第2話

「先生、早く起きてください、学校に行く時間ですよ。早く起きてくださ〜い」


 とあるマンションの一室でなんとも幼い声が声を大にして叫んでいる。


 見た目中学生ほどの少女が椅子に腰掛けデスクトップパソコンのキーボードの上に突っ伏している少年の身体を揺すって声を張り上げている。


 突っ伏している少年とはもちろん俺、現在塚ノ森高校在席の二年生の久遠くおん雪ゆきのことだ。


 なんとも寒々しい響き、その上女の子のような名前。自分自身かなり気にはしているのだが、別に嫌いではない。なんてったて親が付けてくれた名前なのだから。


「先生起きてくださ〜い」


 なんとも情けない声で俺のことを呼ぶのは浅間洋子、今年で二十五歳になるバリバリの社会人――の筈なのだが、前述したとおり、見た目は中学生とはまるで変わらない。


 見た目だけでなく中身も同じように幼い・・・・・・というよりは天然の気がある。


「先生、実はもう起きてますね」


 しかし、彼女は意外に勘がよく、彼女の前で嘘をつくと八割の確立で見破るからたち性質が悪い。


「おはよう、洋子さん。今日もいい朝だねー」


 とりあえず俺は狸寝入りが見破られぬように、なんもわざとらしい挨拶をするのだが。やはりというか当然というか洋子さんは俺のことを睨みつけるだが、見た目が見た目のために迫力に掛ける。


「いつまで寝ているんですか先生」


 先程から彼女が俺に対しての呼びかけが『先生』なのかそれは俺が小説家であり、洋子さんは俺の担当編集者だからだ。詳しいことはまた後ほど明らかになるだろう。


 とりあえず俺は椅子から立ち上がろうとした――のだが、腰の辺りで激痛が、


「痛いてっ!」


「きゃーっ!先生どうしたんですか」


 ただ単に椅子の上で寝ていたがために体が硬直してしまっていたのだが、洋子さんは大袈裟に叫ぶ。


 俺はとりあえずそれを無視して、ゆっくりと身体をほぐしてみた。


 ところどころまだ違和感が残っているが、ひとまず椅子から立ち上がり背後に掛かっている時計を確認してみたのだが、長針は六を指し、短針は六と七の間を指していた。


「洋子さん、俺の目がおかしくなければ、時間は今六時半に見えるんですが」


 怒りに声を押し殺して、それでも目上の人に対するということでなんとか敬語で目の前にいる見た目十四、五歳の女性に訊ねる。


 家から学校までは徒歩で行くなら約四五分近くかかるのだが、俺は登校するのにバイクに乗って行くため通学時間に十五分ほどで到着できるため、常に八時に家を出るように心がけている。ついでにいうなら、俺は身支度や朝食より睡眠時間を優先しているために朝起きるのは七時半に目覚ましをセットしている。


 なのに、今の時間はいつもよりも一時間も早い。


 どういうことなのかと、洋子さんに詰め寄ったところ。


「何言ってるんですか先生、私の朝ごはんを作っていたら完全に遅刻しちゃいますよ」


 あまりにも自分勝手な言い方に俺は閉口したのだが。これを言われるのは初めてのことではない。


 これまでにも何度かこの家に泊まっていった次の日には決まってこんなことを言ってくるのだ。


 なんとか、彼女を無視して二度寝に挑戦してみようとも思ったのだが、洋子さんが許してはくれなかった。


「洋子さんもいい歳なんだから自分の食事は自分でできるようになって下さい」


 せめて、文句だけは言っとかないとやってられない。


 しかしこれも毎度のことながら、


「ひどいですー、私が料理苦手なのを知ってるくせに」


 彼女の言葉には語弊がある。彼女は料理が苦手なのではなく、まったくできない、それはもう破滅的なまでの料理音痴なのだ。


 火を使えば全ての食材を炭化させ、調味料を使うと分量を考えずに気分の赴くままに振り掛ける――俺が知る限りでは胡椒のビンを半分まで空にした――し、包丁を握らせると必ずと言っていいほど自分の指を傷つける。


