第2話


 第二話


 カノン帝国は都市国家だった頃より変わらず首都の名もまたカノンであり、それは北の蛮族の侵攻を受けた後も同じであった。そして、キルメア人はキルメア帝国を自称し、首都カノンを中心とした西カノン領域を支配していた。

 そんな首都カノンであるが、かつての王宮はキルメア人の王族により利用されていた。

 ただし、首都制圧時の戦闘により後宮は破壊され、キルメア人はそれを再建しようとしなかったので、王妃や王女などの女性陣は比較的ガードの緩い王宮の一角に住む事になっていた。

 なので、本人達にやる気さえあれば、浮気相手の男を連れ込むのも簡単と言えた。

 そして、現にキルメア人の王妃アラマスタは東カノンから派遣されてきた外交官ベリウスを連れ込んでいた。

 ベリウスは軍人でもあり鍛え上げられて非常に引き締まった体をしていた。

 自身も剣の使い手であるアラマスタにとり、軟弱な男は相手として許せず、その点においてベリウスは高く合格していた。

 また、アラマスタが彼を気に入った大きな理由は、彼が女性を尊重する所だった。

 蛮族とも呼ばれるキルメア人は男尊女卑が強く、王妃であるアラマスタですら一般の男性貴族より下に見られる事があった。

 これが東カノン人であるベリウスと大きく違ったのだ。

 さらに、アラマスタは文明人であるカノン人に対して強い憧れがあり、ベリウスの教養に富んだ話も大いに楽しんで居た。

 アラマスタは子を産んでより夫である大王から褥(しとね)に呼ばれる事はなく、さらに我が子も幼い時分に事故で失っている。それより数年が過ぎ、その寂しさを彼女は埋めようとしていたのかも知れない。

 いずれにせよアラマスタは電撃的な恋にベリウスと落ち、その関係は互いを知るほどに深まっていたのだ。

 

 そして、その日も二人は侍女専用の部屋で逢い引きし、夜を共にした。

 今回もベリウスは先に寝てしまい、アラマスタは余韻にふけりながら横になっていた。

 どうにも、ベリウスは良くも悪くも年齢より老熟しているようで、こういった事に対する体力の衰えを感じていた。一方、アラマスタはかつて子を出産したにも関わらず、未だに若く美しく、その全身は鍛えられ洗練されており、体をもてあましていた。

 さて、この夜はどういうわけか全く寝付けず、アラマスタは小腹が空いたので隣の部屋で待機している侍女のマリィに夜食を作らせようと決意し、ベッドから起き上がった。

 すると眠っていたベリウスが気づいたのか「どうかしたのかい?」と尋ねた。

「お腹が空いたの。あなたも要る?」

 と言うと、ベリウスは「いや、いいよ。お休み」と答えて寝てしまった。

 まぁ彼の場合、空が白む前に帰らねばならないので、今の内に寝ておきたいのだろう。

 とはいえ、アラマスタとしては色んな体験を共有したかったので、少しつまらないのだった。

 むしろ、女の自分だけが夜食をたべるのが何ともみっともない気分がした。

 ただ、アラマスタは現実的な女性だったので、性欲と同じで食欲は満たさねばならないと思い、隣の部屋で寝ているであろう侍女を起こすために歩いて行った。

 何とも可哀相な侍女であるが、この日は別の意味で不幸だった。

 突如として兵士達が乱入して、彼女を拘束したのだった。

「止めて下さい。放して。何で私がッ?!」

 との侍女マリィの悲鳴が木霊した。

 一方、この騒ぎを聞き、アラマスタは急ぎ戻ってベリウスを揺さぶり起こした。

「起きて!」

 さて、危機察知能力の高いベリウスである。一瞬で目は覚め、剣を片手に裸のままで窓から逃げようとした。これにアラマスタは驚愕した。

「待って!私を置いてくの?」

「あなたは王族でしょうが、私は東カノン人で殺されてもおかしくありません。ごめん。愛しております、心から」

 と、こんな時に限ってほとんど敬語で去って行った。

 茫然とするアラマスタだったが、ついには扉が破られ王宮の兵士達がなだれこんできた。

 そして、ベッドに残された跡を彼らはきちんと確認し、証拠としてそのシーツを確保して、アラマスタを拘束した。

 こうして、王妃アラマスタは不義密通の罪で、地下牢に入れられたのである。

 

