第24話「覚悟」
雨の中、傘も差さず葉月を探し回る天音。
登下校で通る道沿いにある商店や公園などは全て確認したが見つからない。
結局、学校まで戻ってきてしまった。
(他に葉月くんが行きそうなところ……あっ、もしかして)
心当たりというほどではないが、思い浮かんだ場所があったのでそちらに向かう。
「葉月くん……!」
「天音さん……!?」
葉月がいたのは、かつてリハビリをしていた学校の中庭。
灯台下暗しとはこのことだ。
急いで駆け寄ろうとするが、気が緩んでしまったせいか、つまずいて体勢を崩す。
(あ……)
今頃になって、葉月が残してくれていたノートを持ったままだということに気付いた。
とっさに天音は左腕で抱えたノートを庇うように右へと身体を傾けて倒れた。
「うっ……!」
右腕を強打して、遊園地の時ほどではないが上手く動かせなくなる。
立ち上がれずにいると、葉月が駆け寄ってきて傘に入れてくれた。
「あはは……。あたしコケるの下手だね……」
「それにしたって今のコケ方は……」
天音の抱えているノートが葉月の目に入る。
「もしかしてこれを汚さないように……? こんなものの為に……」
葉月は悲しそうに目を細める。
「大事なものだよ。葉月くんがあたしを想って書いてくれたんだから」
教室に置いてくれば良かったようなものだが、葉月との別れを意識して不安になり、少しでも彼を傍に感じていたくなったのかもしれない。
ノートはいったん葉月に預け、左手を使って立ち上がる。
天音の服は泥だらけだ。それでも葉月を見つけられたので心は安らいでいた。
とりあえず屋根のある壁際に移動する。
「葉月くんはなんでここに?」
「天音さんとのリハビリを始めた頃のことを思い出してて」
天音が、葉月の女性恐怖症を治す為のリハビリに協力すると決まって最初にしたのがこの中庭での会話だった。
まだ距離を空ける必要があり、天音も緊張していてぎこちないやり取りをしていたことが思い起こされる。
当時の天音からすれば、葉月の恋人になっている今の自分はこの上ない幸せ者だ。
「それは……転校しちゃうから……?」
おそるおそる核心部分を尋ねる。
「聞かれちゃったんだ……。天音さんと彼方くんがいないかは注意してたんだけど」
明らかに肯定の返事。勘違いであってほしかった。
「優実がたまたま聞いてて教えてくれた」
いつものあだ名が出てこないぐらい天音の心も張り詰めている。
「初めはアメリカの先生から有効な治療法を聞くだけかと思ってたのに、両親が色々話を進めちゃって……」
やはり海外だという点まで含めて本当のことのようだ。
「勝手にいなくなったら、天音さんも遠慮なく新しい人を見つけられるんじゃないかと思ったんだけど……」
彼方と付き合う心配がないと再確認できた時にあまり嬉しそうでなかったのはそういうことか。
いっそ彼方と付き合ってくれれば安心して日本を離れられると。
本気で言っているのだろうが、あんなノートを残してもらって葉月を見限ることなどできるものか。
しかも葉月は、服選びに天音を同行させたりして、アメリカに行ってからも天音の色に染まったままでいるつもりに違いない。
その気持ちは天音だって同じだ。
「あたしには葉月くん以外の人なんて考えられないよ」
「そう……。だったら僕が行くのを止めるよね……。でも、そうなったらうちの親が天音さんを傷つけるようなことをすると思う。お父さんもお母さんも僕以外には厳しいから」
前に『優しいといえば優しいんだけど』と言っていたし、彼方からは子煩悩だと聞いた。そのように繋がってくるのか。
葉月はさらに詳しい状況を天音に伝える。
日本の家とアメリカの家、どちらも既に売買契約が成立しており、引っ越しの準備はほぼ終わっていること。
アメリカの病院の診察についても予約を取ってあること。
それら全てをキャンセルしたら多くの人に迷惑がかかり、損害賠償も馬鹿にならないということ。
「――だから、天音さんに無理してほしくないんだ」
こう告げてくる葉月自身が一番無理をしているように見える。
「今はあたしが無理をする時だよ」
「え?」
葉月が両目を見開く。
