第3話

 

 第三話


 この後、南門付近は騒然とした。今まで「首都の外に出せ」と文句を言っていた民衆も、いざ外に出れてしまう状況になると、怖じ気づいたのだった。彼らとしては、もしこの門を出てしまえば衛兵殺しの罪に加担したものとされるかも知れない、と考えたのである。

 なので、最前列の民衆は衛兵の死体の前で、行くも引くも出来ぬ状態でうろたえていた。

 そうこうしている内に、応援の守備隊が長い城壁を伝って駆けつけて来て、ようやく事態は収束していった。


 一方、伝令より報告を受けた大王デオドロスは激怒し、南門の責任者を処刑するようにすぐさま命じたが、責任者は既に王妃に殺され死んでいると聞かされ、怒りのぶつけどころを失っていた。

 しかし、元凶は王妃だと思い至り、王妃アラマスタを生死は問わず捕まえてくるように命令したのだった。

 さらに各関所に、王妃アラマスタを決して通してはならぬと、厳命した。

 ちなみに、諸侯や大臣は誰も王妃アラマスタをかばおうとはしなかったが、これはひとえに大王を恐れての事だった。

 さて、その大王デオドロスは、妻に逃げられるという醜聞が国中に広まるのでは、と気づいてそれを危惧し出した。

「皆の者よ。王妃アラマスタは首都を逃げ出した。しかし、逃げ出していない事にしたい」

 この大王の言葉に、彼の弟であるメネオロスが率直に尋ねた。

「偉大なる我が兄よ。それはどういう事なのだ?」

「うむ、我が可愛い弟よ。そして等しく愛しい諸侯よ。予の考えを聞いてくれ。王妃に逃げられる王など前代未聞だ。あってはならぬ。だから、逃げたのは王妃に似た何者かにしたい。たとえば侍女とか」

「おお、偉大なる兄よ。つまり、王妃に似た侍女が逃げ出して暴れている事にしようというのだな」

「そうだ」

 と、大王デオドロスは満足そうに頷いた。すると、王弟メネオロスは進言をした。

「そうなれば偉大なる兄よ。王妃アラマスタを捕まえるのではなく、王妃アラマスタに似た侍女を捕まえるように命令を変更せねばならないのではないか?」

「それもそうか、我が弟よ。お前は気が利くな。よし、急ぎそのように命令を変更せよ」

 こうして、捜索に駆り出された兵士や関所の衛兵達は、似て非なる二度の命令を受けることになるのだった。

 すると、一人の左大臣が手をあげた。

「偉大なる大王陛下。それならば本物の王妃アラマスタの身代わりを用意せねばなりません。逃げた偽物が居るなら、王宮には本物も居ねばなりません」

「なる程。お前の言うとおりだ、左大臣よ」

「そして、身代わりを即刻、処刑するのです。そうすれば処刑された身代わりが本物であり、逃げたアラマスタは偽物になります」

「ふむ。混乱してきたが、その通りな気がするぞ、左大臣よ」

 しかしその時、王弟メネオロスは難しい顔をした。

「だが、偉大なる兄よ。少し問題がある。あの王妃アラマスタは類い稀なる美女だ。しかも、彼女は背が高い。これに似た女を捜すのは骨が折れるぞ」

「ふーむ、それもそうか。何処までも忌々しいアラマスタめ・・・・・・。おい、酒をつげッ!」

 と、不機嫌になってきた大王デオドロスは、麗しい小姓に命じた。

 命を受け、小姓は急ぎデオドロスの持つ杯に酒をつごうとしたが、あまりに慌てていた為に大王の服に酒を掛けてしまった。

「も、申し訳御座いません」

「この痴れ者がッ!」

 そう吼え、大王デオドロスは小姓を殴ろうとしたが、小姓の顔をまじまじと見て、急に怒りの相を解いた。そして、大王デオドロスは邪悪な笑みを浮かべるのだった。

「閃いたぞ。こいつ、こいつだ。この小姓をアラマスタの身代わりにすればいい」

 この言葉に、諸侯や大臣は彼の顔をジッと見つめ頷いた。

「確かに、彼は中性的な顔立ちだし、王妃アラマスタに似てない事も無い。背も彼女と同じくらいだ」

「そうですな。かつらを付けて髪を長くし、綺麗に化粧して女装すれば、アラマスタの身代わりとしてこれ以上の逸材は無いでしょうな。それに処刑なら遠目ですから多少は顔が違っても、誰も気づかないでしょう」

