第二部 恋人編

第14話「恋愛」

「ちょっといいか、藤堂」

 学校の休憩時間。パーカーを着た男子から廊下に呼び出される天音。

 なんとなく前にもこんなことがあった気がする。

「何、あたしに用?」

「お前に頼みたいことがあってな……」

 微妙に言い出しづらそうにしている。

 そもそも前に話したのはいつだっただろうか。

「お前、佐伯と仲いいだろ? なんかこう……おれに紹介? してくれないか?」

「誰それ?」

 聞きなれない名前だ。

「誰って、親友じゃねーのかよ」

 男子は呆れ顔で突っ込んでくるが、覚えていないものは覚えていない。

「あたしの親友……? 誰がいたかな……。『さえき』でしょ? どんな字書くの?」

「ホントに親友かよ……。佐伯優実だっての」

「ゆみ……? もしかして、ゆみやん?」

「そうだよ!」

 正解らしいが、いまひとつ苗字と名前の組み合わせがしっくりこない。

「ゆみやんならゆみやんって言ってくれないと分かんないじゃん」

「分かれよ」

「で? ゆみやんがどうしたって?」

「だから、おれと佐伯の仲を取り持ってほしいって話だよ」

「ひょっとしてあんた、ゆみやんのこと好きなの?」

「ひょっとするから言ってんじゃねーか」

 優実とは長い付き合いだが、浮いた話はあまり聞いてこなかった。

 興味深くはあるが。

「なんであたしがそんなこと」

 わざわざ力を貸す義理があるとも思えない。勝手に告白でもすればいいのではないか。

「前に、葉月が女性恐怖症だってこと教えてやっただろ。それを知らなかったらお前は今頃葉月と付き合えてない。おれは恩人じゃねーか」

「ん? ああ! あの時の!」

 ようやく記憶が鮮明になった。

 葉月に告白しようとしたところをこの男子に止められて、なんとか玉砕を免れたのだ。

 その後、天音はいったん告白をあきらめたのだが、葉月が女性恐怖症を治す為のリハビリ相手を探していると知って協力を申し出たのだった。

 途中、葉月の親友である彼方から厳しい言葉を浴びせられたり、遊園地で怪我をしたりもしたが、先日晴れて恋人になれた。

 葉月との交際に至るまでの経緯を振り返ってみると、こんな感じだったはず。

 何も知らずに告白していたら今の関係はなかったという意味では、目の前の男子に助けられたともいえる。

 仕方ない、手を貸してやろう。

「ゆみやーん。こいつがゆみやんのこと好きだってー」

「ええ!?」

「おい!」

 教室内に呼びかけると、優実とパーカーの男子が揃って声を上げた。

 優実が席から立ち上がってこちらに歩み寄ってくる。

「それホント?」

 優実はかすかに頬を紅潮させて、本人に確認する。

「あ、ああ……。できれば付き合ってほしい……」

 男子の方も恥ずかしがりながら肯定した。

「んー。分かった。いいよ」

 少し考える仕草をした優実だったが、すぐ告白を受け入れる返事をした。

「おお! やった!」

 喜ぶパーカー男子。

「そんなあっさり!?」

 今度は天音が声を上げることに。

「天音があっさり言ってきたんじゃん」

 冷静に戻った様子の優実が天音に突っ込みを入れる。

 あっさり言ったのは凝った作戦を練るのが面倒だったからだ。

 後は当人同士で交流を深めればいいと思っていたのだが、もう恋人とは。

「こんな簡単にカップル成立するもんなの……? あたしの苦労は何?」

「天音は高望みしてたから」

 優実の指摘ももっともではある。

「ま、まあ、葉月くんはそんじょそこらの男子とは違うからね!」

 逢坂葉月――頭脳明晰、文武両道、品行方正で非の打ちどころがない美少年。

 天音では到底釣り合わないはずの相手なのだから少々の苦労はあって当然。むしろリハビリ内容がさして難しくなかったから楽をできたぐらいだ。

「呼んだ?」

 いつの間にか葉月がそばに来ていた。

 武術にも秀でた彼だが、その体型は華奢で守りたくなる存在でもある。

 そんな彼の肩を抱いて説明する。