 地下牢での生活は彼女にとって最悪だった。食事も不味く、自由も無い。ベッドは硬いし、ジメジメとしているし、妙な虫も出るし、臭いも良くない。

 唯一の救いは同じ牢に侍女のマリィも収容されている事だった。

 ひたすら泣きじゃくるマリィに対しアラマスタは根拠も無しに「大丈夫よ、何とかなるわ」と励ますのだった。


 しばらくすると夫であり国王でもあるデオドロスが顔を見せた。だが彼がアラマスタに見せたのは汚物や虫ケラでも見るような視線だった。

 とはいえ、アラマスタは牢越しではあるが、朗らかに挨拶してみた。

「あら、大王様。お久しぶりね。そっちはお元気そうね。私は少し窮屈かしら。でもね、今回の事に関しては私も悪かったと思ってるわ。本当よ。でも、大王様も何十人も妾を囲ってて、私も黙認してたでしょ?ね?おあいこじゃない?」

 すると、国王デオドロスは侮蔑の表情を浮かべた。

「アラマスタよ。我が最も恥ずべき妻よ。予は基本、キルメアの女以外は抱かん。まぁ、西カノンの美女を頂くこともあるが、それは庶民であり何の力もない女だ。対してお前はどうだ?よりによって東カノンの外交官とよろしく致しているとは。それが何を意味するか分かっているのか?」

「いいえ、分からないから教えて頂戴」

 すると、デオドロスは深い溜息を吐いた。

「それは国家反逆にも繋がるのだ。分かるか?よりによって偉大なるキルメアの王妃が東カノンの犬とまぐわっていただと?今回の件は諸部族からも強い非難が出ている。ただでさえ、お前はキルメアの誇りを失い、カノン贔屓だからな。先王の娘であるお前が、このような事をしでかかすとは恥を知れ、恥を」

「・・・・・・そうね。亡き父上には申しわけ無く思うわ」

 ちなみに、現在の大王デオドロスはアラマスタとの結婚の際に王位を先王より譲られており、いわゆる娘婿的な立場であった。なので、当初はあまりアラマスタに頭が上がらなかったのだが、しばらくして先王が崩御すると、今までの反動もあり大王として横暴に振る舞いだしたのだ。

 元々、アラマスタにとってデオドロスとの結婚は、先王である父が勝手に決めたモノであり、彼女は嫌々ながらも王女の務めとして結婚生活を我慢していたのに、さらに凶暴化したデオドロスにはほとほと愛想がつきていた。

 とはいえ、そんな理屈はデオドロス側に通じるわけがなかった。

 さて話を戻すと、ここにきてようやくアラマスタは悟った。これはどうにもならないかも知れないと。

 まず第一に東カノンの人間と密通した事。そして、第二に女の身でありながら浮気をしたという事を心の内でデオドロスは怒り狂っている事。

 そして、このような場合、デオドロスは容赦が無いという事。

 今、アラマスタは処刑という可能性も頭にちらついていた。それ程までにデオドロスは凶暴であり、彼は今までに幾人もの忠臣を下らぬ理由で殺していたのだ。

 必死に頭を巡らせていると、デオドロスは不機嫌そうに口を開いた。

「それで何か聞きたい事はあるか?」

「ええ。ベリウスはどうなったのかしら?」

 だが、それを思わず尋ねてしまってから、アラマスタは深く後悔した。

 当然、デオドロスの不機嫌さは増し、とはいえそれでも答えてくれた。

「逃げられた。あの東カノンの犬め、逃げ足だけはどうにも早い。忌々しい事にな」

「そ、そう。それで、大王様。私はこれからどうなるのかしら?」

「・・・・・・国家反逆の罪は死刑だ。生きたまま火あぶりに処す、貴様ら二人はな」

 その無慈悲な宣告に侍女マリィは必死に嘆願した。

「お願いで御座います、偉大なる大王様。どうか、どうにか恩赦を。一生を幽閉で終わっても構いませぬ、どうか死罪だけはお許しを。私に出来る事ならば何でも致します。どうか」