 これはもう才能と言っても差し支えないどろう。


 俺はとりあえずバスルームで顔を洗い、まだ寝ぼけきった頭に覚醒を促がした。


 キッチンに向かうと視界の端で、洋子さんがリビングの長椅子ソファーに寝そべりテレビを見てやがった。


 俺は何とか手近にあったナイフを投げつけるのを我慢し、冷蔵庫の中に何が入っているかを確認し、そこから適当な物を見繕って、パパッと料理を済ませた。


 自分自身まだ覚醒していない頭で無意識のうちに作っていたため、何をどのような手順を経て完成したのかは説明できないので省かせてもらう。


 しかし、自分で言うのもなんだが無意識のうちに料理ができてしまうような男子高生はこの世に二人とはいないのではないか? それは言い過ぎかもしれないがそれほど多くもないだろう。


 俺の場合四年ほど前までは母親が半強制的に家事一般を覚えさせられ、それ以降はいろいろな事情より俺自身がやらざるを得ない状況だったからだ。


 俺の両親は四年前に起きた航空機事故により他界し、それからは唯一の親族である祖父の家で世話になっていた。


 祖父は父方の親戚で、俺のことをとても良くしてくれていたのだが、祖父もまた俺が高校入学した間なしに亡くなった。医者が言うにはかなり以前から肺がんに罹っていたとか、俺が気付いたのは入学式から帰ってくると、祖父じいちゃんが血を吐いて倒れていたからだ。 半ばパニック状態で救急車を呼び病院に運んで、そこでやっと医者から祖父ちゃんの容態を聞かされた。


 俺はとても後悔した。祖父に対して甘えるだけで俺は何もしてやれなかったと涙を流しながらそう言った。


 しかし、祖父ちゃんは最後に俺に対してこう言った。


 それはもう優しい表情で、


「お前にはこの短い間にいろんなもんを貰ったわい。だから泣くな」


 そう言っておれの頭を節くれだった手で撫でてくれた。


 それから祖父ちゃんは数分後に息を引き取った。


 久しぶりにあのときのことが思い浮かび俺の涙腺が緩んできたのだが、そんな叙情をぶち壊す声が、


「せんせーい、ご飯まだですかー」


 リビングの方から間延びした声がとんできた。


 慌てて目を擦り何事もなかったように、俺はリビングのテーブルに食事を並べた。


 白米に味噌汁、塩鮭に納豆を一人分だけ。


 洋子さんは朝食はいつも和食、しかも見た目や言動に似合わず何故かいつも納豆を所望するのだ。俺には何故そんな物を食べたがるのかは全く理解できない。


「納得できません、どうして私が料理できないのに先生はこんなに上手に作れるんですか」


 とくに上手には作っていないのだが破滅的な料理音痴の洋子さんはいつも俺の出した食事に文句を言う。


 俺は毎度の質問を無視してもう一度キッチンに戻ろうとしたのだが、


「先生、今日はいつもより少し元気ないですね」


 俺はその言葉に先程考えていたことがまた頭に浮上しかけたが、何とかそれを押し込め、


「そうですか、いつもどうりのつもりなんですけど、それより洋子さん最近また太ってきたんじゃないんですか」


 俺はそう言って話をずらすと、彼女はその言葉にものの見事にひっかかり、怒り出した。


 俺はキッチンに戻り手早く自分の朝食を準備した。


 準備するとはいっても、洋子さんの朝食みたいに凝ったものではなく、六枚切りの食パン二枚をオーブンに突っ込み、その間にベーコンと目玉焼き、後はちょっとしたサラダなどを適当に皿の上にのっけたものだ。ついでに眠気覚ましの濃い目のコーヒーを入れてテーブルに運ぶ。


