第5話「訓練」

 第一の目標、一定の距離で会話を継続させる。

「ごめんね……、こんな遠くから」

「ううん、最初からその予定だったんだし」

 確かにそのまま会話をするには不自然な距離感。繰り返しの中でだんだん間隔を詰めていく計画だが、その進捗しんちょく速度は天音の技量に依存いそんする。

(さて、何を話すか……。――あれ? 何話したらいいんだっけ……?)

 本来であれば、天音の方が好きな人相手に固くなってしまうシチュエーションだ。カウンセラーとして悩み相談に乗ってやれるほどの余裕があるはずもない。

「あー、えー」

 試しに『いい天気ですね』などとベタな台詞から始めてみることも考えたが、理解不能な人間と思われても困る。

 何か共通の話題でもあれば。

「ご、ご趣味は……?」

「え……?」

 学生同士の雑談なのだから、音楽なり映画なりスポーツなりと好きなものについて話せばいいかと思いはしたが。

(何このお見合いみたいな言い回し――‼ 早くも本性出始めてんじゃん!)

 いつもの歯にきぬ着せぬ物言いは、真面目で礼儀正しい葉月にフレンドリーさと受け取ってもらえるかどうか不安なので、なるべく丁寧な口調を心掛けたつもりだった。

 しかし、本当に礼節をわきまえた言葉遣いがいきなり身に付けば誰も苦労はしない。

「あ、今のナシ! もうちょい言葉を選んで……。普段どんなことを……、あ、いや、プライベートなことって訳じゃなくて……。好きなものとか……、あっ、好きっていっても食べ物の好みとかそういう……」

 本音が本音だけに、普通の言い方をしていても自らの邪心じゃしんを悟られないか無性に心配になる。

 人が見ていれば、むしろ自分が対人恐怖症か何かだと思われるのではないか。

「ふふっ」

 天音がしどろもどろで訳の分かるような分からないような戯言たわごといていると、葉月の口からつつましやかな笑い声がこぼれた。

「へ……?」

「あっ……ごめん。僕のことすごく気遣ってくれてるんだなって思って……。あはは……こんな距離取って話してるのに変……かな……?」

 努力していることは察してもらえたらしく、先ほどまでより空気が和らいだように感じる。

「ううん! 分かってもらえてよかったよ! はは、やっぱりベラベラしゃべってるだけじゃダメだね。肝心な時うまい言葉が出てこないし。コミュニケーションって奥が深い!」

 せっかく和やかになったムードを壊さない為にも努めて明るく答えた。

「それで……趣味の話だよね? あんまりこれといったのがなくて……。特別思い入れのある本もないし、テレビも時々しか見ないし。外に出かけるのは……まあ……ちょっとね……」

 外出となると、映画館に行くだけでも隣が女性客にならない保証はないし、男性客ばかり集まるような場所が葉月のしょうに合っているとは到底思えない。

「そ、そっか。まあ趣味なんて何か見つかった時始めればいいだけだし、あたしみたいに遊んでばっかより、ちゃんと勉強してる逢坂くんの方が立派だよね!」

 なんら他意はなく純粋にめたつもりだったのだが、葉月の表情はどこか陰ったように見える。

(あ、あれ……? 何かまずいこと言ったかな……? ええと何言ったんだっけ……)

 たった今口にした言葉すらすぐに思い出せないぐらいだ、ろくなことは言っていなかったのだろう。

「学校の勉強だけできても……。藤堂さんみたいに行動を起こせないから、結局誰かの役には立たないし……」

 友人とのやり取りを見る限り、どう考えても役立っている。葉月が相手でなければ突っ込みを入れたいところだ。

 しかも、動機の不純さなど知らず誰かの役に立つ行動と評価してくれる純真さに心が痛む。

「いやー、役に立つと思うよ? あたしはバカだから行動したって間違ったことするかもしれないし、逢坂くんみたいに賢い人が必要だよ!」

「――! 僕が……必要……」

 ごく当たり前のことしか言っていないつもりだったが、何か思うところがあるのかきょとんとした様子の葉月。

 そして、てっきり許容限界かと思っていた距離から少し歩み寄ってきた。

「藤堂さ――」

 葉月から呼びかけられ、反射的に自分からも近寄ろうとしてしまったその時、不意に背後から肩をつかまれる。

「一日目終了だ」

「――綾部くん」

 どうやら監視付きだったらしい。もっとも完全な二人きりを許されるほどの信用は期待していなかったが。

「誰がお前の方から近づいていいって言った?」

 肩を掴む力が強くなり骨がきしみ出す。

「いだだだだ、スイマセン。悪気はないんです。あたしバカだから何も考えてないんです。ウソだと思うならみんなに訊いてみて!」

「嘘だとは思わんが」

 ありがたいことに馬鹿だと信じてもらえたようで肩が壊れないうちに解放された。

「ちゃんと握力測定やっておいてよ、骨折れるじゃん!」

「あ、あの彼方くん。藤堂さんはわざわざ手伝ってくれてるんだから――」

「昨日確認しただろ。こいつにはこいつの目的があるのは。利害が一致してるだけで、助けてもらってるんじゃねえ」

 奉仕活動をしていないのは事実だが、この言われようはどうにも釈然としない。

「大体お前、大口叩いた割にまともな話できてないじゃねーか」

「う……」

 本当は今までの経験を活かしてリードするつもりだったのが、自分までおろおろしていて何のリハビリだか分からなくなっていた。

「葉月、こいつから妙なこと言われても気にしなくていいからな。馬鹿なのは本人も認めてんだし」

「そうそう、だからあたしが失言してもみんな笑ってくれるんだよ。人徳じんとくって奴だね!」

「葉月に分かるような徳を積めよ」

 天音の相手は切り上げて、葉月のそばに寄る彼方。

「無理する必要はないからな。他にも道はいくらでもある」

 葉月の性格上、無理をしなくていいからといってなまけるとは考えられない。『真面目にやれ』と言われても半日したら忘れている天音とは根本的に違っている。

 そういう意味で、『無理しなくていい』は葉月に対して、度が過ぎて裏目に出ない範囲で最大限の努力をするよううながす言葉だろう。

(さすが親友……! でもその辺りに察しがつくあたしもなかなか。出会ってからの時間に差があるだけでポテンシャルじゃ負けてないよ!)

 なんでも器用にこなす人間に憧れたこともあるが、今では葉月の心を理解する才能さえあれば十分に思えた。

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