 今、侍女マリィは地面に頭を擦りつけては上目遣いで目を潤ませていた。

 この小動物のような様を見て、デオドロスは少しためらいを見せたが、雑念を追い払うように首を横に振った。

「ならぬ。お前がキルメア人ならば予も心動かされたやも知れないが、お前は薄汚いカノン人。決して罪を緩めるわけにはいかぬ。特に国家反逆を裁く場に置いてはな。刑の執行は明日だ」

 そう宣言し、デオドロスは去って行ってしまった。

 すると、侍女マリィは今までに無くワッと泣き出してしまい、アラマスタの方も放心状態でそれを慰めるどころではなかった。ただ、アラマスタは大王の今までの性格から、泣きついても無駄なことは良く分かっていたのだ。


 アラマスタはその夜、寝付けずに居た。デオドロスの話だと翌日には処刑だと言う。とはいえ、デオドロスもいい加減なので、それが本当に正しいかは知れなかった。

 もしかしたら明後日かも知れないし、数か月後かも知れない。

 ただし、彼がいったん死刑を宣告したら、それが覆る事は今まで無かった。

 なので、アラマスタは死刑の執行が少しでも遅れるように祈るしか出来なかった。

 もっとも、アラマスタを含めたキルメア人はあまり信心深くなく、氷と雷の神クロムを崇めてはいるが、それも礼儀上の事であり祈ってクロムの神々が助けてくれない事は身に染みて分かっていた。むしろクロムの神は人間を裁く側なのだ。今のデオドロスのように。

 

 一方、マリィは敬虔なモルガナ教徒であり、母なる運命の女神モルガナに仕えていた。

 マリィは看守にモルガナの神官を呼んで心の安らぎを与えてくれるように懇願したが、警備上の理由から却下されてしまっていた。

 そんな彼女は少し前まで泣き疲れて眠ってしまっていたが、恐怖で目が覚め、今は眠れずに居た。

 