「今日から新学期ですねー」


 まるで自分が学生のような口振りで言う洋子さん。確かに見た目なため、彼女のことを知らない人が聞けば、夏休みの終わりを嘆く中学生のように見えたことだろう。


「洋子さん今日も仕事ですか」


 彼女の言葉を聞き流し、俺は自分が訊きたいことを言う。


 うまく彼女の仕事が長引けば、今日こそはのんびり優雅にベットの上で安眠できるのだから、彼女に仕事があるのを願っても仕方がないだろう。


 彼女はここ最近ずっと俺の家に押しかけては「原稿を〜、原稿を〜」とひたすら耳元で囁いていたのだ。


 必然、夜寝る時間は遅くなり、朝は朝で食事の準備でたたき起こされるのだからたまったものじゃない。


 幸い今までは夏休み、彼女のいない間に朝寝、昼寝、夕寝とこっそりと寝ていたのだが、それも今日からは不可能。本日は始業式、学生の本分である勉強が始まるのだから。


「ひょうふぁふぉふぃふぉふぉふぁ、ふぉひゃひゅふぃふぇ〜ふ(今日はお仕事は、お休みで〜す)」


 納豆の乗ったご飯を口の中にかきこみながら言うその言葉と姿に、いろんな意味での失望をして食事をした。


 食事後、俺はとりあえず制服――半袖のカッターシャツにネクタイを締め、夏用学生ズボン――に着替え、ショルダーバッグ筆記具を詰め込み学校へ行く準備を整え、そして忘れてはいけない、母の形見である蒼のピアスを片耳につけ、左の手首に父親の形見である腕時計をはめる。


 これは事故当日まで母親がよく愛用していた物だ。父から結婚記念日に買ってもらったとかでいつもそれを身に着けていた。しかし、その日だけは別のピアスを付けていき、そして事故にあいこのピアスは家に残されていた。


 ピアスの片方は母と一緒に燃やされ、そして片方は俺が現在使っている。


 そして、腕時計もまた父がいつもはめていたものだ。


 事故当日も時計ははめて行ったのだが、これだけは傷一つなく発見され、両親の遺体と共に返され、父の形見と思って使用している。


 感傷に過ぎないとわかってはいても、これらが両親と繋がっているような気がして・・・。


「洋子さんも早く出ってください」


 俺は気を取り直して長椅子に座る洋子さんに声を掛ける。


 家に泊めるが他人は他人、家主がいないときにまで家の中にいてもらっては困る。以前に一度だけ家に残しておいたときもあったのだが、自宅帰還したらキッチンが分けの解らない汚物がそこら中にへばりついていたのだ。それもたかだか近くのスーパーにきらした醤油を買いに行った僅か十五分ほどの間に。


 そのときの彼女の言い訳は「今日は何故か料理が上手にできるきがしたんですよ」だった。


 それから俺は洋子さんを一人で家に残すことはしないようにしてる。


「嫌です。今から魔女っ子ウルルさんが始まるんですから」


 なんていうかすさまじく胡散臭いタイトルだな。


「二十五の大人がそんなもの見ないでください」


 ただでさえ見た目中学生なのに、中身は小学生並みというのはもうどうしようもないね。


「む、私はまだ二十四歳です」


 洋子さんでも歳のことには敏感なんだな。


 俺は時計を見て、ここで押し問答をしている時間はないと確認する。


 この場合俺の取る手段は二つに一つ。実力行使で洋子さんを追い出すか、もしくは俺が諦めて洋子さんをここに残していくかだ。


 俺はもちろんここの家主らしく威厳を込めて、


「キッチンには絶対に入らないでくださいね」


 俺はそれだけ言って鞄を肩に掛け玄関に向かった。


「せんせ〜い! 私、今日お仕事はないんですけど別の用事でお昼頃に出掛けるんですけど、鍵はどうしたらいいですか?」


 このマンションはオートロックではないため外出の際には鍵をかけなくてはいけない。下には管理人もいるのだが少しばかり警備ががさつのためだれそれの知り合いです。と言えば簡単に通してくれるのだ。


「ここに合鍵置いておきますから絶対に鍵閉めて出てくださいね。じゃー行って来ます」


 俺は靴棚の上にカードキーを置いて、代わりにヘルメットを手にとってドアを出た。後方からはいってらしゃ〜いという間の抜けた洋子さんの声が響いて消えた。


俺は地下の駐車場に向かい、四年前まで父親が使っていたバイク跨りキーを差込みエンジンを吹かす。


 これも腕時計と同じで父親との繋がりを求める物の一つだ。


 父親の愛用のバイクで一人での外出時は車ではなくいつもこのバイクを使用してた。


 俺は腕時計でまだ時間に余裕がることを確認し、フルフェイスのヘルメットをかぶりバイク

を発進させた。

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