第25話「解決」
「でも、どうやってうちの親を止めるの……?」
葉月のアメリカ行きをなかったことにするという合意はできたが、それは二人の間でだけ。葉月の両親を説得する具体的な策がある訳ではない。
「土下座して頼んでもダメかな……?」
「それで納得してくれる人じゃないと思う」
どんなことでもするという覚悟は示したが、根性だけで人の心を変えるのは不可能だ。
「うーん。いっそ葉月くんをどこかに閉じ込めとくとか……?」
「それだとうちの親が警察に通報するんじゃないかな……」
自分が何らかの罰を受けることで葉月を引き止められるなら本望だが、天音が警察に捕まっている間に葉月が連れていかれるのでは意味がない。
やはり高校生の力でどうにかできる問題ではないのか。
(いや! やるって決めたんだから!)
弱気を振り払って前を向く。
すると、一人の男子生徒がこちらに走ってきた。確か優実の彼氏だ。今日もパーカーを着ている。
「葉月! 中庭にいたのか!」
「どうしたの?」
優実の彼氏は息を切らしている。葉月を探していた時の天音ほどではないが、何か焦っているようだ。
「佐伯から聞いたんだけど、転校するかもしれないんだって!? お前がいないとおれの受験が危ういんだよ! 思い止まってくれないか?」
「ちょ、今はそんな話してる場合じゃ――」
言っている途中で思い出した。葉月の周りには彼を必要としている人がたくさんいると。
「あんた葉月くんが転校したら困るんだよね?」
「だからそう言ってるだろ!」
「じゃあ、あたしたちに協力して! 葉月くんも本当はアメリカに行きたくなんてないんだから!」
「協力?」
首を傾げた優実の彼氏に状況を説明した。
「――そういうことだから、葉月くんに行ってほしくないって人をできる限り集めよう! 先生とかあたしの親とか、とにかくたくさん! あたし一人じゃダメでも、みんなで説得すれば葉月くんのお母さんたちも分かってくれるかも」
「そうだね!」
「よっし、分かった! 葉月教信者はいくらでもいるぜ。クラスメイトの男子は任せとけ!」
葉月に明るい表情が戻り、優実の彼氏もやる気を見せてくれた。
「担任の先生は葉月くんを引き止めたりは?」
「どっちかというと転校には反対だけど、親が決めたなら――って感じだった」
それなら味方につけることはできそうだ。普段はやる気がなさそうにしているが、彼方からちゃんとした教師だと認められていた。固い絆で結ばれた生徒同士が引き離されないよう尽力してくれておかしくない。
優実にも、天音と葉月がいかに想い合っているかを伝えてもらえるのではないか。
その他の女子たちも、葉月が同じ学校にいると嬉しい者ばかりだ。
(きっと大丈夫……!)
葉月たちとの作戦会議を済ませた天音は、一足早く葉月の家を訪ねることにした。
「お父さん、お母さん! 葉月くんのアメリカ行きを考え直してください! 葉月くんは、あたしの大切な恋人なんです!」
玄関先で土下座をして頼み込む天音。
「あなた、さっきもいらっしゃった藤堂さん? いきなりそんなことを言われても、私たち家族には関係のないことです」
葉月の母親は口調こそ丁寧だが、冷たくこちらを突き放している。
「私としても葉月には社会に出て立派に活躍してもらいたいんだ。その為にも恐怖症は治してもらう」
葉月の父親も、葉月の将来を思うが故に天音の申し出を受け入れることはできないようだ。
予想していた反応ではある。
「葉月くんは女が近くにさえ来なければ大丈夫なんです! あたしが傍で守り続けます!」
葉月と恋人になった時からずっと言っていることではあるものの、その責任の重大さを理解した上で、改めて決意を口にした。
「そんなことがあなたに約束――」
「できるよ!」
帰宅した葉月が、母親の言葉を遮る。
「天音さんは僕と同じ大学に行く為に苦手な勉強を必死に頑張ってきたんだよ! 今の天音さんなら絶対合格できる!」
天音がどれだけ努力したかは一年生の時の成績と現在の成績を比較すれば一目瞭然だ。
これだけでも葉月自身が天音を信頼するには足る。
さらに両親の信頼をも得る為に協力者たちを連れてきてもらっていた。
「ここに来てくれたみんな、僕が日本に残ってほしいって言ってくれてるんだよ」
葉月の背後には、彼方や優実を含む数十名の生徒、担任の教師、天音の両親、彼方の両親たちがずらりと並んでいる。
人間は視覚が発達した生き物だ。天音の言葉を延々聞かされるより、この光景を見た方が心を動かされるだろう。
「藤堂のことが信用できないのは分かります。俺もそうでしたから。でも、やる時はやる女です。何より葉月本人がこいつといたがってます」
「彼方くん……」
逢坂家と綾部家は家族ぐるみの付き合いらしい。