「このまま何もしないで葉月くんと別れたら、あたしは一生後悔し続けることになるよ。葉月くんのお父さんとお母さんを説得して、大学にも合格して、不良に絡まれても勝てるぐらい強くなる。この一年はあたしが死ぬほど頑張らなきゃいけない時期なんだよ」
以前の天音なら嫌なことは後回しにしていた。だが今の天音は、葉月に関わることなら、将来の為に投資するという選択ができる。
「それに恐怖症が治らなくたって、あたしが葉月くんを守るから何も心配ないって。ご両親にあたしのことは話してくれた?」
天音の主張に驚いた様子だった葉月だが、再びその表情は陰る。
「うん。でも、両親は――特にお母さんは、何がなんでも恐怖症を治すべきだって……」
「なんでそこまで……?」
天音ではナイトとして頼りないかもしれない。しかし、それならそれで、天音がどれほどの人間か見定めにきてほしいものだ。
「実は僕、お母さんにも触れられないんだよね……。多少良くなってた時期でも、あの先生と近い年齢の女の人相手だと……」
「……!」
天音は、他人の事情に対する無頓着っぷりを思い知らされて息を呑む。
実の息子に触れられない母親の気持ちなど想像していなかった。
「きっとお母さんはそれが許せなくて……」
知らされてみれば理解できる。天音としても、自分が恋人であるにも関わらず、もし葉月に触れられないとしたら辛い。理不尽に感じる。
葉月のように素直で愛らしい息子がいるのに触ってはいけないなどとは親として歯がゆいだろう。
しかし――。
「葉月くんのお母さんには悪いけど、あたしは葉月くんをアメリカには行かせない。どんな方法を使ってでも」
映画の世界より現実の方が世知辛いのは分かっている。それでも、映画の主人公たちのように離れ離れにはなりたくない。
「どうしてそこまで言ってくれるの……?」
葉月は目を瞬かせる。
「葉月くんは気付いてなかったかもしれないけど、あたしは同じクラスになった時からずっと葉月くんのこと見てたんだよ。友達思いで上品で頭も良くて、それでいて守りたくなるような可愛らしさがあって――あたしの憧れだったんだ」
直接関わる前から理想の男子だというイメージを抱いていた。
こんな人と付き合えたらどんなに幸せだろうかと、いつも空想していた。
そしてリハビリの為に交流するようになって、葉月が自分の思い描いていた通りの人物だと確信した。
「お金が必要だっていうなら毎日バイトしてバイト代全額あげるし、日本に恐怖症を治せるお医者さんがいないか病院を探し回ったっていいし。葉月くんのお母さんたちを説得する為なら土下座でも何でもするよ」
葉月と共に生きられるのであれば、他のことはどうなってもいい。
「天音さんの気持ちは嬉しいけど……」
葉月はこちらに気を遣ってくれているように見受けられる。自分が天音の傍を離れなければならないことについては、もう覚悟しているのだろう。
申し訳ないが、その覚悟は崩さなければならない。
「葉月くんがありがた迷惑だって言ってもやるよ。だってあたしの人生だから」
自己犠牲ではなく、あくまでもエゴだ。
「彼方は訊いたよね。葉月くんを助ける理由があたし自身にあるかって。葉月くんを助けるにしても引き止めるにしても、あたしがやりたいようにやるだけ。誰にどれだけ迷惑かけたって、あたしは葉月くんのことだけはあきらめない!」
他人に誇れることではないが、天音は高らかに宣言した。
これが天音の覚悟だ。
「そう……だよ……」
葉月の口から小さな言葉がポツリと落ちた。
「僕だって天音さんと別れたくなんてない……! 天音さん以外の人と触れ合いたくなんてないよ……!」
恐怖症の拒否反応が出た時以上に大粒の涙を零しながら訴える葉月。
彼がこれだけ感情を強く表したのは初めてではないか。
「やっと葉月くんの本音が聞けたね」
やはり想いは同じなのだ。
「あたしの方が自分勝手でわがままなんだから、優等生の葉月くんがあたしを止めるなんてできないよ」
「うん、そうだね……」
葉月の目に溜まった涙に美しい光が宿る。
雨は上がり始めていた。
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