第3話 真昼の決斗
結局、ご近所の皆様が異常に気づく前に、俺は椋とティナを家に引きずり込んで交渉のテーブルに着かせた。
不機嫌そうなティナにはハーゲンビッツ(ココナッツミルク味)を、何やら興奮して喚いている椋には泣き落としを、それぞれに対応した手段で立派に彼らを丸め込んだ訳だ。
「さて最初に確認しておこう。
「そうさ。僕がここの所噂になっていた都市伝説“仮面ハスター”の正体。それは間違いない」
「続いて確認だ。
「そんなの決まっているじゃないか! 君を! 守る為だ!」
こちらは事情を分かってないのに急に興奮されても困る。
「俺を……?」
詳しく聞く前にティナが会話に割り込んでくる。
「へ~、ブラザーフッドの手先の癖に大それたこと言うんだね。どうせ上司の命令が有れば簡単にロクローを切り捨てる癖にさ」
まずい、これはこいつらが俺を置いてヒートアップする展開だ。
「ふざけるな! 君こそ緑郎を惑わして手先にしようとする侵略者だろうが! 人類の自由と平和の為にも君みたいな人外だけは許さん!」
「あー、やっぱりブラザーフッドの手先なんだー?」
「誘導尋問かっ!? やはり卑劣な女、緑郎の傍に置いておくには君は穢れすぎている!」
「ロクロー! やっぱりこいつ私達の敵だよ! しかもとびきりのお馬鹿だっ!」
ティナは小さなプラスチックスプーンを椋に突きつけて、勝ち誇ったように叫ぶ。
もうちょっと静かにしてくれないかな本当に……。
「ティナは義理堅い奴だし、椋はそこまで馬鹿じゃない。お前らちょっと人が考えている間くらいは黙っていろ」
「これが黙っていられる訳無いでしょ! 私がこいつらに捕まったら問答無用で殺されちゃうよ? やだやだ! 折角住処も手に入ったばかりなのに!」
基本的にぽややんとした性格のティナにしては真剣に嫌がっている。
捕まったら殺されるというのはあながち嘘でもないのだろう。
「ティナ、確かにブラザーフッドはお前達の敵かもしれない。だが俺達の敵かどうかは分からないぞ? なあ椋、お前達ブラザーフッドは新しく覚醒した
「緑郎! もしかして君は僕達の仲間になってくれるのかい!」
「そこ迄言った訳じゃないんだけどな……でも一応その口調だと人員不足に悩んでいるみたいだな」
「勿論さ! 僕の任務にはスカウトも有るからね! できれば仲間になって欲しいんだけど、
まあ
「その物言いからして、ここ一連の死体なき殺人事件ってのは、本当にお前が……いいや仮面ハスターが犯人だと考えて良いのか?」
「そうさ。あの手の連中は早々に始末するに限る。何せ人間を超える力と、人間を超えるエゴ、しかも見かけばかりは人間そっくりと来た。
成る程。
相手は国が背後についている巨大組織だ。しかも汚い手を使うことも躊躇しない。だから俺一人が抗ったところでティナを守ってやる事はできないだろう。
ここは上手いこと交渉して相手から譲歩を引き出すのが得策か。
「分かったよ。俺は泣く子とお上にゃ逆らえない小市民だ。その話、乗っても良い」
「ちょっとロクロー?」
「ティナ、少し話を聞いていろ」
ティナは俺を信じてくれたのか両手を膝の上に乗せ、口を閉じたまま椅子の上で大人しくし始めた。
「やけに物分りが良いじゃないか。何か条件でも出すつもりかい?」
「やけに話が早いじゃないか。お前の言うとおりだよ」
「慣れているからね……裏切りも含めて」