「あの二人が付き合うことになったらしいんだけど、あたしたちの方がカップルとしてのレベルが上だよねって話」

 実のところ、葉月の女性恐怖症は治っていない。こうして触れられるのは恋人の天音だけだ。

「上なのは逢坂くんだけでしょ」

 優実からは冷めた目で見られる。

「女子の方は……佐伯の方がずっとかわいいだろ」

 続けてパーカーの男子も照れながら言う。

「ありがと。天音に負けてなくて安心したよ」

 どうやらあちらもうまくやっていけそうだ。

「なになに? 藤堂と逢坂くんに続いてカップル誕生?」

 女子生徒も寄ってきた。

 天音は半ば反射的に葉月を後ろに隠す。

「ゆみやんたちがね。詳しいことは本人たちから聞いて。あたしは葉月くんと過ごすから」

 女子から離れさせるように葉月の背中を押していく。

 その様を見て優実がため息を一つ。

「天音以外には指も触れられないって、一時より悪化してるのよね」

 リハビリを締めくくる疑似デートの帰り道で、天音と葉月は両想いであることが判明した。

 その際に抱き合ったので、女性恐怖症が治ったのかと思われたが、後日そのことを報告した際に優実と握手した葉月は拒否反応が出て天音の陰に隠れてしまったのだ。

 疑似デートの直前までは、軽く手が触れる程度なら大丈夫になっていたので、微妙に逆戻りした中途半端な形でリハビリは終わっている。

「葉月くんはあたしだけのものだからこれでいいの」

 天音は全く悪びれていないが、葉月はやや申し訳なさそうな態度。

「ある程度距離が空いてたら話すぐらいはできるから……」

「肩がぶつかったりしたら?」

 女子が葉月に尋ねる。

「多分、拒否反応が……」

 うつむきかけた葉月。

 しかし、すぐ顔を上げて。

「あ、でも、ひょっとしたら少しは良くなるかも」

 葉月自身が発言の意図を語る前に、彼の親友がやってきた。

「藤堂も辛うじて女ではあるからな。当初の予定通り、慣れてはいくだろ」

 綾部彼方――口は悪いが葉月の隣に立って恥ずかしくない美男子。天音の次に葉月を大切にしているのは彼だろう。

 天音がなまじ女らしかったりすればリハビリの相手役に選ばれなかったので好都合ではあったのだが、それにしても『辛うじて』とは。口が悪いのは間違いない。

「藤堂に慣れれば慣れるほど、私たちからは離れていかない?」

 女子の中にも口の悪い奴がいる。

「天音さんに触れられるのは別に天音さんを女の子として見てないからって訳じゃないよ……?」

 葉月が真面目にフォローしてくれる。

「葉月くんさえそう言ってくれれば、他の連中はどうでもいいよ。二人だけの世界で生きていこうね」

 軽口を叩く天音に対し、彼方は鋭い視線を向けてきた。

「それは同じ大学に行けたらの話だぞ」

「うっ……」

 そうだった。女性恐怖症の葉月を守る為には、卒業後、大学生活で近くにいなくてはならないのだ。

 前述の通り、葉月は頭脳明晰。大学も偏差値の高いところにいく。

 それにひきかえ、天音はこの高校での成績も下から数えた方が早いぐらいだ。

 大学受験まで一年を切っている今、必死で勉強をしなければ追いつけない。

「たっぷりしごいてやるから覚悟しとけよ」

「な、なんとか頑張るよ……」

 葉月も応援してくれている以上、やる気を出さざるをえない。

 まだ彼方は指導内容を考えている途中らしいが、決まればスパルタ教育の開始だ。

「天音さんならできるよ。信じてるからね」


 下校時刻となった。

 今では葉月を彼の自宅まで送り届けるのが日課となっている。

 帰り道でも女性に出くわすかもしれない。

 いついかなる時でも葉月のナイトを務めるのが天音の信条だ。

 校門を出た辺りで、手をつなぐ。

(葉月くんの手、スベスベで気持ちいいなぁ)

 身体に触れることを長らく禁じられていただけに、この程度でもドキドキする。

(あたしの手ってどうなんだろう。あんまり綺麗でもない気がするけど……)