 このような状況で、アラマスタは段々と腹が立ってきた。なので、デオドロスや神々の機嫌を伺うのではなく、自ら状況を打開できないか考えて見た。

 まず牢を破壊して外に出るのは不可能に思えた。地下牢を作ったのがカノン人だけあり神経質なくらい完璧に堅固に出来ていた。

 となると、残りの脱獄手段は看守に牢の鍵を開けて貰う事になる。

 なので、アラマスタは看守を買収しようと思った。

 幸い看守は一人なので、彼を抱き込めば全ては解決する。

 さっそくアラマスタは行動を開始した。

「あぁ、暑い、暑いわ。地下だと言うのに、何て蒸し暑いのかしら」

 と言い、服の胸元をはためかせ、その豊満な肌がチラリチラリと見えるようにした。

 だが、看守は全く興味のなさそうな視線を送り、あくびをした。

 しかし、これにめげるアラマスタではなかった。

「あぁ、汗を搔いたら背中がかゆくなってきたわ。誰か、私の背中を優しくさすってくれる方はいらっしゃらないかしら」

 そして、意味ありげに看守に流し目を送った。

 すると、看守ではなくマリィが反応し、「王妃様、何処がおかゆいのですか?私でよろしければ」と尋ねてきた。

「あなたじゃないのよ、あなたじゃ!」

 そうアラマスタは怒りで叫んだ。元々、策謀が得意でないキルメア人のアラマスタである。

 ついには堪忍袋の緒が切れ、もっと直接的に誘惑する事にした。

「ねぇ、そこの看守さん。こんな夜に一人でなんて、寂しいんじゃなくて?それは私も同じなの。体が疼いて仕方ないの。よければご一緒しない?ここには2人も女が居るのよ」

 この言葉を聞き、看守は深く溜息を吐き答えた。

「あのですね。そのような一時の快楽で身を滅ぼしたくは無いのです、私は」

「それでもあなたキルメア男子なの!」

 だが、次に来る看守の答えはアラマスタを絶望させた。

「第一、私は女性に興味が無いのです」

 この看守の言葉に、アラマスタは敗北感も抱かざるを得なかった。

 デオドロスの看守の人選は完璧であった。

 そして、王の血を引くアラマスタは色々と考えるのを止め、堂々と眠りにふけるのだった。


 恐らくは外では夜が明けたのだろう。小鳥のさえずりが微かに外から聞こえ、アラマスタは目を覚ました。だが、早起きをしても今は全く意味が無いと思い、再び眠った。

 その時だった、何者かの靴音が響き、アラマスタは再び目を覚ました。

 いよいよ死刑執行の時が来たのかと思いアラマスタは身構えたが、そこに現れたのは見知った顔だった。

 それはアラマスタの父である先王に仕えていた老ポイティウスと部下だった。

 すると、看守は彼らがアラマスタに近づくのを遮った。

「申し訳ありません、ポイティウス様方。大王様の命により、ここより先は死刑執行人や獄吏を除いて、お通しするわけにはいかないのです。もちろん大王様ご本人は別ですが」

 これを聞き、老ポイティウスは白い髭をいじくった。

「フム。しかしだね、看守よ。もし君がここを通してくれれば十分な謝礼をしたいと思うのだ。どうかこの老人に少しで良いから姫君と話をさせてくれぬかね?」

「申し訳ありませんが・・・・・・」

 その時だった。老ポイティウスは後ろの部下に頷いた。そして、部下は顔を隠して居た兜を取った。現れたのは輝かんばかりの美貌と気品を備えた青年男子だった。

 これを見て看守は心と体を震わせた。

「少し君には休息が必要だろう。そうに違いない。彼に付き添わせよう」

 そして、ポイティウスは部下に頷いた。これに部下は頷き返し、看守の手を取り奥へと共に去って行った。

少しすると部下は牢の鍵を失神した看守より抜き取って、主であるポイティウスに渡した。

「一時の快楽で身を滅ぼしたくない、ね」

 かつて看守が言った事をアラマスタは呆れながら反芻した。

 とはいえ、思わぬ機会が訪れたのである。

 牢の鍵を選びながらポイティウスはアラマスタに話かけた。

「しかし姫様、おいたが過ぎますぞ。いくら貴方様がキルメア一の美女と称されるからと言い、あまり夜遊びするものではありません」

「ごめんなさい、愛ゆえの事なの。でも、今は反省してるわ」

「・・・・・・そうですか。おっ、開きましたな」

 今、牢の錠は解かれ、アラマスタ達はひとまずの自由を得たのだ。


「それでこれからどうするの?」

 牢の前でアラマスタは老ポイティウスに率直に尋ねた。

「そうですな。ひとまずこれに着替えて下され」

 と言い、ポイティウスはアラマスタと侍女マリィにそれぞれ衣服を手渡すのだった。


 着替えをしながらアラマスタ達は、背を向けたポイティウスから今後の説明を受けた。

「ともかく国外へ逃げねばなりません。しかし、北はキルメア人の支配下に、西は海に阻まれており、東は関所も多い。何より大王は姫様が東カノンへと亡命すると思うでしょうから、東に重点的に捜索の手を広げるでしょう」