 との王弟メネオロスや左大臣の言葉に、小姓は震え上がった。

「お許し下さいッ!処刑だけはなにとぞッッッ!」

 だが、彼の願いは聞き入れられなかった。

「ええい、うるさい。キルメア男子ならば潔く腹を決めい!さぁ、すぐさま始めるのだッ!連れて行け!」

 大王の命令に、小姓は兵士に連行されていく。そして、その後ろを左大臣が付いていき全ての手はずを整えようとするのだった。


 こうして夜闇に薄い灯りの中、王妃アラマスタ本人として一人の小姓が、声が出ぬように皮と金属で厳重に猿ぐつわされた上で、火あぶりの刑に処された。

 罪状は東カノンと通じた国家反逆罪である。

それを見届けたキルメア人達は歓声をあげ、偉大なる大王にさらなる忠誠を誓うのだった。


 その頃、当のアラマスタは侍女マリィと共に、林の中で野営をしていた。

 火を焚いてはいたが、木々で煙が隠れるように配慮してある。

 今、アラマスタは途中で仕留めた鳥を、剣に刺して焼いて食べていた。

 一方、侍女マリィは食欲が無いのか、アラマスタが途中で道行く旅人から奪った干し肉などをもそもそ食していた。

「マリィ、もっと食べなくていいの?」

「いえ、王妃様。食欲が無くて」

「そう。でも、無理にでも食べなきゃ戦場では死ぬわよ」

 とのアラマスタの言葉に、マリィはビクッと震えた。

「戦場・・・・・・。王妃様は今日より前に戦場で戦われた事がおありなのですか?」

「無いわよ。でも、父様や爺様から話は聞いていたわ。まっ、その話では食べ過ぎても良くないみたいだけどね。満腹の時に、腹を打たれると死んでしまうって。戦闘前や警戒時に食べる時は腹八分じゃなくて腹六部が良いみたいね」

「お、王妃様・・・・・・それで腹六部なのですか?」

 鶏肉を豪快にほおばるアラマスタを見て、マリィは唖然とした。

 対し、アラマスタは「ホホホ」と誤魔化すのだった。

 すると、草むらからガサゴソと音が響いた。明らかに小動物では無い。

 無音でアラマスタは剣を引き抜いた。

 だが、草むらより現れたのは、一匹のロバとそれにまたがる疲れ果てた老ポイティウスであった。

 これにアラマスタとマリィは互いに顔を見合わせた。

 すると、ポリティウスが何故か息を切らせながら少し恨めしそうに言うのだった。

「ヒドイですぞ、姫様。この老いぼれを置いていくなど」

「でも、あなた。よく私達を見付けられたわね」

 と、アラマスタは素直に感心した。

「マリィの気を探って来たのですじゃ。元々、荷物にマークも付けておりましたしの」

「ふーん、なら大王の追っ手も私達を追えるって事?」

「いえいえ、姫様。大王はロクに魔導士を抱えておりませぬ。さらに、今から私の魔導で気を隠蔽しますので、もう安心ですじゃ」

 そのポイティウスの説明に、アラマスタはフーンと納得したようである。

 

 気の隠蔽を終え、食事を摂っている老ポイティウスにアラマスタは声を掛けた。

「そう言えば私、考えた事があるの」

「ほう、なんですかな?」

「私達、偽名を考えた方が良いとおもうのよね」

「なる程。それは然りですじゃ」

 と、ポイティウスは同意した。そんな中、アラマスタは続けた。

「それで名前を考えたのよ。私達3人のね」

 この言葉に、マリィは少し不安な顔を見せるも、あえて何も言わなかった。

 さて、アラマスタは得意げに名前を披露した。

「それで、私の名前はアウラ。そよ風の女神の名前ね。マリィの名前はエリィ。これは裁きと復讐の女神エリィニュスからね」

 すると、マリィが提案した。

「姫様、私といたしましては、逆の方が宜しいかと存じます。姫様こそ復讐の女神にふさわしいかと」

「あら面白い冗談を言うのね、エリィ。私は私こそが、そよ風にふさわしいと思うわよ。ね、エリィ」

 そう何度も名前を念押され、マリィ改めエリィは「はいぃ」と了承するしかなかった。

 しょんぼりするエリィを後にポイティウスは次のように慰めた。

「まぁ、エリィ。復讐の女神エリィニュスは怖ろしい老婆と言われるが、時に一転して、美しき《慈みの女神》と変わったりするのだよ。それを考えれば悪く無い名前じゃよ」と。