 そんな天音の興奮と心配をよそに、葉月は幸せそうに身を寄せてきている。

 この姿だけを見て葉月が女性恐怖症だと思う者はいまい。

「いつもありがとう。天音さん」

「ん、どうしたの?」

「なんていうか、リハビリを始めた頃からずっと天音さんには助けてもらってばかりだから」

 葉月は微笑んでくれていて、卑屈になっている風ではない。

 ただ、これは言っておくべきだ。

「遊園地で不良に襲われた時は葉月くんが助けてくれたでしょ? それに、どっちが多く助けたかとか気にしなくていいのが恋人じゃない?」

 友達付き合いでもそう。自分が助けてやったからその分を返せ、というのは愛情や友情のある関係ではない。

「そうだね。うん、分かる気がする。だから謝るのはやめておくよ。天音さんは自分で思っているよりも賢いんじゃないかな?」

 うなずいた葉月は、予想外の褒め言葉をくれた。

「いやー、賢いって訳じゃないと思うよ? 単にあたしはそう考えてるってだけで」

 葉月と同じ大学に行くためにも学力は高めなければならないが、地頭のいい才女でないことは確かだ。

「前に遊園地に行った時にさ、正解の宝箱を選んだ後、僕は天音さんも同じことができる人だと嬉しいって言ったよね。あれは、僕を助けることを決めたのが天音さんにとって合理的な判断だったらいいなって意味なんだ」

「あっ、そういう意味だったんだ。あんまりにもバカすぎる女は嫌ってことかと思ってた」

「僕を助けることが天音さんにとっての正解なんだとしたら僕らは両想いなんじゃないかなって。実際そうだったんだから、天音さんは判断を間違えてない。天音さんは賢いってことだよ」

 そんな真剣な面持ちで言われると照れる。

「あはは、あたしも計算高いとこあるからね。綾部くんに言ったら『普段から計算して行動してたらこんなに頭悪い訳ないだろ』って突っ込まれちゃったけど」

 今度は葉月が目を伏せて持論を語り出した。

「『知恵』って言葉と『知識』って言葉があるよね? 学校――特に高校以前――の勉強で求められるのは主に『知識』だけど、本当に大事なのは『知恵』の方だと思うんだ。『知識』だけたくさん持ってても『知恵』がないと間違った使い方をしちゃうし、『知識』は後から人が教えることもできるから」

 いったん言葉を区切った葉月は、天音の目を見据えて告げてくる。

「天音さんには知恵があるよ。後は知識だけ。ちょっと勉強すれば僕や彼方くんに追いつくことはできるから自信を持って」

 ここまで言ってもらえたら自信も湧いてくる。宣言から日が経つにつれて増していた不安が払拭された。

 葉月の家の前に着く。

 立派な庭付きの一戸建て。葉月の上品さから家柄もいいのだろうと予想していたが、その予想は的中していると見て間違いない。

「そろそろ葉月くんのご両親にもごあいさつしたいとこなんだけどなー」

 勝手に付き合っていてもいいのだが、親公認という関係に憧れる部分はある。

 まして結婚まで視野に入れたら親を無視することはできない。

 ちなみに天音の両親は相手さえいれば誰でもOKというスタンスなので、こちらは葉月に適当なタイミングで家に来てもらえばいいだけだ。

「うーん。なんて言われるかなぁ」

 葉月はやや不安げ。

「やっぱり葉月くんのお父さんとかお母さんって厳しい人なの?」

 漠然としたイメージでしかないが、格の高い家の人間は気難しいものなのではないか。

 葉月自身は優しい性格だが、彼の品の良さは厳しい躾によるものかもしれない。

「優しいといえば優しいんだけどね……」

 なんだかはっきりしない言い方だ。

「あっ。あたしの大学合格が決まった時に会えば印象がいいかも」

 葉月のために努力した結果が出ているということだから、恋人として認めてもらいやすいだろう。

「そうだね。それがいいんじゃないかな」

 葉月の口振りからしても、今すぐ手土産もなしに会うのは得策ではない。

 今日のところは葉月とだけあいさつを交わして天音も家路についた。

 葉月の両親が、どのように優しいのか、どのように厳しいのかを知るのはまだ先のことだった。

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