第4話「関係」

 交渉の結果、見事、葉月のリハビリ相手としての地位を手にした天音。

 次の日から訓練を開始することとなった。


 朝の教室。

「頼む、葉月! 数学の宿題写させてくれ!」

「丸写ししたんじゃ勉強にならないよ……」

 自席の前で手を合わせる男子生徒に、控えめな微苦笑びくしょうを浮かべつつ答える葉月。

 困惑気味とはいえ、昨日の放課後に見た不安げな様子ではない。

 そして、世話になっているからといって本人の為にならないことを言われるがままに手伝ったりもせず、柔和にゅうわでありながらしっかりとした態度だ。

「そこをなんとか!」

「う~ん。あっ……確か数学って午後だったよね? 時間はあるし、写しながら説明聞いてくれる? 基本的な部分の理屈が分かれば今度から自力で解けるようになるよ」

「おお! 助かる!」

 相手の為だといって突き放す訳でもなく、あくまで面倒を見ながら成長をうながす方針らしい。

「そういうのこっちも頼む。俺ら今年受験生だろ。このままだと第一志望厳しいみたいで……」

「じゅ、受験の話かぁ。なんだか大事おおごとだね……。今だと多分そこまでの時間取れそうにないけど――受験が近づく頃までには」

 葉月は、途中少し考え込んだものの結構な手間がかかりそうな頼みも快諾かいだくした。

「ありがたい。俺、神も仏も信じてないけど逢坂様のことは信じるぜ」

 道理で磐石ばんじゃくの防御陣が形成されていた訳だ。葉月のコンディションは他の生徒にとっても自らの成績を左右する死活問題となっている。

「この分じゃ、葉月と同じ大学目指せる奴が出てくんのは期待できねえな。お前らせいぜい感謝はしとけよ」

 彼方としては、葉月の人望が誇らしい反面、他の者のていたらくには呆れるしかないといった様子。

「はぁ……。やっぱりすごいなぁ……葉月くん」

 天音は、そんな彼らを眺めてうっとりしている。

 もはや『頼りにされている』を通り越して『あがめられている』といっても過言ではない葉月だが、昨日は彼のか弱い一面もおがんでしまったのだ。

(このギャップたまんないなぁ)

 不謹慎なことでも考えるだけなら思想の自由である。

「天音、立ち直り早いね」

「ゆみやん」

「そのあだ名……。葉月くんの苗字は『オオサカ』じゃないよ? 『オウサカ』だよ?」

 葉月と出会う前からその呼び方なので関係がないのは分かりきっているが。

「……昨日あんな落ち込んでたんだから振られたんだろうけど、もう元に戻ったの?」

「ふふふ、ゆみやん。恋人じゃないけどあたし葉月くんと特別な関係になったんだよね」

 他の女子もいる場所だと便乗して寄ってくるかもしれないので今は近づけない。放課後に中庭で落ち合う約束だ。

「特別な関係って――あっ」

「おい藤堂、余計なこと話してんじゃねーよ」

 急に優実が声を上げ、何事かと思えば、先ほどまで向こうにいた彼方が背後まで迫っていた。

「いや……その……ちょっとぐらい自慢しても……」

「自慢なら結果を出してからにしろ」

 恐怖症が治ったあとで、『実は協力者の一人でした』程度なら問題ないということだろう。

「綾部くんが話しかけてくるってことは――。天音、ほんとに特別な関係なの?」

「そりゃあもう」

「何が特別な関係だ。思わせ振りな言い方すんな」

「だって具体的には言わないほうがいいんでしょ?」

「抽象的にも言わんほうがいい」

 そんな言い合いをしていると。

「藤堂あんた、綾部くんと何かあったの?」

 クラスの女子が数人集まってきた。この数人でほぼ全員だ。

「綾部くんとは何もないよ」

「でも珍しいよね、綾部くんが女子と話してるの」

「藤堂と何もないならアタシらと遊びに行こーよ」

 『便乗』とはつまりこういうことである。

「顔がいいだけの人は連れてってくれていいから。どうぞどうぞ」

「そういうあんたは何様なにさまよ」

 何やら彼方に気がありそうな女子からの罵声ばせいを聞き流しつつ、天音は既に放課後のことを考え始めていた。

「俺は当面忙しいんだよ」

「えー、つれない」

 放課後を待っている時に限って朝の時間すらなかなか終わらないように感じるが、あせっても仕方ない。

(葉月くんと話すこと整理しとくか)


 体感的にはいつもより長い授業が全て終わった放課後。

 中庭まで来てみると誰もいないようだった。どうやら残っている生徒はグラウンド側に集中しているらしい。

 ここの池にもこいが泳いでいたりするのだが、みな、勉強に部活に帰宅にとやるべきことが多くてのんびりしていられないようだ。

 葉月がまだいないのも予定通り。待たせてしまうか以前に、こちらからではどの程度の距離までがセーフなのか測りかねる。

 適当な場所に突っ立っておいて、葉月のほうから大丈夫な位置まで歩いてきてもらうのが無難だろう。

「あ……あの……」

 朝や昼に聞いていたものに比べて弱々しいが、この澄んだ声を間違えるはずはない。

「あっ、はづ……逢坂くん!」

 校舎の壁にもたれかかっていた天音がその方向へ向き直ると、中庭の入口、なんとか今の声が届くぐらいのところに葉月の姿を確認できた。

 思い返してみれば、昨日教室で話した時はもっと近づいてしまっていたが、間に彼方がいたおかげで平気だったのかもしれない。

 とはいえ、これが限界という訳ではないらしく、おそるおそるを進めながら話しかけてくる。

「よ……、よろしく、藤堂さん」

「う、うん、よろしくねっ」

 友好的な態度は示したいところだが、あまり大声を張り上げても威圧感を与えてしまうのではないか。話し方一つとってもバランス調整が難しい。

 もっとも天音の場合は、他の友達にも『うるさい』『やかましい』『騒々しい』と評判なのでちょうどいい機会だ。

「あ……その服……」

 天音なりに気をつかって、どうせなら服装も女性らしさを感じさせにくいものに、という判断のもとジャージに着替えてきている。

「ごめんね、わざわざ手間かけさせちゃって……」

「あ、いや、元々あたし気楽な格好のほうが好きっていうか。家でもジャージだから、着替えるタイミングの違いで手間は増えてないよ?」

 そうは言ってもまだ気まずい空気。葉月が友人の為にいている労力と比較したらないに等しい手間なのだが。

(ど、どうしよう……。いざ葉月くん前にしたらすごい緊張してきた……)

 一対一での会話だと、自分一人の言動で相手の態度が決まってくる。

 昨日少し声をかけた時は、調子のいいことを言っても彼方や先生が適度な突っ込みを入れてくれると当てにしていたのかもしれない。

 少々浮世離れした葉月のこと、誰もフォローしなかったら冗談が通じず本気にされてしまう可能性もある。

「ま、まあ、楽にしてて! ええと……」

 どこか腰をろせるスペースはないかと見回してみたが、あまりちゃんとしたところはなかった。

「とりあえず壁にでももたれてゆっくり話そっ」

 現時点における精一杯の間合いまで来ているようだったので、落ち着いて話せるよううながす。

 最初の目標は近づけるだけ近づいた上での会話を継続させることだ。

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