第23話「厳命」
ある日の放課後。
どうも天気が悪い。
「今日、傘持ってきてないよ。やむかなぁ」
「雨のち晴れって予報だから少し待ってりゃやむだろ」
天音に対して、ぶっきらぼうに答える彼方。
こんな話は葉月か優実とすればいいようなものだが、今は二人共いない。
優実は別にいいが、葉月と一緒に帰ろうと思って教室で待っている。
約束はしていないが以前からの習慣なので一度教室に戻ってきてくれるだろう。
最近は天音も自主的に勉強をするようになったので、放課後の勉強会は毎日ではなくなっていた。
テストの成績もかなり良くなっているので、このままいけば大学合格も夢ではないはずだ。
「彼方。これ、公式見ないで解いてみたんだけど、合ってるよね?」
少しでも時間を有効活用する為、昨日勉強していた時のノートを彼方に見せてみる。
天音は参考書の問題のうち事前に公式を覚えていないものを自力で解くことに挑戦していた。
「ああ、合ってる。確実に思考力が上がってるな」
珍しく彼方が素直に褒めてくれた。
数学の試験で、公式を覚えていない問題が出てきた途端何もできないのでは話にならない。疑似デートでの宝箱選びで葉月が見せたような論理的思考を天音も身につけつつあるのだ。
この調子でやっていこう――そう意気込んでいた矢先。慌てた様子の優実が教室に飛び込んできた。
「ねえ、天音! 逢坂くん、転校するの!?」
寝耳に水で、反射的に聞き返す。
「え!? 何!? どういうこと!?」
息を落ち着けた優実は、状況の説明を始める。
「さっき職員室で試験関係の質問してた時に、逢坂くんと先生の声でアメリカ行きがどうとか聞こえて……。こっちも話が途中だったからちゃんと確認できなかったんだけど……」
「何それ!? 全然聞いてないんだけど!?」
『アメリカ』という単語自体、世界史でしか聞いていない。ましてや葉月が行くかどうかなど。
「俺も聞いてねえぞ」
彼方も同様らしい。
「聞き間違いかな? 天音にも綾部くんにも話してないんだったら」
彼方が知らないということで少し安心した。葉月の親友である彼方なら、葉月に関する大抵のことは知っているはずだ。
アメリカから恐怖症の新しい治療法が伝わってきたとか、そういった話かもしれない。
しかし、その安堵を否定するように彼方がつぶやく。
「こないだあいつの家に行った時、妙に片付いてたな……。元々散らかってなかったから気にしなかったが、まさか引っ越しの準備を進めてたのか……?」
彼方は何かを思い出したように葉月の机の中を探る。
そこから出てきたのは大量のノート。
「これは……」
「何が書いてあるの?」
いくつかページをめくった彼方はノートを大きく開いて天音に見せる。
内容は各科目の勉強法や問題の解き方、解説など。これから先取り組む予定になっていた部分だ。
「これ……あたしの為に……?」
天音の苦手分野や考え方の癖まで把握して的確にアドバイスを書いてくれている。
何故こんなものを用意していたのか。
「アメリカに引っ越したら、もう直接教えることができなくなる――そういうことか……?」
皮肉なことに彼方と予想が重なってしまった。
自分が去った後困らないように、と天音に最適化した勉強用ノートを残すことにしたとしか思えない。
それぞれのページには口語でのコメント・応援メッセージ付き。
『天音さんは記述式の答えを簡潔に書きすぎるから、他にも書ける要素がないかよく考えてね』
『ここができたら後は簡単だから頑張ってね!』
最後の方には『同じ大学には行けないけど、今まで勉強してきたことは無駄にならないよ。一番行きたい大学を選んでね』とある。
この一文で確定してしまった。紛れもない愛情を感じるのに、深く心を抉ってくる言葉だ。
四人で勉強をしようと言い出したのも、自分はいなくなると決まっていたからか。
時折寂しげな表情を見せていたのも別れが近づいていたからか。
「なんで葉月くんはあたしに言ってくれなかったの……? もう恋人なのに……」
手にしたノートを見る限り、気持ちが冷めたのでないことは明らか。
それなのに大事なことを打ち明けてくれなかった。
「お前は葉月の為なら何でもする。それこそ犯罪にだって手を染めるかもしれん。そこまでした挙句結果が変わらなかったらお前はどうなる? 葉月はお前を苦しませたくなかったんだよ」
彼方の言ったことが真実だろう。
事情を打ち明けなかったのは天音を信頼していないからではない。大好きだからこそだ。
「無理に止めようとしたら葉月くんの気遣いを無駄にしちゃうのかな……。でも……」
分からない。どうすることが正しいのか。
離れ離れになどなりたくはない。だが、『行かないでほしい』と懇願したら葉月の迷惑になるし、最終的には天音自身も傷つくことになる。
うつむいて、ただただノートに視線を落としていると――。
「なんであいつは俺にも黙ってたと思う?」
「え……?」
彼方が天音に問いかけてきた。――いや、天音の答えを待っているのではない。
「聞いたら俺がこう言うって分かってたからだ」
彼方からの厳命で目が覚める。
「死んでも葉月を引き止めろ!」
天音は立ち上がり、大きくうなずいた。
「うん!」
葉月のことをあきらめた自分は自分ではない。
犯罪にすら手を染めかねないなら、染めてしまえばいいのだ。
無意識に一冊のノートを抱えたまま教室を飛び出す。
そして職員室へ。
「先生! 葉月くんいますか!?」
「いや、さっき帰ったが……」
担任は既に事情を知っているからか申し訳なさそうに応じた。
スマートフォンを確認してみる。
葉月からメッセージが来ていた。
『今日は先に帰るね』
そのあとに『ごめんね』というスタンプが送られてきている。
これは何の『ごめんね』なのか。
すぐさま返信する天音。
『今どこ!? 転校するって本当!?』
こちらからのメッセージに反応はない。
いてもたってもいられなくなった天音は傘も差さずに外へ駆け出した。
「すみません! 葉月くんのクラスメイトの藤堂です! 葉月くんは帰ってますか!?」
葉月の家のインターホンを鳴らして尋ねる。
「いえ、まだ帰っていませんけれど」
落ち着いていて上品そうな女性の声が返ってきた。おそらく葉月の母親だ。
「分かりました。ありがとうございます」
職員室は出たが、まだ帰宅はしていない。教室にもいない。
(葉月くん……どこいっちゃったの……?)
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