 話を戻すと、老ポイティウスは自分の名付けが気になってきた。

「姫様・・・・・・では無く、アウラ様。私の名前は何でしょうかの?」

「あなたは太陽神ボイポスから取って・・・・・・ポイポスね」

「さ、左様ですか・・・・・・」

 あまり嬉しくないポイティウス改めポイポスだった。

 こうして夜は更けていく。

 一行はこの後、近くの村に隠れて逗留する事となる。

 これは追っ手が街道や獣道さえ警戒し出したからである。

 なので、物語を今一度、旅人レクへと戻す事としよう。


 

 ・・・・・・・・・・


 旅人レクはヴィス=ティージスによる毒を受け、この五日間意識を失っていた。

 彼の従者である名も無き魔導士は急ぎ彼を荷馬車に乗せて、谷間の隠れ村へと移動させて、そこで治療を施していた。

 本来ならば動かすべきでは無かったが、魔導士には確信があった。

 あの遠方より感じた雷の使い手、その脅威の暗黒魔導士が必ずや旅人レクを奪いに来ると。そして、レクの習得せし古代魔導騎士の力を自らのものにせんとするだろう、と。

 今、隠れ村は名も無き魔導士により隠匿の結界が張られている。

 しかし、辺りでは雷が鳴り響き、レクを執拗(しつよう)に探しているのが分かった。

『備えていて本当に良かった』と魔導士は思った。

 落雷は近くに来てからでは遅いのだ。遠くにその兆候を見た時に避難せねば、間に合わない。それはあらゆる災害、いや戦火にすら言えた。

 だが、人とは間近に迫らねば脅威を悟れない。それは生活などと密接に繋がっているからである。そもそも洪水・津波・落雷の多い地方に誰が住みたいか?しかし、そこしか住む場所が無いから彼らは住んでいるのであり、災害を常に自覚してしまうのは苦しみでもあった。

 雷は遠ざかっていった。ひとまずは安心だが、次に来るのは軍隊という名の厄災だろう。

 これこそが真に恐るべき災害であり、しかし人はその兆候が見えても見ぬ振りをするのである。何故ならば、周期のある天災と違い、それはたいてい前例が無いのだから。

 

 状況は悪い一方だった。

 レクの体調も安定せず、隠れ村の医師もお手上げで、名も無き魔導士も薬草を調合したりしたが、あまり効き目は無かった。

 意識さえ取り戻してくれれば、《内功》の技をレクが使ってくれれば、自己治癒能力が活性化し、毒も独りでに解毒されて排出されるかもしれない。だが、意識が無ければ当然の事ながら、そのような事は出来るはずも無い。

 魔導も万能では無く、他者の毒を治癒する術式を名も無き魔導士は知らない。

 回復魔法など、この時代、この世界には存在しない。

 それが彼にとって歯がゆかった。

 名も無き魔導士は自らの失態を何度も心の内で責めており、しかし、それに何の意味があるとの虚無感に苛(さいな)まれていた。焦燥感がつのっていく。

 部屋には共に避難してきた女店主が居た。魔導士はレクがそれを望むだろうと思い、女店主や彼女の村の人間を出来るだけ隠れ村へと避難させていた。

 そんな彼を女店主は心配した。

「あの・・・・・・大丈夫ですか?」

 女店主は名も無き魔導士を身分の高い者と判断したのか、敬語を使ってきていた。

 だが、真に身分高き者は毒を受け、昏睡状態にあるのだ。

「私は平気です。魔導士として体を変えてますから。食事や睡眠を取らずとも平気ですよ。しかし、お気遣いは感謝します。えぇと、アストゥナーシャさん、でしたよね?」

 諜報員でもある魔導士はむろん女店主の名をきちんと覚えていたが、一応、覚えづらそうな名前だと思い、あえてそう言った。

 そんな魔導士の胸中は知らず、女店主アストゥナーシャは頷いた。

「はい。どうかナーシャと呼んでください。それよりレクさんは大丈夫ですか?」

 との言葉に、魔導士は顔をそらして黙ってしまった。

 ナーシャは魔導士を気づかって何もそれ以上は言わず、レクの額に乗せられた布を水に浸して取り替えた。レクの熱は高く、ナーシャに出来る事はこれくらいだった。

(旅人さん。どうか目を覚まして・・・・・・。私はあなたにお礼も言えてないのよ)

