第16話「嫉妬」
学校の休憩時間。
天音は自主的に問題集に向かっていた。
同じ大学に合格できるかどうかが、自分と葉月の未来を左右する。サボっている訳にはいかないのだ。
「藤堂いるー?」
何やら別のクラスから来たらしい女子生徒が天音を呼んでいる。
最近はあまり遊んでいないが一応友達の一人だ。
仕方がないので自習を中断して廊下に出る。
「何? あたし勉強で忙しいんだけど」
「藤堂が勉強? なんでまた?」
「葉月くんと同じ大学を目指してるんだって」
ある程度周知されているかと思ったが、別のクラスだと知らない者もいるか。
そんなことを考えていると思い出した。
「ああ、あんた葉月くんに告白した奴」
「奴って何よ! っていうか忘れてたの!?」
忘れかけてはいた。
この女友達が、当時のことで恨み言を吐いてくる。
「私が告白した時にもう逢坂くんと付き合ってたっていうのは嘘だって聞いたわよ。よくも騙してくれたわね」
「そんなことはいいから、用件」
こちらから尋ねると、女友達はモジモジし始めた。
同性のこんな仕草を見せられても面白くない。
「えっとさ……綾部くんって彼女とかいるのかな……?」
何を訊くかと思えば。
「あの性格だし、いないんじゃないの?」
葉月は女性恐怖症だが、本人はそれを女嫌いとは表現しない。むしろ彼方の方が葉月に女を近づかせたがらない女嫌いのような節がある。
顔がいいので結構告白される機会があるようではあったが、口振りからするとOKしたことはなさそうだった。
「本当にいないかどうか確認してくれない?」
「なんでみんな、あたしに恋愛相談すんの?」
名前は忘れたが、よくパーカーを着ている男子も似たような相談をしてきた気がする。
「あの時、私の新しい恋を応援してくれるって言ったでしょ?」
言っただろうか。腕を組み、天井を仰ぎながら記憶をたどってみる。
「――いや、言ってないよ! なんかおごるとしか言ってないよ! サラッと嘘つくな」
女友達は悪びれた風でもなく続ける。
「藤堂が逢坂くんみたいな美少年と付き合えたってことは、何か恋愛の秘策とかあるんじゃないの? そのテクニックで私と綾部くんが付き合えるようにしてよ」
これといって大層なテクニックを使った訳ではない。買い被りだ。
「ってか、そんなに彼方と付き合いたいの?」
「――! あんた綾部くんのこと名前で!?」
女友達は驚きの表情を見せる。
彼方を下の名前で呼ぶような関係の女子には会ったことがないのでそういう反応にもなるか。なんともうらやましそうだ。
呼びたければ呼べばいいものを――自分が葉月のことを本人の前で名前呼びできるようになるまでしばらくかかったのは棚に上げてそんな感想を抱く。
「葉月くん絡みで色々あったしね。それで、どの辺が好きなの?」
天音の疑問に対し、友達は当然のことのように答えた。
「だってかっこいいじゃない。クールで頭良くて、あんまり女子に興味なさそうなとことか」
彼女の評価の通り、彼方は顔も頭もいいし性格はクールだ。
しかし天音としては、優しい性格の葉月と比べたら断然葉月の方が魅力的だと感じる。
クールも結構だが、優しい人間がモテるべきではないか。
「前に告白した葉月くんと全然タイプ違うじゃん。好み変わったの?」
「綾部くんと逢坂くんっていったら、この学校で一二を争う人気よ? 両方好きな女子なんて珍しくないわよ」
聞けば、女子の少ないこの学校でも彼方は十回以上告白されているとのこと。厳密なデータではないが大きく外れてはいないはずだという。
彼方本人は『年に一回程度ではない』と言っていたが、あれでも謙遜していたらしい。
「そんなに人気ならなおさら無理じゃない?」
「あんただって逢坂くんと付き合えたんだから、私だってチャンスはあるはずよ」
道理といえば道理か。
「まー、訊くぐらいは訊いてみてもいいけど」
仮に『いない』という答えであったところであまり期待が持てるとも思えない。
パーカーの男子は優実とうまくいったが、こちらはなんとも。
放課後。図書室にて。
