第3話

「雛森、久しぶり」


 場所は私立鳳仙高校、正門をぬけて駐輪所と駐車場に向かう道。


 バイクを――校内でのバイクの乗車は硬く禁じられているため――押している俺に向かって、からかいと親しみを込めた声が掛かかり背中に張り手を食らわせてきた。


 振り返るとその、旧来の悪友である姫町ひめまち馨かおりが自転車を押しながら近寄ってきた。


「その筆名なまえで呼ぶなっていつも言ってるだろ」


 雛森とは俺のペンネーム。正確には雛森ひなもり恵めぐみ。ちなみに姓は母親の旧姓を使わせてもらって、下の名前は父親の名前を使わせてもらっている。


 こいつはいつもからかい半分で俺のことを雛森と呼んだり恵と呼んだりする。


 まあ、だいたいが俺たち二人のときだったりするので実害はないのだが。


 俺が作家だというのはこの学校内では隣を歩く馨だけ。


 こいつとは中学一年の時に同じクラスになり、ひょんなことで――名前がお互い女の子っぽいという理由で――意気投合し、それからは中学二年、三年、高校一年、二年と同じクラスで半ば腐れ縁と化してきている。


 実を言うと、小説を投稿したのは馨の勧めがあったためだ。


 馨はサッカー部に所属しており。クラブのキャプテンであり、部活内では後輩達の信頼厚き先輩でもある。そして羨ましいことに付き合い始めて四年になる彼女がいるというのに、衰えることのない女性との人気を集めている。


「ハァァァ〜」


 羨ましさで溜息が漏れた俺に、


「なに溜め息なんか吐いてんだ?」


 自転車のスタンドを降ろしながら訊いてくるが、俺は聞こえてない振りをする。


 それから俺たちは昇降口まで夏休みにあったたわいもない話をして向かった。


 昇降口につき俺と馨が靴箱に靴を突っ込み。上履きに履き替えていると何処からともなく軽快なステップ音が聞こえ、そして――、


「うげっ!」


 強烈な衝撃が俺を襲った。


 痛い、かなり痛かった。


「ゆっきー、ひっさしっぶりー」


 元気の良い。良すぎ声が俺の背後。それも密着状態の零ぜろ距離からかけられた。


 振り向かずとも声の主が誰かは一発で判った。


「久しぶり茉莉まつり。でもお前の熱い包容に耐えられるのは馨だけだ。できれば次からは俺じゃなく馨にしてくれ」


 俺の目の前には猫のような少女が笑いながら立っている。


 少女の顔立ちはなんというか、猫を思わせる。


 目がやや釣り目がちなところや、悪戯が好きそうな表情。それでいて甘え上手なところが猫を、それも飼い猫でなく野良猫を連想させる。


 突如現れ俺に抱きつくという甘い言葉でオブラートした強烈なタックルをかました少女の名前は狩野かのう茉莉、俺の悪友の四年来の恋人パートナーだ。


「え〜、だって、馨とは夏休みの間嫌ってほど会ってたから飽きちゃった」


 うわ〜、この言葉はかなりショックだろうなー。


 後ろを振り返ってみると、案の定馨は打ちひしがれている。見ていて同情を禁じえないな。


 自分の彼女にここまで言わせるほど毎日のように会ってたのか? 


「冗談だよ。じょ・う・だ・ん。アタシはまだ馨のことは好きだよ」


 臆面もなく、こんな公衆の場でこんなことを言えるのは茉莉ぐらいではないのだろうか?


 その言葉で馨も復活し。よかったよかったと俺が思ったのも束の間。


「でも〜、ゆっきーのことも馨と同じぐらい好きだよ。だから、夏休みの間会えなくて寂しかった」


 女の子に、それも美人の部類に入る女の子にこんなことを言われたら悪い気はしない、しかしそろそろ止めないと馨が暴走しそうで怖い。


 身体に引っ付いてる茉莉を引っぺがして馨に押し付ける。


 茉莉を抱きしめる馨、そして俺にけりを食らわせ一目散に駆け出した。


「キャハハハハハ。ゆっきーまた後でねー」


 茉莉のその言葉を残して二人の姿が俺の視界から消え失せた。


 半ば八当たりで蹴りを入れられた俺は、本日何度目かの溜息を吐いた。


 教室に行くと必然的にまたあの二人に会う。そしてまた茉莉に絡まれ、馨に八当たりされる。


 誰か、誰か俺の苦労を肩代わりしてくれる者はいないだろうか。


 自宅では半居候の洋子さんにこき使われ、学校ではあの二人に何かと絡まれる。


 気苦労が絶えないとはこのことだ。


 何処に? 何処に俺の安息の地があるのだろうか・・・・・・。


「・・・・・・君? 久遠君?」


 鈴を転がしたような涼やかな声が背後からかかる。


 今日はよく背中から声をかけられる日だな。張り手にタックル、次ぎは飛び蹴りか?