「なら南って事?」

「はい。南は山脈に隔てられていますが、姫様なら越えられるでしょう」

「そうね。体力には自信があるわ」

 衣服に手を通しながらアラマスタは答えた。

 この時、アラマスタは貴婦人風の格好に、侍女マリィは小姓風の男装を身に纏っていた。

「着替え終わったわ。でも、何なのこの格好?」

「これから私と姫様と侍女の3名で首都を脱出いたします。姫様は私の娘ディテスの振りをして頂きたく思います。マリィ、お前は私の小姓の役を」

 とのポイティウスの言葉に、侍女マリィは「かしこまりました」と少し男性的な声でなりきっていた。

「ところで、あなたの部下はどうするの?あの看守も」

 そうアラマスタは率直に疑問を尋ねた。

「彼らは彼らで脱出させます。まぁ看守を助けてやる義理はありませんが、罪もありませんからね。ともあれ部下はカノン人の血が混じっており、魔導も使えますから問題ないでしょう」

「そう。便利なものね、魔導士って」

「はは。私も魔導を使えますのでご安心下され」

 と、ポイティウスは何とも無しに言ったが、これにアラマスタは驚愕した。

「あなたキルメア人でしょう?何で、魔導を使えるの?」

 彼女の言う事はもっともであり、蛮族キルメア人は魔導耐性を持つ代わりに魔導を使えないのだった。だが、それには例外があり・・・・・・。

「姫様もご存じの通り、キルメア人はおよそ60歳ほどで急速に力を失いまする。筋力も衰え、老化も一気に進み、魔導耐性も失います。しかし、魔導耐性を失ったキルメア人は魔導を使えるようになるのです。きちんと訓練さえ積めばですがの。・・・・・・たとえば、シェネハ族の長老であるヴィス=ハシェト殿などは最も怖ろしき魔導士の一人と噂されております。そんな偉大な方と比べたら私の技は未熟そのものですが」

 そう説明し、ポイティウスは自身の掌の上に小さな魔導の炎を出現させ、魔導が使える事を証明してみせた。

「なる程。それでも頼もしい限りね」

「お褒めにあずかり光栄の限りで」

 と恭しく答え、柔和な微笑みをポイティウスは浮かべた。

「では参りましょう。あちらに秘密の通路が御座います。そこを通れば裏門の傍に出ます。そこの門番と私は親しいので、この早朝に出ても特に咎められる事は無いでしょう。」

 

 さて、アラマスタ達3名は無事に裏門を通り過ぎようとした。

 この時間帯でも、料理用の食材などを運ぶ商人などが裏門から入って来ており、思ったよりはアラマスタ達は目立たなかった。

 とはいえ、門番とポイティウスが話をしている間は、さしものアラマスタも気が気でなく、冷や汗を隠すので必死だった。門番は、変装して隠したとは言え相当な美貌を有するアラマスタをジッと見たが、特に何も言わずに通してくれた。これはポイティウスの娘であるディテスも、その素顔を見た者は少ないが、かなりの美人だという噂だからである。それに門番は裏門の担当であり、王妃アラマスタの顔を今まで見たことが無かったのである。

 こうして、彼女らは無事に裏門を通り、王宮から脱出する事には成功したのだ。

 しかし未だにアラマスタ達は広大な首都カノンの中心部に居るのである。

 脱出の道のりは長かった。

 

 もっとも、アラマスタは運命に愛されていると言えた。

 アラマスタ自身は政治に興味が無いので良く知らなかったが、一週間前に大王デオドロスはより正確に税をとろうと、首都カノンに一時的に滞在している者達を生まれ故郷に一度帰し、きちんとそれぞれの人間に出身地における戸籍を作って人頭税を取ろうとしたのだった。

 かつては質素な生活をしていた蛮族だったが、半世紀近くも経ち、贅沢を覚えてしまったので、国庫が枯渇しだしたのである。

 その為、首都カノンに居た多くの滞在者は、都の外へと出て行くのだった。その数は半端ではなく、数日前までは首都の各出入り口は押し合いへし合いとなり、行商人達がロクに出入り出来ない程であった。