「そうか、だが交渉の準備が有るならありがたい。お前達への協力と引き換えに、俺にティナの監視をさせてくれないか? 元より、俺はこいつに生活を保証する代わりに大人しくしてもらうという契約を結んだばかりなんだ」
「成る程……なあ緑郎。何時か君の作品の主人公が言っていたね。こんな時代だからこそ女一人の為に命をかける奴が居ても良い、と。あの幕末舞台の歴史物だよ」
「……ふん、そういえばお前はアレをやけに気に入っていたな。作風が地味すぎてお蔵入りにしていたが、そんなに良かったか?」
思わず笑みが溢れる。
俺も実はあの話は好きだ。見返せば顔から火が出る程拙い文だが、そもそも俺がやりたい勇気と希望と愛の物語というテーマが描けている――――ような気がする。
「大好きだ。だって僕も男の子だからね。だから君が
椋はティナの方をチラリと見て首を左右に振る。
「だけどダメだ。そいつは人間じゃない」
「俺のこの言葉が通ずる限り、それは俺にとって人間だ。俺には、俺の言葉が通じない愚かな
「それは……僕達が話を聞かないなら敵対も辞さないという意味かい?」
「さてどうだか。作家の神林さんも言っているが、言葉は口から出るとすぐに一人歩きする。椋にはそういう意味に聞こえたのか? 俺はそうなりたくないと思うけど」
「君とその女の間にどんな物語が有ったのか僕はよく知らない。だから友人としてあまり勝手なことは言えない。それは分かっている。だけど君がその女に洗脳されていないという保証は無い」
ティナの我慢の限界が来たようだ。
元々お喋りなタチなのだろう。彼女はまたも会話に割って入ってくる。
「一応言っておくけど今の私はか弱い女の子だから其処まで心配しなくていいよ」
「水入らずで話させたまえ!」
「人間風情があまり調子に乗ると、今此処で私はか弱い女の子をやめちゃうぞ? ロクローは私の見込んだ
「君達旧支配者の筋書き通りになっては困るんだよ!」
まあ素人の脚本程見苦しいものは無いが……それはそれとしてだ。
「待てお前ら。俺を置いて勝手に熱くなるな」
俺がティナによって操られているかもしれないと警戒してもおかしくはない。椋の発言は正しい。ならばどうやったら説得できる?
俺としては友人も美少女も大切にしたい。高校生男子特有のアンビバレンツって奴だな。
どちらを蔑ろにしても、社会的にでなくて物理的に殺されそうなのがスリリングだが、誠心誠意努力することにしよう。
「俺の話を聞け。まずは椋」
まずは椋の言いくるめからだ。
「俺は自らの
「ロクロー、もうそんなに覚醒が進んでるの? 人間なのに随分馴染んでいるんだね。流石私が見込んだ
「君は黙っていろ! 緑郎に話させたまえ!」
二人の睨み合いを見てみぬ振りしつつ、俺は話を続ける。
「例えばこの能力、俺自身には打てないし、只の人間にも打てない。俺以外の、俺が好ましいと、物語の主役にしたいと思うような人間にしか、俺は理想の物語を与えることはできん。要するに、今の俺はティナが居なければ書けん」
「待てよ緑郎! それは僕じゃダメなのか!?」
確かに、俺の中の
少し迷ったが、椋を相手に嘘はつけない。
「ダメじゃない。だが俺の
正直に言えば、
「それ……本当かい? あの女を守る為のフカシじゃないと胸を張って僕に言えるかい?」
椋は俺の言葉に不審感を感じているようだ。普段から俺と付き合っているだけは有る。胸は痛むが言い訳は考えてある。
「それなんだが……襲われた時に覚醒したから、こんなに使いづらいその場しのぎ的な能力になったんじゃないか?」