 怖々と振り返るとキョトンとした表情で俺のことを見ている少女が一人。


 張り手やタックルましてや飛び蹴りなどしそうもない少女。しかし、張り手やタックルされるよりも俺は驚いた。


 後ろに立っていたのは同じクラスの、そして同じクラブに所属する女子生徒、天宮華南かなんだった。


 艶のある髪を背中の半ばまで伸ばし、白く細いうなじが目に眩しい。


 何より彼女の美貌は名高い名工の腕をもってしても彫り起こすことのできない美しさ・・・ってこれは言いすぎかも知れないが、まあそれぐらい綺麗と言いたいわけで。それに加えて性格も明るく、成績、運動神経共に平均よりは抜きん出ている。



 ぶっちゃけ彼女は俺の片思い――というよりは憧れであろうか――の相手である。


 といっても彼女に想いを寄せるのはなにも俺だけではなく、三年の上級生、二年の同級生、一年の下級生、果ては他校の者まで彼女に目を付けているとかいないとか。これはもう人というよりは甘いケーキに群がる蟻ありといっても差し支えないだろう。かく言う俺もそのなかの一匹に過ぎない。


 蟻の中にも美醜、優劣、太痩、大小の様々な蟻が居り、中には決死の覚悟でケーキに飛びつこうとするのだが、皆全てあえなく失敗に終わる。



 なんだか自分で言ってて悲しくなってきた。


 そんな微妙に落ち込み気味な俺に声が掛かる。


「大丈夫、久遠君?」


「え? あ、ごめん、何?」


 俺としたことが天宮さんいたことを失念していた。


「ううん、なんかボーっとしてたから大丈夫かなって思って」


「大丈夫、大丈夫。ちょっと考え事してただけだから」


「そう? それなら良かった」


 良かった? それはどういう意味で何が良かったんだ? 俺が考え事をしていることが? いやそれはないだろう。じゃー俺の身体を心配してくれたのか? それなら喜ばしいことこの上ないな。


 と、勝手な理想、いや夢想か? まあどっちでもさして変わらないな。


 っていうか、俺はいつまでここに立ち尽くしてるつもりだ? できればこのまま天宮さんと教室まで一緒に行きたいのだが、俺にはそんな勇気も度胸もない、だってさっきから何人もの男子生徒の視線がいくつもこちらに向けられている。


 視線の大半は俺の横にいる天宮さんにそして、他は俺に。


 天宮さんを見る目は熱烈な恋する瞳――ちょっと自分で表現してて腕に鳥肌が立ってきた――に対して俺に向けられるのは嫉妬と憎悪の熱烈な視線。これは恐らく同属嫌悪からくるものだろう。


 この視線の集中砲火を浴びて気軽に彼女と話せる男やつは馬鹿か大物のどちらかだ。


 俺はそそくさとその場を後にした。


 二年の教室は三階にある。上るのにはかなり気が滅入る回数だ、しかもそれが夏ならなおさらだ。


 足取り重く階段を上る。まさに気持ちは絞首刑に臨む犯罪者の気分。


 そんな鬱気分の俺に階下から涼やかな声が、


「久遠君」


 ちょうど俺が一階と二階の折り返し地点にある踊り場に差し掛かったところだ。ほとんど反射的に振り返り、声の主が自分の想像したとおりの相手だったことに俺は嬉しくも思い、少しの驚きも感じた。