 今はその混雑も緩和されていたが、都は未だに騒然としており、都を巡回するキルメア人の兵士達も仕事が山積みで、アラマスタ達に気づくどころでは無かった。

 むしろキルメア人の兵士達の関心事は、出て行く滞在者に料理やを売りつけようとする屋台から、料金を払うこともなく手づかみで料理を奪っていく事だった。

 良心的なキルメア人兵士は割られて価値の半減した銅貨をあげたりしたが、そういった兵士に限り何人分もの食事を持って行くのである。

(ちなみに、この銅貨を含めた古い硬貨には、かつてのカノン皇帝の横顔が象(かたど)られており、これを割って支払うのはキルメア人にとり喜びと言えた。対して、比較的に新しい硬貨には、カノンを支配した歴代キルメア大王の正面顔や横顔が刻まれており、そちらはキルメア人にとりお守りとしても重宝されていた。もっとも、カノンがキルメア人に支配されてより硬貨の鋳造技術は落ちていたので、硬貨に刻まれた歴代キルメア大王の顔は貧相なものに見えた)

 首都カノンに居る大半の人間はカノン人で、わずかなキルメア人はほとんどが兵士であった。したがって、屋台を出して居るのはカノン人であり、キルメア人からすれば彼ら

から物を奪おうが何をしようが構わないのだ。

 とはいえキルメア人の横暴は日常茶飯事だったので、カノン人は耐えるしかなかった。

 だが、この日に限ってはカノン人の婦女子にキルメア人兵士が乱暴し、学生街では暴動と言うには小さな抗議が起きていた。

 そんな中、ポイティウスは用意していたロバにアラマスタを乗せた。

 軽快にアラマスタはロバにまたがったのだが、それをポイティウスは小声で注意した。

「娘よ。普通、貴婦人は馬やロバに乗る時、またがったりはせず横向きに座るものだよ」

「あら、お父様。ごめんなさい。私、もう少しおてんばだと思ってたわ」

「娘よ。お前はクロムの神々に仕える巫女なのだよ」

「ええ、ええ。そうだったわね」

 と、朗らかな笑顔でアラマスタは答えた。

 そして、ポイティウスは不安の溜息を吐き、アラマスタの乗るロバをひいていった。この後ろを小姓姿のマリィが緊張しながら付いていくのである。


 次第に時間は経ち、都はより活気づきだした。

 やがて、学生街での抗議はついには暴動と言えるまでに発展してしまい、キルメア人の兵士達はそちらへ大部分を回される事になった。

 そんな中、妙な鐘があちこちの鐘楼で鳴らされた。それは王族がらみの非常事態を意味する鐘だった。

「ついに気づかれたか」

 そうポイティウスはボソッと呟き、歩みを速めた。

 この時、アラマスタに脱獄されたのを知った大王デオドロスが、彼女を捕まえてくるように怒り狂いながら命じていたのだ。


 王宮を警護するはずの兵士達がアラマスタの捜索に動員され、至る所で尋問が始まっていた。

 アラマスタに少しでも似ている女性は兵士に引き立てられ、彼女の顔を知る指揮官のもとへと連れられた。それらの女性は皆違うのだが、徴用した民家に念の為に拘束するのだった。

 彼女らにとり幸運だったのは、兵士達や指揮官も大王の怒りにふれるのを恐れ、捜索を優先せねばならず、どれも違わぬ美女である彼女らを襲う余裕がなかった事だ。

 