 そう心の中で告げるナーシャであったが、レクの呻き声を聞き、心が張り裂けんばかりになった。


 一方、何も知らぬ旅人レクは深き夢を見ていた。

 そこではレクは少し若い姿と化していた。

 うら若きレクは砂細やかな砂漠を滑るように上下左右に進んでいた。

 魔導の力で、レクは走ることもなく果てない黄昏の砂漠を移動した。

 もはや、レクは重力からも解放されており、術式さえ唱えれば、魔方陣と共に跳び上がる事が出来た。ただし、それでもしばらくすると効力は切れ、抗いようも無い落下へと身を委ねた。とはいえ、その落下さえも、本来のものと比べれば緩やかであり、軽やかに砂に着地するのだった。

 

 今のレクは世界と同化していた。

 様々な色をした精霊(ジン)がレクを祝福し、彼を取り巻いては去って行った。

 精霊とは希薄なものなのだ。

 砂漠を超常的に謳歌するレク。

 いつしか辺りは夜の帳(とばり)に包まれ、今まで隠れていた精霊達が灯明の如きに色とりどりの姿を現わした。レクはそんな中を今度は自らの足で駆け巡った。

 しかし、彼の前に白ローブを纏った少年が立ちふさがった。

 彼の素顔は分からなかったが、彼は南方系であり、全ての始まりを感じさせた。

 白ローブの少年は告げる。

《レク。もう帰らないといけない》

「君は?」

《僕は何者でも無い。集合意識の一つに過ぎない。いや、その泡のようなもの。現れては消え、消えては現れる。幸いな事に、それでも僕は僕という存在を保ち続けられている。でも、レク。君は人であり、人がこの世界に長く居てはいけない。既に君は本当の名前を忘れてしまっている。レクという名前すら失いかけている。それすら失ってしまえば、君は自分を規定できなくなって、名も無き精霊と化してしまう。それはそれで悪く無い事かもしれないけど、君の運命はそれでは無い》

「僕の運命?」

《さぁ、目覚めに向かおう。それは段階的に行われる。忘れないで。君は君自身の名前を思い出さねばならない》

 この不思議な少年に、レクは何かを尋ねたかったが、次の瞬間、砂は崩れていきレクは暗闇へと呑み込まれていった。

 いや、それは転落では無く上昇なのだ。

 場は反転し、上下は逆を成す。レクはただ集合無意識の空を落ちるように昇っていった。


 気づけばレクは少年と化していた。

 目の前には師匠が居た。

 それは過去の焼き直しだった。

 師は告げる。

《×××××よ。これよりお前はその名を封じねばならぬ。それこそが古代魔導騎士の修行者にとり必要な事だ。故に、今よりお前はレクと名乗るが良い》

 対して、少年のレクは何の疑いも無く答えた。

「はい、マスター」

《私は単なる専修者(メイスター)であり主人(マスター)では無い。マスターと呼ばれるべきは聖職者か精霊か神々のみなのだ。『人』に対して、その言葉を使ってはならない。お前は奴隷ではないのだから。隷従して良いのは聖なる存在のみなのだ》

「はい、メイスター」

《宜しい。レクよ、これよりお前は人でありながら人を越える術を学ぶ。そして、それは肉体を暗黒体へと遷移させる魔導士とも違う。あくまで人の身を保ちながら魔導を操るのだ。それには不動なる心が要求される。世間法に流されるなかれ。欲望と欲求は常にお前の心を蝕もうとする。老いと死は常にお前を脅(おびや)かそうとする。名声と権力はお前を増上慢に堕とそうとする。愛と離苦はお前を狂気に導こうとする。恐れを抱(いだ)くなかれ。しかして、畏怖を常に心得よ。神々の影を決して踏むことなかれ。さて、では始めよう》

 こうして、かつて修行が始められたのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カノン興亡記 キール・アーカーシャ @keel-a

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る