「ああ……そうか。そうだね、ロクローの言うとおり。
仮面ハスターの正体が椋だというならば、これは痛い所だろう。
自分自身が俺の覚醒の切っ掛けになった負い目を感じない訳がない。
「そうか、その女無しで戦えなくなったのは僕のせいか。だとすればっ! とんだ道化じゃないか! 僕は! ああ僕は!」
椋は大げさな身振りで落ち込む。心が痛むが畳み掛けるなら今しかない。
「今回は譲歩してくれないか? 今、この世界は滅茶苦茶になってしまった。こんな能力に目覚めて知らない振りなんてできない。どうせ自分にできることをするならば、俺はお前と一緒に何かをしたいって思うんだ」
「……ふっ。ふふ、ふふふ……そうか。そう言ってくれるのか。それは嬉しい。嬉しいな……」
椋は静かに笑い始める。
どうやら分かってくれたみたいだ。これで一先ず二人が傷つくことは避けられる。良かった。俺の思う通りになった。
「取引に乗れば、君は僕達に味方してくれるのか?」
「ああ、勿論だ。約束するよ。俺は読者の予想は裏切るが、期待は裏切らない」
「本当に?」
「ああ、本当だよ。俺は――――」
「――――だがお断りだ。今の君は美しくない」
「なん、だと!?」
「今の君は小狡い。もっと
「何を言っているんだ!? 椋、お前は俺を裏切るのか?」
「ロクロー、落ち着いて。元から殴り合いの予定だったんだ。何も恐れることなんて無いよ。貴方には
「やっぱりそうだ。緑郎、君はそんな女と居たら駄目になる! 君の良さってのはもっとこう正面からぶつかってくる感じの! そういう心に響く言葉が! ああ、とにかく! 違う! 違うんだよぉおおお!」
再び作務衣の袖から純白の石仮面を取り出す椋。
「そういうふわっとした勝手な批判するなよな!? そういうの一番迷惑なんだぞ!」
「黙れ! 君の良さは僕だけわかっていれば良い!」
こいつ何を言っているんだ!?
「来るよロクロー!」
「
椋は自らの顔に仮面を押し付ける。
仮面の目元から血涙のような液体が流れ、仮面に文様を刻みこむ。
続いて光の粒子が椋の身体を包み、黄色のフード付きマントへと変わる。
だが俺もただそれを見守っていた訳ではない。
「
ティナの盾になるようにテーブルをひっくり返しつつ呪文を詠唱。
ティナはテーブルの裏に隠れながら椋の、いいや、仮面ハスターがマントの下から出す八本の触手を凌ぐ。
俺の右手には銀色の万年筆、左手には朱金色の本。
「我が銀筆よ————始源を著せ。
吠え立てよ我が絶筆、今こそ我が物語は神速を超える。
我が意志に鋭敏に反応する銀の筆は、朱金色の本に人間の認識を超える
【有葉緑郎の唱える
【更に、鈴の鳴るような音色と共に彼女の胸元に赤い光が走る。ティナの闘争心を表すが如きその光は、もう一度鳴った鈴の音色と共にブローチとして実体化を果たす!】
【そして、一見すれば身体を覆う布面積は減ったように見えるが、これは彼女の持つ神々の力をより効率よく収束制御させた結果なのだ! その証に見よ、彼女の白かった髪は今や青く染まり、蒼海の底に坐す神々の加護を高らかに示している!】
【驚く無かれ、この間僅かコンマ一秒! 人間の意識を超える言語の使用により、人間の知覚できる時間を超えてこの物語は、有葉緑郎の願いは、深淵へと届けられているのだ!】
「行け!
俺の叫び声に合わせてティナが机の影から飛び上がり、右腕を天に、左腕を地に向けて、決めポーズをとる。
波をイメージして僅かに手を揺らすのが特に可愛い!
