第9話「恋人」

 天音と葉月の恋人設定は、思った以上にこうそうした。

 男友達のガードが解かれ、女子が話しかけるようにはなったが、『藤堂がキレるから』と天音に対する遠慮で節度を保った接し方をしている。

 女性恐怖症という事実は明かしていない。広く知れ渡れば、『女性に偏見を持っている』という偏見を持つ者が現れるだろう。あくまで天音の独占欲が強い設定だ。

 そうやって葉月は、女子とも関わりながらの学園生活を送り、放課後には告白を断る練習をしてきた。


「天音、ほんとに上手くいったの? 一回振られたんじゃ……」

「んー。ゆみやんこう見えて口固いよね?」

「どう見えてか知らないけど、秘密をバラしたりはしないよ」

「んじゃ、説明してもいいかな。ついてきて」

 昼休み、人がいないことを確かめつつ階段の踊り場まで移動した天音。

 そこで、優実に今までの流れをかいつまんで話した。

「ふーん、なるほどね。なんか変だと思ったらそういうことなんだ」

「最近になって告白対処法も身についたし一段落かな。それにしても――」

 天音は遠い目をして、ここしばらくの経験を思い出す。

「いやぁ、メンタル鍛えられたよ……。向かうところ敵なしだね」

 告白して振られる役は、当然ながら毎回天音が担っていた。

「そ、それはご愁傷さま……」

「あっ! 天音さん!」

 天音が親友に同情を求めていると、細身ほそみの人影が小走りに駆け寄ってくる。

「噂をすれば……」

「葉月くん。どうしたの?」

 どうやら天音を探していたらしく、見つかって嬉しそうだ。

「日頃の感謝を込めて、お弁当作ってきたんだけど。食べてくれる?」

「うん! 食べる食べる! わー、楽しみだなー。葉月くんのお弁当」

「け、献身的……! 逆に天音が作ったりはしないの?」

「あたし、調理には適してないから。その代わり好き嫌いはないし、おいしく食べるのは大得意だよ!」

「よかったー」

 にっこりと微笑む葉月。『恋人のフリ』だとバレないのも道理だろう。

「それにしても、天音と逢坂くんがカップルしてて自然に見えるなんて……。これが目の錯覚ってやつなのかな?」

 ずいぶん失礼なことを言う親友である。

「あ、天音さんのお友達だよね。今までちゃんとあいさつできなくてごめんなさい。逢坂葉月です。よろしく」

 葉月は優実に対して丁寧にお辞儀した。

「こちらこそ、よろしく。私は――」

「この子、ゆみやんね」

「ちょっ! 本名、名乗らせてよ!」

「葉月くんに名前覚えてもらおうなんて図々しいよ」

「その辺、演技じゃないんだ!?」

 そんなやり取りを眺める葉月の表情は柔らかく、とても楽しげだ。

「――逢坂くん、私が近くにいても平気そうだけど、やっぱり無理してるの?」

「ん……。天音さんのお友達だから正直に言っちゃうけど、まだ少し負担はかかってるかな……。でも、誰だって人に嫌われるのは怖いし、緊張して疲れたりもするんだから、僕だけ特別なんてことはないよ」

 柔和でかつ堂々とした振る舞いは、男友達と談笑していた時となんら変わらないように見える。

 問題なく会話ができ、手首から先であれば多少触れても周りが気付くほどの拒否反応は出なくなってきていた。

 そして、日常生活において恋人でもない異性とそれ以上のスキンシップをすることはまず要求されない。

(……今度こそ……あたしの役目は終わり……かな)

 悲しんではいけない。葉月が過去に負わされた心の傷を思えば、それがようやく癒えてきたことを思えば、この程度を悲しみと呼んでいいはずがなかった。


「ねえ、綾部くん」

 放課後、帰る直前の彼方を呼び止めた。

「藤堂か」

 今はもう、リハビリが毎日実施される訳ではなくなっている。

「葉月くん、元気になったよね?」

「ああ、お前の楽観視じゃなく、俺の目で見る分にも上手くいった」

 過去形だ。既に成功したも同然。もはや自分の出る幕こそない。

 葉月が友達とすら思ってくれなくなることはありえない。とても感謝してくれている。恋人気分も味わい、十分元はとった。

 しかし、高校を卒業してしまえば、いくら友達といっても疎遠そえんにはなっていくだろう。

 女性恐怖症が治った葉月に本物の恋人ができないはずがない。

 葉月に選ばれるほどの女性だ、清らかで誠実な人柄だと思われる。礼節や配慮を欠くことなく、真摯しんしに付き合っていき幸せになるのだろう。

「あたしみたいなバカでも、少しは役に立つもんでしょ」

「確かに、役に立ってないみたいな言い方は不躾ぶしつけだった。すまん」

 あの彼方が謝った。いや、初めから謝るつもりだったのだ。

 葉月の回復こそが最優先。自分が無礼者かどうか、天音が役立たずかどうか、そんな些末さまつなことを気にしてはいなかった。

 終わったあとなら、天音が気を抜いたところで問題ない。非礼をびることに何の躊躇ちゅうちょもないようだった。

「――ご褒美にさ。一回ぐらいデートさせてくれない? まだ恋人っていう設定なんだし」

「ああ」

 肯定的な反応が返ってきて、さすがに驚く。多少役立ったにせよ、そこは『ふざけてんのか?』と怒られそうなものだが。

「いいの? あたし自分は冗談言ってても、他人の冗談は真に受けるよ?」

「そもそもお前が葉月を助けたかった理由は好きだからじゃねーか。理由があって行動したのに、目的が一つも達成されなかったら割が合わんだろ」

「あ……」

 見透かされていた。道理で、理由の有無だけ尋ねて内容は訊かない訳だ。警戒させるような情報を葉月の耳に入れるべきではない。

 天音の、『葉月を助ける』という目的の根底には、『たとえ中途半端にであっても好感を持ってもらう』という目的があった。

 『好きだから相手からも好かれたい』、それが後者の目的を持つ理由であり、手前に存在している前者の目的を持つ理由でもあった。

 時間と労力を割き、怒られてもののしられても、葉月を助ける為に行動する――理由だ。

「思い残すことがないように行ってこいよ。それなりに目的は果たしたって実感する為に」

「あ、ありがとう……」

「気にすんな。お前と遊んで楽しめりゃ、嫌なことがあったのも忘れて癒されるだろ。利害が一致してるだけで、情けをかけてるんじゃねえ」

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