第11話「失態」

 迷宮のアトラクションは無事にクリア。

 今度は急流すべりに来ている。

 定番といえばジェットコースターかと思ったが、過激さだけが売りであるかのごとく凄絶せいぜつな動きをするようなので繊細な人間が乗るものではないと判断した。


「け、結構高いとこまで来たね。まあ、バカと煙は――っていうし、あたしは平気だけど」

 平気なはずなので、賢い人の心配をすることに。

「葉月くんはだいじょ――ひゃわっ‼」

 喋っている最中にいきなり落ちて、どこぞの親友が聞いていたら冷やかされそうな声を出してしまう。

 ボートが水面に突っ込んで激しいしぶきが降りかかった。

「はー、びっくりした。葉月くん大丈夫?」

「うん。僕もびっくりしたけど、楽しかった」

「わっ――」

 またしても声を上げる天音。

(葉月くんの髪が濡れて……、な、なんか色っぽい……‼ これが水もしたたる――って奴か!)

「……? どうしたの、天音さん?」

 葉月はきょとんとして首をかしげている。

「あ、いや、あはは……」

 曖昧あいまいに笑ってごまかすほかない。

 それにしても、身体の拒否反応がないと逆に危険なのではないかと思えるほど本人は無防備だ。

 終点に着いたのでボートから降りる。

「えーっと、次はね――。って、あっ――!」

 スマートフォンでメモを確認しつつ、ボートのふちをまたごうとした瞬間、三度目の声が。

 しかし、今回は洒落しゃれにならない。

 先に降りた葉月に続いていたのだが、段差につまずいた。当然、前には葉月がいる。

(やばっ、葉月くんに――)

 手に触れるぐらいは問題なくなったが、もし全身にぶつかったら。

 ここまできて、葉月自身が嫌悪する拒否反応を出させてしまう訳になどいかない。

 どうにか身をそらして葉月との衝突はけた。

「がっ――!」

 その代わり、地面に身体を打ち付ける。

「天音さん!」

 葉月は叫ぶと共にそばにしゃがみ込んだ。

「大丈夫!?」

「あー、平気平気」

「ごめん……。受け止めてあげられたらよかったのに……。僕に気を遣って……」

 せっかく今まで明るい笑顔を見せてくれていたというのに、不注意のせいで葉月の表情を陰らせることに。

「い、いや! そんなの、あたしが勝手にドジっただけなんだから――」

 浮かれて気を抜きすぎていた自分の責任だ。そもそも葉月には、けてもらう権利こそあれど受け止める義務などない。

(今の勢い……、下手したら押し倒してたかも……。襲われた時の再現なんて……そんなこと絶対……)

 最悪の事態はまぬがれたのだ、あとは元気な姿を見せて安心してもらおう。

 起き上がる為、両手に力を入れる。

「痛ッ――‼」

 右手に激痛を感じて、もう一度倒れた。

「天音さん!?」

「だ、大丈夫だよ」

 今度は左手だけを使って身を起こす。

「無茶な転び方したから、右手怪我したんじゃ……」

 動作を見れば分かってしまうだろう。

「そ、そんな大したことないよ。どのみちあたしの自業自得だし」

「それでも……、僕がまともだったら、こんなことには……」

「――‼ ち、違うよ! 葉月くんは何も悪くないんだから、何も気にすることなんて――」

 くだらないミスのせいで、葉月に、自分がまともな人間でないという感覚を与えてしまった。

「こんなの身体が痛いだけで、葉月くんとデートできる嬉しさに比べたらなんでもないよ。だから、次行こ、次!」

「――! と、とにかく手当てを」

「平気だってば。――あっ、係員さん。別に大した怪我じゃないでしょ?」

 駆け寄ってきていた係員に右手を見せる。

「いえ、私ではなんとも……。メディカルセンターに連絡いたしますので――」

「じゃあ、葉月くんには、ごくごく軽傷だって伝えるように言っといて」

 本人に聞こえないよう小声で頼んでおく。

「ねえ、キミ一人? お姉さんたちと遊ばない?」

「え……?」

 係員相手にひそひそ話をしている隙に、大学生らしき女性二人が葉月に声をかけていた。

(はぁっ!? すぐそばにあたしいるんですけど!? 葉月くん困ってんじゃん!)

 女子大生たちの目には、天音が恋人どころか単なる連れにすら見えていないらしい。

「い、いえ! 彼女と一緒に来てるので――!」

 告白とはまた違う状況だったが、葉月はきっぱり断った。

 そして、天音のほうに顔を向けたのだが。

「今どっか行ってるんでしょ? 帰ってくるまででいいからさー」

 あくまでも天音は恋人に見えないと。

 はっきり断っても引き下がらない場合の練習はしていない。

「ちょっと‼」

 天音は、葉月の手を引っ張ろうとしていた女子大生の手をはたき落とした。右手で。

「――ッ! 痛っだああ――‼」

 啖呵たんかの一つでも切りたかったのだが、右手を押さえてその場にうずくまる。

「あ、天音さん!」

 心配そうに天音の顔をのぞき込む葉月。

「何? あれが彼女? 変なの。もう行こ」

 そんな葉月をよそに、女子大生は興ざめした様子で立ち去った。

(あたしのアホ――‼ 左手使えばいいじゃん‼)