「何? 天宮さん」


 俺と彼女はそれほど親しいというわけではない、ただクラスが同じで部活が同じというだけで、それほど会話らしい会話をしたことがなかったけらだ。


「後ろにいると思ったら先に行っちゃてるんだもん、待っててくれてもいいじゃない」


 そう言って階段を一段ずつ上ってくる。


 彼女が俺との距離を縮めるにつれて、男子生徒の視線が増え、負の感情が入り混じりだした。


 はっきり言ってかなり怖い。


 なのに、この視線の根源でもある天宮さんはまったく気付いていないのだか羨ましいことこの上ない。


 しかし、この鈍感さも俺は結構――


「きゃっ!」 


 と、そんな思考を断ち切るような、短くか細い悲鳴が俺の聴覚を刺激する。


 天宮さんが最後の一段で躓き、前のめりに倒れこんできた。


「うわっ、と!!」


 俺はとっさに天宮さんを抱きとめる。


 ナイスキャッチ。見事天宮さんを受け止めることに成功。周囲からは天宮さんを助けた俺に向かって、賞賛するかのように熱い視線が・・・・・・ん? 熱いというよりも灼熱といっても差し支えない気が――


 辺りを確認。


 周囲には睨むような――ここでおれが『ような』と使ったのは、睨んでいるわけではないという理由からではなく、睨み殺さんばかりの視線だったからだ――視線で俺を見ていた。


 何故だ?


 とりあえず状況確認だ。


 まず、俺の腕の中には少女が一人・・・・・・ってそれだけ確認できれば十分だ。傍から見れば俺が抱きしめてるみたいじゃないか。いや間違いではないのだが見え方というものがあるだろう。


 そんでもって、自覚したがために心臓が早鐘のように鳴り出す。


 あ、なんかいい匂いがする・・・・・・ってやばい。


「大丈夫か?」


 自制心を総動員し、可能な限り平静を装い、ゆっくりと密着した身体を離す。


「あ、ありがとう」


 俯き気味に消え入りそうな声での返事。聞き逃してしまいそうだったけどしっかりと俺には聞こえた。


「どういたしまして」


 受け止める際に肩からずり落ちた鞄を掛け直す。


「それで俺に何か用」


 わざわざ追ってきて呼び止めたのなら、なにか理由があるのかな?


「えっ、あ、そうなのさっき速水部長に会ったの」


 げっ、速水部長! 新学期早々嫌な名前を聞いてしまった。


「どうしたの?」


「いや、なんでもない。それで」


「うん、それでね。今日は文化祭の為の大事なミーティングをするから、絶対に休まないように、って」


 それはきっと君を呼ぶための口実だと思うよ。口には出さず言ってみる。


「それとね、新竹先生が学校辞めちゃったでしょ」


 何故にここで古文教師の名前が出るんだ?


「それでね。今日から新しい顧問の先生が来るんだって」


「どうして新竹が辞めたら、新しい顧問になるんだ?」


「え?」


 まずいこといったか俺。


「久遠くん、新竹先生がうちの部の顧問だったのもしかして知らなかった?」


 マジで! っていうかうちの部に顧問なんかいたのかよ。ってそりゃーいるだろうけど。あのじーさんが顧問かよ。


 一年近く休まず部活には出てたけど一度もアイツ顔出したことなんてなかったぞ。


「あ、新しい顧問ってどんな人かなー」


 強引にでも話を逸らしたい。ちょっと強引する気もするがこの際目をつぶって。


「女の人らしいって。あと他にもOGの人が一人来るみたいなの」


 心なしか天宮さんの声が弾ん出るような気がするのは気のせいか?


「なんか嬉しそうだな」


「えっ!」


 思ったことを言ってみただけだが何故そんなに驚いた表情をするんだ?


「違った?」


「ううん、嬉しいよ。だって今度の先生はちゃんと指導してくれそうだし」


 そう言われればそうだな、今までの顧問はOGを呼ぶどころかろくに顔さえ出さなかったのだから、それを思えば確かにいろいろと期待できるかもしれない。 


 でも、厳しすぎるのはちょっと遠慮願いたい。


 そんなこんなで数分後俺と天宮さんは三階の二年F組と書いたプレートを掲げる教室の前に到着した。


 たわいもない話――全てが部活のこと――をしながら教室まで行くという小さな、ちょっと小さすぎる願いがかなったことに感動しつつ、俺は教室のドアを開け――


 スパァアアン!


 開いたドアを力の限り閉めた。


「ごめん、天宮さん、ちょっと気分が悪くなった。保健室行ってくる」


 驚いた表情の天宮さん。彼女をここに残していくのは非常に心苦しい、けど行かねば、


「裏切り者には死をー!」


 殺やられる。


 教室から流出する男共(彼女なし)が殺気を迸らせて追ってきやがる。


 当然俺は脱兎のごとく逃げ出した。

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