「邪神の娘、お前さえ居なければッ!」
机を飛び越え、天井を踏みつけ、まるで蜘蛛のように、ティナの頭上をとる椋。
彼は落下の勢いを載せた踵落としをティナに放つ。
だがティナは両腕を交差し、椋の踵落としを正面から受け止める。
魔力が蹴りの衝撃を地面へと逸し、ティナの足元の床が砕け散る。
反撃を警戒して咄嗟に飛び退き、壁に張り付く椋。
「ちぃっ! 反応速度が良すぎる! クトゥルーの眷属ごときがここまでやるなんて……やはり厄介だね!」
「いやあ思ったより遅いんだね、風の神でも締切直前の作家様の執筆速度には敵わないのかな? かな?」
ティナは何時もと変わらぬ調子で椋に挑発を仕掛ける。
「戯言を! 貴様に緑郎の何がわかる! 胸を張って言えることがあるのか!」
「胸の小さい女の子のお願いに弱いってことかな!」
「黙れええええええええええええええええええ!!!!」
正直俺も今ティナに黙って欲しかったけど、言わないでおこう。
俺のことを半ば無視して高速で殴り合いを始める二人。
ぶつかる膝、ぶつかる拳、お互い一歩も引かずに我が家のリビングを荒らして回る。
俺は二人の戦いに巻き込まれない距離まで下がってから次の執筆を開始していた。
【八本の触手による連続攻撃の隙間を縫って、プリティー☆トゥルーはハスター仮面へと迫る】
【その動きを例えるならば、堤防の隙間に染みこむ水のよう】
【ギリギリまで接近したプリティー☆トゥルーは全身で回転し、魔力を束帯させた指先で触手を根本から切り裂いた】
椋がマントの下から八本の触手を出してティナに叩きつけようとしたその時、俺は既に書いていた文章をティナに送り込む。
ティナは攻撃の軌道に合わせて真横から力を加えることで触手の軌道を逸し、触手同士がぶつかるように仕向け、そこで生まれた隙にするりと間合いを詰めていった。
そして、ティナの両手が蒼く輝く。
「スプラッシュストラッシュ!」
叫びと共に青い燐光を纏った手刀が二回閃き、ハスター仮面の触手の数は二本減った。
「だが……まだまだぁっ!」
台詞と裏腹に仮面の下からでも椋が焦っていると分かる。
「椋、暴力は虚しいだけだ。そろそろ負けを認めてくれないか?」
「その
「そんな意地なんて必要ない! 捨てろよ! 俺はこんなことしたくない!」
明らかにこちらが優勢、そう確信した瞬間だった。
「――――やっと、
椋の姿が一瞬にして消える。
俺の背後から突如として触手が伸び、俺の身体を四方から絡めとり、俺は身動きが取れなくなってしまった。
「ぐっ!? 馬鹿な!」
椋が、何時の間にか俺の後ろに立っていた。
「どうだい? 僕の全速力、君の執筆速度には叶わないが、君達の反応速度よりは遥かに疾いだろう? まあ自分でも制御しきれないからめったに使わないけどね」
更に俺の直ぐ側で浮いていた朱金色の本と銀色の万年筆も、仮面ハスターの残された触手で奪い取られてしまう。
「なあ椋、もうやめておけ。これ以上俺達が戦う意味は無い。俺はお前達と仲良くやっていきたいとすら思っているんだぞ?」
締め付けによって息も絶え絶えになりながら俺は説得を続ける。
「確かにその言葉に偽りは無い……だけど酷いじゃないか。もっと僕を信用してくれたって良いじゃないか。この女じゃなくて! 僕は悲しかったぞ!」
椋は仮面の下で泣いている。
酷く身勝手で、我儘な理由だが、きっと泣いている。
長い付き合いだからだろうか、なんとなくそれが俺にも分かった。
見た目程器用じゃない男で、自分の感情にも折り合いをつけられない。
俺はそういう椋の姿を知っているからこそ、言葉に詰まる。
「椋、お前……」
何を言えばわからないけど、それでも俺はあいつを宥めようとした。
だがティナは俺の言葉を遮り、椋に向けて吼える。
「人間のくせに悪どい真似を! ロクローを離しなさい!」
その姿はまるで正義の味方みたいだった。
そんな風に問いつめられたら、椋は自分を悪党扱いしてしまう。
そんなの駄目だ。そんなんじゃ誰も幸せにならない。
俺が、俺がなんとかしないといけないのに……。
「クトゥルーの娘、悪いが緑郎だけは返してもらう。君から離れれば緑郎もきっと正気に戻る筈だからね。決着はその後に改めて着けさせてもらうよ」
口の中がカラカラだった。
こんな時に何を言えば良いのか分からない。
「ロクロー!」
俺が何もできないでいる間に、椋は俺を連れて窓から飛び出してしまった。
あまりの加速で意識が飛ぶ直前、俺が見ていたのは迷子の子供みたいに怯える一人の小さな小さな女の子の泣き顔だった。
【第三話 真昼の決斗 完】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます