第3話「理由」

「はい、はいっ。あたしやる、リハビリの相手役」

 一同は、突然教室に入ってきた天音に目を向ける。

「なんだ藤堂、帰ってなかったのか」

 担任は単に疑問を持ったという程度。

「……っ」

 葉月は一瞬、息を詰まらせた。

「通りかがりじゃねえな。ずっとのぞき見してた訳だ」

 彼方からは特に不審と見られている感じだ。

「いや、鞄取りに来たら偶然ね……」

 そう言って自分の席を指差す。

「いずれにせよ話は聞いてたんだろ。その上で今の発言があると」

「う、うん、ダメ……?」

 おずおずと尋ねつつ、葉月の様子も確認。

 葉月は彼方のかげに半身を隠しながら不安そうに天音を見ていた。間違いなく怖がられてはいるだろう。

 女子と何も関わっていない時の葉月は、堂々としていて、みなに頼られている印象だった。

 葉月に勉強を見てもらったおかげで小テストの結果が良かったと感謝する者もいたし、スポーツをやってもチームの主力として扱われており、それらを鼻にかけない人柄にも好感を持たれている。

 周りの男子が色々と気をかせていたのも、それぐらいはしようと思うだけの義理があったからに違いない。

「ちゃんと協力するなら、こっちとしても文句はねえ」

「じゃあ……!」

 まず彼方の了承は得られそうだと喜んだのもつか

「だがな、少しずつ慣らすっていっても荒療治あらりょうじには違いない。『リハビリへの協力』である以上、葉月の回復が優先。最大限の注意を払って接してもらう必要がある」

 刺すような鋭い眼で見据みすえられる。

 確かにそれが道理だ。恐怖症というからには、何か心に傷を負っているとみて間違いない。下手をすれば傷口をえぐることになるのだから、中途半端な気持ちで協力するぐらいなら何もしない方がマシだろう。

「お前の負担は二の次、楽しみなんぞ三の次だ」

「う……」

 下心を読まれているのかもしれない。実際、葉月に近づきたくて声を上げたのだ。

 好きな人と一緒に遊びたい、あわよくば恋人に、などという考えだったら当然断られる。

「それでも俺たちに手を貸す理由はあるか?」

「そ、そりゃあ、逢坂くんも困ってるんだし、クラスメイトとしてもちろん全面的に協力するよ」

 ようは葉月の嫌がることをしなければいいのだ。二の次、三の次であっても勝手に楽しさを感じている分には問題ないはず。

「――理由をいてんじゃねえ。理由があるかないかを訊いてんだ」

「へっ……?」

 思わず頓狂とんきょうな声が出てしまった。

 てっきり、動機が不純で、すきあらば葉月に変なことでもするつもりではないかと疑われているのだと思ったが――、理由は訊いていないと。

(理由があるだけでいいなら、『女嫌いが治った葉月くんと結婚したい!』とかでもいいの?)

 さすがにそれはないだろうと冷静になった天音に対し、彼方は改めて質問の意図を告げる。

「困ってる奴がいたら助けてやるのが当たり前、なんてのは単なる社会通念だ。それは、落とし物を拾ってやる理由にはなっても、自分の時間を代償だいしょうにしてまでいつ終わるか分からないリハビリに付き合い続ける理由にはならねえ。だから訊いてんだよ、そこまでする理由があるかどうかを」

「――!」

 ようやく気が付いた。よこしまな心があるか以前に、そもそも責任を持って最後までやりげる保証がないのだ。

 仮にも自分の方から引き受けると言っておきながら、他にやることができたからと途中で投げ出してしまったら、それこそ女性不信におちいらせかねない。

 状況を悪化させない為には、天音本人が葉月の助けとなるその行動に十分な価値を見出みいだしている必要がある。

(あたしが……そこまでする理由……)

 人助けに至上の喜びを感じるような聖人君子であるはずはない。

 かといって、告白の目的であった『恋人になりたい』という欲求が叶う訳でもない。

 聖人になどなりえない自分には、困難な問題を抱えている葉月の助けになる理由はないということなのだろうか。

(い、いや、あるはず……! 葉月くんのこと大好きだし、助けないのが正解なんてそんな訳が……)

 ここで引き下がるのが正しい選択だとは、どうしても思いたくない。だから必死に理由を探している。

 しかし、昼前までは、告白を成功させて、恋人になって、デートもする、という未来を渇望かつぼうしていただけに、それは実現しないと分かっていて努力を続けられるのかというと――。

(あれ……? あたし告白失敗しても大丈夫なつもりじゃなかったっけ……? むしろほぼ間違いなく失敗するって分かってたのに、葉月くんにあたしの気持ちを知ってもらえれば十分意味はあるって)

 少なくとも『恋人になる』だけが自分の目的ではなかったはずだ。

 告白失敗の場合、葉月が心のどこかで自分からの好意を認識してくれていると考えて満足感を得る予定だった。

 葉月の胸の内は分からずとも、想像力で告白にかかった労力の元をとれる。

 ならば、リハビリ相手を務めた場合はどうか。

(治ったらお礼言ってくれるよね。葉月くんからのお礼だったらかなりの値打ち。それに治ったあと、普通に友達になってくれるよね。今までは遠くで見てるだけだったんだからすごい進展だよ……!)

 なんとなくいけそうな気がしてきた。第一、理由がないと駄目だと言われたら探さずにいられないほど引き受けたいのに理由がないはずがない。

「あ……あの……、ごめんね……」

 色々と物思いにふけっていると、葉月がか細い声で謝ってきた。

 いつの間にか下に向いていた顔を上げて、葉月の方を見る。

 元々はかなげな雰囲気の美しさを持っていて、そこが大きな魅力だったのだが、今の申し訳なさそうな表情には、せっかくの端正な顔立ちがもったいないという感想をいだいてしまった。

 繊細せんさいな作りのガラス細工も、実際に傷がついていては価値が下がる。壊れやすいが壊れずにいるものにこそ心をき付けられるものだ。

 傷がつき始めている原因は明白。

 自分のせいで悩まされている天音に対しての罪悪感しかない。

「いや、あいつが勝手に出てきたんだろ。お前が謝る必要はねーよ。事情知っててのこのこ現れる無神経な奴は気にかけなくていい」

「でも、誰かに手伝ってもらって治さないと……」

「あいつが使えなけりゃ他を探すし、役立たずばっかだったら俺んとこ来たらいい。うちで家事やってくれるなら将来養ってやるから」

「彼方くん――」

 二人の会話を聞いて天音にき上がった感情は、自分を道具扱いする彼方へのいきどおりではなかった。

(養う――綾部くんにはそこまでする理由が、そこまで葉月くんを想う気持ちがある……。でも、あたしの気持ちが負けてる訳がない!)

 二人の仲には嫉妬しっとせざるをえないが、葉月に対する想いの強さなら自信がある。

(そうだよ、葉月くんを想う心ならあたしの方が上! なんなら友達止まりでも他の彼氏作ってる連中の何倍も満足できるぐらいに――! 大体、理由は訊かなかったんだから別に不純な動機でもいいんじゃん。治った後、あたしと付き合ってくれる確率が一パーセントだとしても、他の男子より葉月くんの方が千倍魅力的なんだから断然お得! あたしはこう見えて計算高いんだからね、損得勘定でメリットが大きいならそれが理由だよ!)

 変に良心だの正義感だのを考えず、自分のリターンを基準にしたら案外あっさりと答えにたどり着いた。

「ふっ、くくっ……」

 自然と笑みもこぼれてくる。

 彼方がいぶかしげににらんでくるが気にしない。

「あるよ、理由! 訊かれてないから言わないけどすごいのがあるよ! もはや綾部くんの出る幕はないんじゃないかな!?」

「上等だ……!」

 天音が高らかに宣言すると、彼方も挑発的な態度で応えた。

 そんな彼方の後ろから顔をのぞかせて葉月が一言。

「あ……ありがとう」

「全然気にしなくていいよ! 大船に乗った気分でいてねっ」

 早速、葉月からの言葉をもらえてテンションも上がる。

「逢坂、本当にこいつでいいか? 俺の指導不足かもしれんがこいつ相当アホだぞ」

 よくよく考えたら本人そっちのけで話を進めていた。肝心の葉月から拒否されてしまったら、ここまでの熟考じゅっこう水泡すいほうすところだ。

「先生。自慢じゃないですけど、あたし近くで見ないと女かどうか分からないって言われますよ! 徐々に慣らしてくってことならあたしほどの適格者てきかくしゃはいないでしょう!」

 誇らしげに胸を張っているが、特段何かが目立つこともない。

「自慢せんでいい」

「だから自慢してないじゃないですか」

 そのやり取りを呆れた表情で見ていた彼方が、そっと葉月の肩に手を置く。

「悪いな、できればもう少しまともな奴見つけたかったんだが……」

「ううん。すごく、優しそう……」

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