第18話「映画」
「勉強もしないといけないけど、天音さんも頑張ってるし、たまには息抜きしてもいいかもしれないよね」
放課後の教室で葉月が嬉しい提案をしてくれた。
ここのところ、放課後は図書室で勉強、夜も自室で勉強、休日も図書館で勉強、と勉強漬けの日々を送っていた。
ようやく休めるか。
「いいね! 根を詰めすぎても良くないだろうし。いいよね、彼方?」
いちいち彼方の許可を得なければならないのはわずらわしいが、葉月に甘やかしてもらった挙句試験に落ちたら元も子もないので仕方ない部分もある。
「まあいいか。ダラダラやるよりメリハリがあった方がいいだろうからな」
説得に時間を要するかと思ったが、案外あっさり認めてもらえた。
葉月の側から言い出したことだからか。
「やった! 何して遊ぼう? 虫取りとかどう?」
「子供か」
わくわくしながら案を出すが彼方に一蹴された。
葉月も苦笑いしているので、どのみち駄目だったか。
「天音はケンカしなくなった以外小学生から成長してないから」
さすが親友の優実は天音の性質をよく理解しているようで。
「前回遊園地行っただけなんだから、他にも行くとこ残ってるだろ」
彼方に言われずとも、葉月とデートで行きたいところなどいくらでもある。ありすぎて選択に困っているだけだ。
「う~ん。あっ」
いいことを思い出した。
今、映画館のポイントが貯まっていて、ペアで無料という券が発行できる。
「映画はどうかな?」
デートスポットとして定番だろう。
「うん。いいよ」
「最初からそういう案を出せよ」
快諾してくれる葉月と、相変わらず厳しい物言いの彼方。
ひとまず行き先が決まったが、映画だけ見て終わりというのも物足りない。
(あとは……)
もう一つ思い出した。
「この前新聞のおまけで水族館のチケットがついてたんだ。これも行く?」
「そうだね。ご家族と行く予定とかがないなら」
天音にとっては葉月が全てなので、家族との予定があってもキャンセルする訳だが、葉月はちゃんと気遣ってくれる。
映画と水族館。恋人として初めての正式なデート。必ず成功させなければ。
きちんと葉月を楽しませないと、それこそ彼方から葉月を任せられないと言われかねない。
「よっし! じゃあ決まりだね! 週末楽しみだなー」
恋人のフリでもなく、疑似デートでもなく、勉強でもなく、本当の恋人として遊びにいける。
告白前からずっと夢見ていた時間の始まりだ。
デート当日。
葉月の家のすぐ傍にある公園のベンチに座っている天音。
いつも通り葉月を迎えにきたのだが、約束の時刻が九時なのに対し、今は六時だ。
万が一にも遅れてはいけないと可能な限り早く来たが、こんな早朝からチャイムを鳴らしても迷惑かと思いここで待っている。
さすがに早すぎたせいで眠気がやってくる。
(約束の時間に寝てたら……。いや、三時間もあるからちょっとぐらい平気か……)
元より自制心が強くない天音が睡魔に勝てる訳もなく、五分と持たずに意識を手放した。
「天音さん」
誰かに頬をつつかれる。
(ん……?)
自分は何をしていたのだったか。
眠っていたが横にはなっておらず座った体勢だ。
記憶が曖昧なまま目を開けると、中性的で端正な顔が視界に入った。
「あっ、葉月くん!」
眠気が一気に吹っ飛んだ。
「ふふっ。おはよう」
葉月が自分から触れるような女子は天音以外にいない。
こうしたさりげないスキンシップができるのも恋人の特権だ。
「あたし寝ちゃってた?」
スマートフォンの時計を見ると九時を過ぎている。
「天音さんが僕との約束に遅れるなんて珍しいから、ひょっとしたら近くにいるんじゃないかと思って見にきたんだ」
「ご、ごめん! 絶対に遅れないように早く来たんだけど、それが逆に――」
葉月に起こしてもらうというのは貴重な経験だが、彼を待たせてしまったのは不覚だ。
焦って言い訳をする天音を前に葉月は。
「大丈夫だよ。待ってたっていっても僕は家の中だったんだし、探したらすぐ見つかったしね」
遅刻したことを責めもせず、微笑んでくれた。
「ホントにごめんね。映画間に合うかな」
「元々余裕を持って着く計算だったから、ゆっくり歩いても間に合わないほどじゃないと思うよ」
開幕早々大ポカをやらかしかけた天音だったが、葉月が天音の行動パターンを理解してくれていたおかげで助かった。
「じゃ、じゃあ、ゆっくり話しながら行こっか?」
「うん。天音さんって僕より広い世界のこと知ってるし、色々教えてほしいな」
「あたしのは葉月くんと違って無駄知識だけどね。そんなので良ければいくらでも」
だんだん忘れがちになっているが、葉月は女性恐怖症で不自由してきた。本の知識はあっても、なかなか外の世界をその目で見ることができずにいたことだろう。
これからは自分が葉月を守りながら、今まで彼が見られずにいた場所を見せていく。
そんな思いを抱きながら葉月の手を握って歩き出した。
「――でさ、海水飲んで死にかけたんだよ。あの時はしょっぱいとかそれどころじゃなかったけど、多分しょっぱかったんじゃないかなー」
天音は映画館への道中、自身の経験を話す。