葉月の女性恐怖症が始まったばかりの頃に彼を立ち直らせたのが他ならぬ彼方だ。
葉月の母親も、彼方を見る目は優しい。
彼方の父親も彼方に続いてくれた。
「うちの彼方がこんな風に女の子を認めるのは初めてのことです。彼方でも認めざるをえないほど彼女は本気なんじゃないでしょうか」
「綾部さん……」
以前のように天音の評価が低ければ、彼方は葉月に『アメリカでもっとまともな女と出会え』とでも言っていただろう。しかし、彼は天音に言った。『死んでも葉月を引き止めろ』と。
彼方の目から見ても、天音は葉月の恋人として相応しい存在になれているのだ。
「一度決めたことを蒸し返すのは気が引けますが、やっぱり俺としても受け持った生徒は最後まで面倒を見たいというのが本音です」
担任も普段より身なりを整えてここに来てくれている。
「これを見れば葉月君と出会って藤堂がどれだけ変わったか分かると思います」
そう言って担任は過去の分も含めた天音の成績表を渡す。
「先生まで……」
「――! これは……ここまで急成長するものなのか……」
葉月の父親は目を見張った。
正式な成績表に、葉月が言った通りの努力が数値として記載されているのだから信じるしかあるまい。
これで、葉月が盲目的に天音を慕って過大評価しているのではないことが分かってもらえたはずだ。
「リハビリを始めてから天音は頑張ってました。自分が悪者扱いされそうになっても、逢坂くんには不安を与えないようにって」
「あなたは……」
葉月の母親が優実に目を向ける。
「天音の幼馴染の佐伯優実です。逢坂くんと天音が強く想い合ってるのは、何度も見せつけられてきました。天音と一緒にいることが逢坂くんにとって一番幸せなんじゃないでしょうか?」
心強い援護射撃。いい親友を持った。
「おれたちも葉月に助けられて、その恩を返せてないんです。できれば何か葉月の為になることもしてから一緒に卒業したいです」
優実の彼氏が集めてくれた男子生徒たちは、葉月との友情を示す。
「私たちは逢坂くんを怖がらせちゃう存在ですけど、適度に距離を保って今後の学生生活ではリハビリに協力したいと思ってます」
女子生徒たちは、天音が中断させてしまっていたリハビリについて触れた。
独占したいからリハビリをやめさせるなどというのは、あまりにもわがままが過ぎた。この点は天音も反省している。せめて母親と触れ合えるところまでは治療しなければならない。
そして天音の親は感情論ではどうにもならない部分の話をする。
「娘が無理を言っているのは承知しています。ですから、引っ越しのキャンセルで生じる損失はこちらで負担します」
父がこう言ってくれるのは、天音が懸命に頼み込んだからでもある。将来必ず働いて返すから、と。
娘に、パートナーが見つかるかどうかと、ちゃんと働くのかという不安を抱えていた親にしてみれば、これは一石二鳥のチャンスでもあった。ハイリスクには違いないが。
葉月が最も愛する人は日本にいる。葉月を必要とする人も日本に大勢いる。
天音は切り札を出すことにした。
「このノート見てください。あたしが葉月くんを愛してるのは今さら言うことじゃないですけど、葉月くんもあたしを想ってくれてるって分かるはずです」
天音は頭を上げて、教室から持ち出していたノートを差し出す。
葉月の父親はそれを受け取り、ページをめくった。
「ところどころ字がにじんでる……。母さん、やっぱり葉月はアメリカ行きが辛かったんじゃないかな」
にじんでいるのは葉月の涙でだ。
「そう……ね……」
葉月の母親の声が震えている。
息子が自分と触れ合えるようになってほしいという思いと、息子が幸せになってほしいという思いがせめぎ合っているのではないか。
「天音さん」
葉月が天音と場所を代わって両親の前に立つ。
「僕の口からもちゃんと言うよ。僕は日本で天音さんと生きていきたい。――どうか、それを許してください」
葉月は自身の親たちに深く頭を下げた。
これが葉月の意思だ。
「…………」
ややあって、葉月の父と母はうなずき合う。
「アメリカ行きはもうキャンセルすることができません。――ただ、葉月がそれで幸せだというなら、息子を日本に置いていきます」
「あ……!」
葉月の母親が口にした言葉に、天音を筆頭として皆表情を明るくした。
「私たちは恐怖症を治療する方法を向こうで模索して、いつか帰ってきます。それまで葉月が日本での生活に一切困らないよう取り計らってください」
「一切って……お母さん、そこまで厚かましく……」
母親の過保護振りに呆れそうになっている葉月だが、天音には考えがあった。
「だったら、あたしの家を譲ります!」
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