 メディカルセンターで応急処置を受けたが、早く帰ったほうがいいと言われてしまった。

 特に、二回も強打したのがまずかったようだ。

(なんであたし、自分はバカでしょうがないなんて思ってたんだろ……。肝心な時、好きな人のこと傷つけてんじゃん……)


 結局、予定の半分もこなせないまま擬似デートは終了。

 この先のゲートを出てしまえば、あとは帰るだけ。

「ごめんね。自分から誘っといて中途半端にしちゃって……。あっ、でも、さっき練習してないパターンだったのにちゃんと断れてたから、葉月くんはもう大丈夫だよ!」

「でも、天音さんがいなかったら……」

「あれは、たまたましつこかっただけで、葉月くんが行くような大学にはいないから」

 おそらく唯一の取り柄と思われる明るさで、空気だけでも軽くする方針にした。

「今日はありがとね。デートなんて初めてだったからすっごい楽しかったよ!」

「天音さんも……楽しかった? その……怪我までしたのに、それでも……?」

「そりゃあもう! 怪我と楽しいのは別問題だし。葉月くんとデートしたなんて言ったら、前に告白してきたあいつめちゃくちゃ悔しがるよ。『なんでその程度の怪我で済んでんのよ!?』とか言いそう」

 実際、ほとんどの者はぜいたくすぎる役得だと言うだろう。

「そっか……そうなんだ……」

 やっと葉月の表情もやわらいできた。

「そうだ! よく考えたらここまで飲まず食わずじゃない? ちょっと待ってて、ドリンク買ってくる!」

「え……、ちょっ――」

 空気感を保つ為、なるべく元気よく駆け出す。

「またナンパされそうになったら、受付の人に助け求めるんだよー」

 いっそゲートを出てしまえば安全だろう。

 今後も、強引に迫るやからが出る場所に葉月一人で行くことは考えにくい。真っ当な女性は怖がらなくなった以上、心配せずともナイトはいくらでもいる。


「すいませーん。カフェオレ二つ」

 注文してから気付いた。

(ミスった。片手使えないんだった)

 仕方なく左腕で抱えることに。

 売店から戻る道すがら、柄にもなく物思いにふけってみる。

(これで特別な関係も終わりか……。割のいい仕事だったな。葉月くんはやっぱりあたしの期待通りの子なんだって確かめられたし)

 どう勘定しても得しかしていない。もうかったはずなのに切ないのは、一度ありついたおいしい仕事を手放すのが惜しいからか。

(……葉月くんと付き合えるとかだったら、どんな重労働でもよかったのにな……。そしたら本当のデートが――)

 そこまで考えたところで思い出す。

 彼方からは正当な報酬として許可されたが、一応葉月本人にはリハビリの一環と伝えていたはず。それにも関わらず、後半『葉月くんとデートできて楽しかった!』などと口走っていた。三の次であるべき自分の楽しみの話だ。

「あいたっ」

 ごちゃごちゃ考え事をしていたせいで前方不注意になっていた。

「すいませ――」

 ぶつかった相手に謝ろうとしたが、その人相を見て凍りつく。

「ああん? テメェどこに目ェつけてんだ」

 いかにも素行の悪そうなお兄様が三人。男性恐怖症でもなんでもない天音が見ても怖い。

 しかも運の悪いことに不安定な状態でカフェオレを運んでいる途中の出来事だ。

「どうしてくれんだ、俺の一張羅いっちょうらが台無しじゃねえか」

 言いながら詰め寄ってきて、いつの間にか人目につかないすみほうまで追い込まれていた。

「は、はい。弁償します……」

 普段の威勢はどこへやら、非常に慎ましい口調になっている。

「十万」

「え……」

「十万だ。さっさと出せ」

「そ、そんなにしないんじゃ……」

「ああ!? 俺が安もんを着てるってんのか!?」

「めめ、滅相もない。でもあたし五千円しか……」

「残りの九万五千。どっかから出せよ」

 ないものをどうやって出せというのか。かといって望み通りにしなければ、腹いせにぶん殴られそうな雰囲気。

(こうなったら片腕でもやってやるか? あたし、ケンカで負けたことはないよ!)

 事実だ。男子にも負けていない。

(――いや、無理じゃん‼ ケンカ自体小学生以来だよ‼)

 胸ぐらをつかんで締め付けられる。

「ねえのかよ?」

「兄貴、シメときますか?」

 こんなことをしている場合ではない。仮に喧嘩をして勝ったところで――。

(……怪我して帰ったんじゃ、また葉月くんに心配かける……。なんとか無傷で切り抜けないと……)

 天音はポケットからスマートフォンを取り出す。

「て、手持ちはないけど、あたしの携帯払いでなんか買って好きなとこ送ってよ。多分十万ぐらい枠があるはず……」

 親に立て替えてもらった上で、一年間小遣い抜きになるが背に腹はかえられない。

 葉月とのデート代だと思えば、ホストクラブなどに通うよりお得だ。

 端末を差し出したところ、子分だか舎弟だかの男が口を挟んできた。

「よく知らないっすけど、こいつの携帯料金使ったらどこ送ったか特定されるんじゃないっすか?」

 言われてみると、今時そのぐらいはできそうな気もする。

「テメェ、俺をハメようとしやがったな!」

「わー、違う違う‼ あたしはバカなだけで――」

 いよいよ殴られるかと思いきや、服を掴んでいたリーダー格らしき男の手が打ち払われた。

「――なんだ、テメェ」

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