今日も今日とて、彼方のスパルタ教育だ。
「なんだ、この『しんにょう』か『えんにょう』か分からない部首は?」
「いや、迷ったから曖昧に書いとけば合ってる方に取ってもらえるかなーって」
こんな受け答えをしたら平手で机を叩かれた。
「そんな親切な採点者がいるか! 曖昧なのは全部不正解だ!」
「や、やっぱり……?」
これだけうるさくしていると周りから怒られそうだが、他の生徒たちも雑談をしていたりしてさほど静かな空間でない為見逃されている。
「まったく。こいつを葉月に近いレベルまで成長させるなんて気が遠くなるな……」
彼方でも余裕で入れるような大学ではないだけに、天音が目指すのはかなり無謀なことだ。おそらく首席で合格する葉月とはある程度離れていて構わないにしても。
(こんな無茶に付き合ってくれてるのはありがたいことかな……)
『付き合う』というフレーズが頭に浮かんだところで頼まれていたことを思い出した。
一応訊いてみるか。
「あのさ……彼方にちょっと……ええと……」
「なんだよ?」
いざ恋人の有無を尋ねるとなると緊張してきた。柄にもなく口ごもってしまう。
自分のことでないとはいえ、恋愛に関する話をするのは恥ずかしさを感じるものだ。
「き、訊きたいことがあるんだけど……!」
何故か顔が赤くなってしまう。
「だから、なんだ?」
彼方は若干イラついた調子で先を促す。
「か、彼方って彼女いるの……?」
なんとか約束は果たした。後は彼方の回答を伝えればいいだけ。
「なんでお前がそんなこと知りたがる?」
「いや、友達が知りたがってて……」
実在しない友達の話に聞こえそうだが、本当に友達から頼まれたので仕方ない。
彼方が口を開きかけた時、入口の辺りでガタッという物音がした。
続けて誰かが走り去るような音も。
なんとなく嫌な予感がする。
「もしかして葉月か?」
彼方は天音と同じ予感を、より明確に認識したようだ。
葉月がこちらの様子を見にきたのかもしれない。
だが、今の会話を聞かれたのだとしたら――。
状況を理解した天音は急いで図書室を飛び出した。
「あ……!」
距離は離れているが葉月の後ろ姿が見えた。
「葉月くん!」
声が聞こえたかどうかは分からない。ただ、止まってくれそうにはない。
勉強と違って足の速さには自信がある。追いつこうとスピードを速めるが。
「いだっ――」
見事に素っ転んだ。
遊園地での一件といい、天音は肝心なところでヘマをする。
「天音さん……!」
怪我の功名というべきか、心配してくれたらしく葉月が足を止めた。
よろよろと立ち上がった天音は、不安げな顔で立ち止まっている葉月に歩み寄る。
「なんか今の誤解してない……?」
「誤解なの……?」
おそるおそる尋ねると聞き返された。
「いや、あたしが彼方のこと意識してるっぽく見えたかもしれないけど、あれは友達に頼まれただけなんだって!」
誤解を招いたのはほぼ確実なので、事情をはっきり打ち明ける。
やましいところはなかったからこそ、こんな事態になることは想像していなかった。
「そう……なんだ……」
事実を知ってもなお葉月の表情は曇ったまま。
「え? あれ? なんかまだ引っかかることある?」
天音が浮気などしていないと分かればそれで万事解決だと思ったのだが。
「天音さんは嘘なんてついてないんだろうけど……、本当に僕のこと彼方くんより好きなのか分からなくて……」
そんなことを考えていたのか。
「いやいや、彼方より葉月くんの方がいいに決まってるよ! 比べるまでもないって!」
彼女がいるのかを訊いた件を別にしてもそんな疑いを持たれていたとは思わなくて困惑する。
「でも……、僕とはなんか距離があるし……。彼方くんといる方が楽しいんじゃない?」
彼方といて何が楽しいものか。あれは苦行だ。
それにしても、葉月が距離を感じていたとは。天音としてはばっちり相思相愛のつもりだったのでショックだ。
しかし、一番辛いのはそのように悩んでいた葉月自身だろう。
なんとか安心してもらわなければならない。
「距離があるって、どうしてそう思うの?」
