言っても多分無視されて一家惨殺か? ああもう、ごめんなさい父さん母さん! 俺は一切悪く無いから気には病まないけど薄情なんて思わないでくれ!


「……ふふっ、訂正。やっぱり面白い」


「なんだ、心が読めるのか……?」


 ティナは当たり前だと言わんばかりに鼻で笑う。


 こんな状況でなければ素直に可愛いと思ってやらんでもないが、生憎とこちらは命の危機まっただ中。残念だが賞賛はしてやれん。


「うん、なんとなくレアな異能グリードを発現させそうだし、とりあえず最初は君に決~めた!」


 おっと、流れが変わったぞ。


「えっ、俺?」


「ティナは親切だから先に教えてあげるけどさ~。口開けておかないと、歯ぁ折れるよ?」


「え?」


 ティナは俺の頭を両腕でガッチリホールドすると、そのまま胸元に抱き寄せる。ドレスのような彼女の服のサラサラとした肌触り、身長の割によく育った胸元、そして極楽で咲く花の蜜が如き軽やかで甘い香りが俺の思考を奪い取る。


 胸元から解放された俺が見たのは、異形の少女の優しい微笑みで、混濁する俺の頭の中でそれは、言葉にしようもなく尊い何かに見えた。


「さ~んきゅっ」


 そうして、混乱して言葉も紡げない俺の口に、ティナは小さくて柔らかい唇を押し付けた。


「―――――!?」


 残念ながら俺の人生で初めての経験は必ずしも素敵なものにはならなかった。


 まず、動けない俺の口の中に、ティナの口の中から太くて粘液質の柔らかい触手らしい何かが押し込まれた。


 呼吸もできない状態で触手は俺の喉の中を通って腹の中へと消えていく。今にも吐き出しそうな異臭と不愉快な触感を堪え、しばらく待っていると少女は俺の口に吸い付くのを止めた。


 ティナが口を離したその刹那、俺の口からはみ出る吸盤のついた黒い何かが、パソコン画面の光を反射してテラテラと輝いて、すぐに俺の口の中まで引っ込んでしまった。


 美少女とのめくるめく経験の幸福感は、たった今目の前で起きた名状しがたき恐怖体験によって塗り替えられる。


「お、俺は……一体何を? 何をされた?」


 ティナは「ごちそうさまでした」と呟くと口の周りをペロリと舐める。


 それからレースを幾重にもつけたお姫様のような服の袖で自らの口を拭った。


「どうせ放っておいても勝手に理解できるようになるよ? 異能グリードだって使えるようになる」


「貴様に聞いた方がよっぽど早かろう? それに……こんな酷い目に遭ったんだ。サービスくらいするのが筋だろう」


「えー、喜んでるでしょ? その為に可愛い女の子の姿で来たのに」


「ああそうだな、大喜びだよ。ただし殺される不安はもう無さそうだって理由だがな!」


「なぁにそれ? 傷つくなあ……でも大人しく協力してくれたし、君の語りは面白い。だから少しだけ親切をしてあげるよ。ティナは良い子だからね~」


 どう見ても怪物だが、思ったよりは人間に近い感性の持ち主らしい。もしかしたら俺もこのまま唇以外何も奪われずに助かるかもしれないな。


「ティナは君に、ティナのパパの力を移植した。これによって君はパパの持つ能力の一部を引き出すことができる。どんな能力を引き出せるかは君次第だけどね」


「パパ?」


「そうさ、ティナのパパ。忌まわしき蒼海の牢に囚われた大神クトゥルーだよ!」


「海の牢獄? クトゥルー? なんだそれは?」


 ティナはこれまた露骨に俺に向けてため息をつく。態度がでかいのはこいつが神の娘だからか?


「これだから無知蒙昧な人間は困るよ。ティナのパパの名前も知らないなんてね」


「今のいままで人の無知蒙昧に付け込んで好き勝手をしておいて、困るとは随分勝手な物言いだな?」


「だってティナも神だし~、それくらいの我儘許しなよ」


 こいつも神? これまた大きく出たものだ。


 ティナとやらが何者かは全く分からんが、愉快な奴じゃないか。


 少なくとも相手してやっている間は殺されずに済みそうだし、少しは話をしてやろう。こいつからは何処と無く懐かしい匂いがするし……次の話のネタになりそうだ。


「……ふっ、ふふ……そうか神か。怪物でなく神というならばそもそも崇め奉り満足していただいた後、穏便にお帰り願うのが道理だったな」


「おっ、わかってるじゃん君。ちゃんと話の分かる人間も居るんだね。名前なんだっけ? 頑張って覚えてあげるよ」


「俺は緑郎ろくろう有葉あるば緑郎ろくろう。文筆を趣味とし、いずれ生業とすることを目指している」


「へえ……そうか。それじゃあロクロー、また会おうね。何時か君のお話も読ませてよ」


「もう帰るのか?」


 意外なことに、話してやるつもりになった途端に帰ることになってしまった。


 こいつは残念だ。


「うん、君が授かった異能グリードは君のもの。ティナにもどうなるか分からない。発現さえすれば君自身がその使い方は勝手に理解するから心配しないでよ」


 ティナは俺の部屋の窓を開けて外の空の様子を眺める。


「ああ、そうそう。ロクロー、窓の鍵をちゃんと閉めて、朝日が登るまでは家の外に出ちゃ駄目だよ? 君の家はきっと大丈夫な筈だからさ」


 遠くの風景が赤く染まっている。もう朝なのか?


 いや、違う。火事だ。


 よく見ると火事だけではない。


 見たこともない巨鳥、二足歩行で街を闊歩する蛙、俺の知る街の様子ではなくなっている。


「お、おいなんだあれは!」


「ティナみたいな神の眷属だよ。封印が解かれちゃったからね~!」


「待て! 封印って――――」


 ティナは自らの唇の前に人差し指を当てる。


「これ以上はまだ言えない。でも君はティナが地上に出て初めて会話した人間なんだ。だから、また会いに来るよ」


 俺は何時の間にか彼女と別れるのが惜しくなっていた。


 あんな酷い目に遭わされたにも関わらず、非日常を描く人間としてティナに興味が出てきたのだ。


 今目の前に現出している非日常に、俺が夢見ることしか出来なかった想像の向こう側に、と。


 まあ勿論突如家の中に侵入してきた人外の美少女とか、男子高校生なら興味持たない訳も無し……ともいうのだが。


「待ってくれ、ティナ。俺を一人に――――」


 俺の呼びかけが宙に消え、ティナが窓から飛び立ったその時だった。


「――――きゃんっ!?」


 ゴッと鈍い音、そしてティナの悲鳴。


 気づくと俺の目の前にはティナが転がっていて、彼女は気を失っていた。

 

【第一話前編 真夜中の訪問者】

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