我ながらバカなことをやりながら生きてきたと思う。
「そっか。天音さんがその時死ななくて本当に良かった。今の僕があるのも天音さんのおかげだもんね」
葉月は、とりとめのない話にも静かに耳を傾けてくれた。
「あたしも葉月くんと出会えたから、生き延びた甲斐があったよ」
天音に筋道を立てて会話をする技術はないので内容はあっちこっち飛ぶ。
「今回は本当のデートだけど、前のも実質本物だったんだよね」
「そうなんだよね。ひょっとしたらって期待はしてたけど、天音さんから僕が好みのタイプだって言ってもらえた時は嬉しかったよ」
思い出す。帰り際に『デートができて楽しかった』と告げた天音に対し、葉月はそのデートが疑似的なものだと突っ込まなかった。
それどころか、天音にとって楽しいデートになっていたことを喜んでくれた。
「大学受かったらデートし放題だよね。色んなとこ連れてってあげるから楽しみにしててね!」
勉強では葉月たちを頼らざるをえない分、遊びは自分が教えてあげるつもりだ。
彼方や優実からはバカにされたが、子供じみた遊びに葉月を巻き込むのも悪くない。
あるいは、子供のように遊ぶ自分を葉月に見守っていてもらうのもアリだ。
葉月からは、そんなことも受け入れてもらえそうだという包容力を感じる。
「うん……そうだね。楽しみ」
能天気な天音とは対照的に、時折切なそうな表情を見せる葉月。
この物憂げな雰囲気も彼の魅力の一つといえる。
映画館に着いて何を見るか話し合う。
「あたしが普段見るのはコメディ映画なんだけど、デートだしラブストーリー的なのがいいかな? それともホラーとか?」
「ホラーはちょっと苦手かな。でも、いつも天音さんが僕を引っ張ってくれてるから、こういうのも天音さんが決めてくれていいよ」
主導権を天音に握らせてくれるということか。なんとも気立てのいい美少年だ。
迷ったが、葉月といいムードになりたいという思惑もありラブストーリーを選んだ。
ポップコーンを買った上で席につくと、本編の前に別の映画の予告編が流れる。
「前から思ってたんだけど、お金払ってるのになんで関係ない映画の予告編見せられるのかな?」
予告編の他にも『映画の撮影・録音は禁止』といった警告も出る。正直見せられて気分のいいものではない。
「次の作品と上映時間を調整する意味もあるらしいね。それと普通の料金だけじゃ収益が足りなくて広告収入も必要になるとか」
「うーん。世知辛い状況はどの業界でも一緒かー」
何の気なしに聞いていたが、女性客の隣になる可能性を考えて普段映画館に来られないはずの葉月から教わっていてどうするのだ。
いかに自分が考えることをせずに生きてきたかを思い知らされる。
なんだかんだ言っていると、本編が始まった。
事前に内容は調べていなかったが、どうやら主人公の少年が不意に出会った不思議な少女に振り回されながら少しずつ距離を縮めていくというもののようだ。
出会いのシーンは、少女がいきなり少年に声をかけるというもので、一緒に遊ぶシーンも少女が強引に誘っている場合が多い。
少年と少女のやり取りを見ていて、自分たちの関係はどのようなものなのだろうと改めて考える。
天音には映画の少女ほどの強引さはなく、不思議なオーラを纏っているのは葉月の方だ。
しかし、アクティブな少女とややクールな少年という組み合わせは自分たちと重なるようにも思える。
物語が進み、ビーチが舞台になった。
『見て見て! 魚捕ったよー!』
少女が嬉しそうに少年を呼ぶ。
『ははっ。すごいね!』
少年も少女につられたように笑う。
『わっ!』
魚が跳ねて少女の顔にぶつかり、そのまま海へ逃げていった。
『あー、もったいない』
残念がる少女。
『また何度でも捕まえたらいいよ』
『そう……だよね』
少女は、楽しそうに遊ぶ中でどこか悲しげな表情をする。
その意味するところは、物語後半で明かされた。
少女は難病を抱えていたのだ。
余命の長くないその少女は、父親に似た雰囲気を持つ少年に一目惚れし、悔いが残らないよう大胆に声をかけたらしい。
少年は少女を救う為に手を尽くすものの、とうとう延命の限界が来る。
『これ……受け取って……』
少女は最期、昔父親からもらった宝物のペンダントを少年に遺した。
少女の父親は医者で、少女自身も人の命を救える医者になりたいと願っていた。少年はその遺志を継いで医者を目指す。
『分かったよ。君の夢は必ず……!』
少年の前向きな姿勢に少女は満足げな表情を浮かべながら亡くなった。
上映終了。
葉月の様子を窺うと、いくつも涙を流していた。天音も半分泣きかけていたので、感受性豊かな彼はなおさら心を揺さぶられたことだろう。
葉月はハンカチで涙を拭いながら感想を口にする。
「悲しいけど、いい話だったね。死ぬことが全部絶望じゃないんだって」
「うん。自分を助ける為に力を尽くしてくれる人がいるって幸せなことだよね」
互いに一通りの感想を言い合って映画館を後にした。
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