「なんていうか……、大事にされすぎてて……。僕は天音さんの身内になりきれてないんんじゃないかなって」
言われてみれば、親しい仲の者は互いに遠慮をせずにぶつかり合う気はする。
といっても、これも自分の場合は誤解だ。
「あたしが葉月くんのこと大事にするのは距離が遠いからじゃないよ! 確かに彼方には遠慮しないけど、好きとかそういうんじゃないし」
どう言えば分かってもらえるか。
こういう時、頭の回転の遅さがもどかしい。
「そもそも彼方と仲良くなったのだって葉月くんがいてこそだよ?」
そうこれだ。下の名前を呼んだりして親しくはなったが、それは葉月を助けるという目的が合致しているから。彼方単独なら特に親しくなる理由がない。
「そう……なのかな……」
「葉月くんもあたしに優しくしてくれるけど、他人だと思ってるからじゃないよね?」
葉月は恐怖症で他の女子に触れられないぐらいだ。天音を一番に想ってくれていることに疑いの余地はない。
「もちろん。でも、僕と天音さんってタイプが違うし……」
葉月は以前から真面目な優等生であることについてコンプレックスを持っているようではあった。
十人に訊けば十人が葉月のタイプを評価すると思うが、葉月にしてみれば能天気な天音の性格が眩しかったのかもしれない。
親友の優実を本人が嫌がるあだ名で呼んでいることからも、天音にはフランクな付き合いを好む傾向が見受けられる。
だが、葉月のことが最も好きで、それ故に最大限丁重に扱っているというのは間違いのない真実だ。
「ひょっとして葉月くんってさ、『くん』付けで呼ばれるのは距離を置かれてるからだと思ってる?」
男子はそうでもないが、女子で葉月を呼び捨てにする者はあまりいない。女子生徒の数が少ないこともあり、この学校内では見たことがない気がする。
「それは……そうかも。女の子とはまともに遊んだこともなかったし、なんとなく壁があるような……」
その壁はおそらく葉月自身が作ってしまっているものだ。恐怖症とは直接関係なく。
「実はさ、彼方に彼女がいないか訊いてほしいって頼んできたのって、前に葉月くんに告白してきた奴なんだ。あいつにしてもあたしにしても、告白する時はすごく勇気を出してたんだよ? どんな呼び方するにしても、大好きな人にじゃないとそんな勇気出せない。葉月くんはみんなに愛されてるんだよ」
「僕が愛されて……」
他の女子と仲良くなられたら嫌だが、葉月が全校女子の憧れの的であることは天音の自慢だ。
「葉月くんはあたしに自信持っていいって言ってくれたけど、葉月くんもあたしから愛されてるって自信を持っていいと思う」
誰にでもコンプレックスはあるものだ。
葉月のように勉強も運動もできる美男子だと、他人からは何も悩む必要がないように見られがちだが、こういう面ではお互い自信を与え合わないといけない。
「そっかそうだよね。天音さんはずっと僕によくしてくれてたのに変なこと言ってごめんね」
やっと葉月が笑顔になってくれた。
元はといえば紛らわしい言動をした天音が悪いのだから、こちらが謝るべきだ。
しかし謝罪ばかりし合っても暗くなるので、代わりに別のことを考えた。
「そうだ。あたしにとって葉月くんが一番だって証拠を見せるよ」
天音を追って出てきた彼方に手招きをする。
その彼方の目の前で、葉月をぐっと抱き寄せる。
初めての時より力強く、それでいて繊細な愛を込めて口づけた。
しっとりとしてなめらかな葉月の唇を解放してから告げる。
「彼方の方が好きだったらこんなことできないよね」
「あ……」
安心のせいか、葉月の目が潤む。
彼方は不機嫌そうにしているが気にしない。
(もう大丈夫だよね)
抱きしめている腕を解こうかとした時、葉月の側から身を寄せてきた。
「じゃあ、今度は僕が天音さんを信じてる証拠を見せるよ」
全女子がうらやむ葉月からのキス。それを受けることができた。
二人は人目もはばからず愛を確かめ合った。
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