 さて、この時にはアラマスタ達は首都を囲う城壁まで辿り着いていた。

 これに沿ってもう少し進めば南門だった。

 しかし、ここで大きな問題が生じた。大王は全ての門を封鎖するように命じた為、南門からも出れなくなってしまったのだ。

 今、南門近くは外に出ようとした民衆で埋め尽くされており、しかも後ろからどんどんと押されていくので、一度そこに入ってしまえば出れなくなる。

 なので、アラマスタ達はその人混みを少し離れた位置で眺めるしかなかった。

「どうしましょう、お父様」

「・・・・・・少し考えさせておくれ、娘よ」

 そう落ち着いた風に答えたはいいものの、ポイティウスは内心、非常に焦っていた。

 まさか大王が門まで封鎖するとは思っていなかったのである。

 門さえ開いていれば何とかする自信がポイティウスにはあった。

 しかし、これでは首都から外に出ることは不可能になる。

 通商に多大な影響が出ることから、この封鎖はどんなに長くても数日以内には終わる事が予想されたが、大王がなりふり構わなければもっと長い期間を封鎖する可能性もあった。

 それ程までに大王の行動は読めないのだ。ある程度賢い人間の行動は読めるが、真の愚か者や狂人の行動は予想がつかず、故に怖ろしくもある。もっとも、それこそがキルメア人の本来の狂気であり、力だったのだ。

「もういいわ、ポイティウス。後は自分で何とかするわ。来なさい、マリィ」

 と言い、アラマスタはロバから降りて、マリィの手を引っ張っていった。

「ひ、姫様?!」

 戸惑うポイティウスだったが、それはマリィも同じだった。

 しかし、アラマスタの有無を言わせぬ迫力に、ポイティウスは茫然と彼女らが先へ進んでいくのを見ている事しか出来なかった。

「ま、待って下され」

 しかし、ポイティウスは気を取り直し、ロバをひいてアラマスタの後を追うも、あまりの混雑に徐々に遅れて行った。


 アラマスタは途中でローブを着た男達から衣服を奪い、マリィに着させ自らも纏った。

「ひ、姫様。私は引き返した方がよいと思います」

「うるさいわね。時は金なりよ。私はねぇ、一刻も早く首都から離れたいの」

「ですが、門は閉まってて」

「何とかするわよ」

 そう言い、アラマスタはマリィを引きずりながら人混みへと突入していた。


 南門の衛兵は困っていた。

 先程から必死に民衆を押しとどめていたが、彼らが万が一にでも襲いかかってきたら自分達は多勢に無勢でやられるだろうと分かっていたからだ。

 あまりにも人混みが多く、応援の兵士は来てくれない。

 今すぐにでも鎧兜を脱いで逃げ出したかったが、王の命に背くわけにもいかず、衛兵達は忠実に任務を果たしているのだった。

 そんな中、人混みに変化が生じた。後ろの方で怒号が発され、すぐに沈黙する。

 さらに別の怒声が成されるが、そのあたりで大の男が放り投げられるのが見えた。

 何かが近づいて来ている。それに衛兵は悪寒を覚えた。

 そして、ついにそれは人混みの最前列に現れた。

 その者は最前列に来るや押しとどめている衛兵に蹴りを食らわせた。

 蹴りを受けた衛兵は鎧越しだというのに泡を吹いている。それは今の一撃が気がこめられていた事を意味した。

 衛兵達は警戒を露にしたが、その者がローブのフードを取るや唖然とするしかなかった。

 現れたのは当のアラマスタだったのだ。

 対し、アラマスタは涼やかに告げた。

「どうしたのかしら?王妃の登場よ。道を開けなさい」

 この時、衛兵達は顔を見合わせた。王妃アラマスタの捕獲命令が出ているのは知っていたが、それは衛兵である自分達に与えられた命令ではなく、他の首都警備隊の管轄である。

 とはいえ、何人たりともここを通すわけにはいかないのが今の任務であり、ひとまずはその任を果たそうと衛兵達は身構えた。

「なら、斬り進むまでよ」

 そして、アラマスタは倒した衛兵から剣を拾って構えた。

 ここに至って衛兵達は戦闘体勢に入り、ジリジリとアラマスタを包囲した。

 先程まで押し合っていた民衆は今や少し距離をとって、その様を見ていた。

 アラマスタはマリィの手を片手で引きながら、大胆に前を進んだ。

「ラァァッァァッッッ!」

 数名の衛兵が槍でアラマスタを叩き倒そうとすると、アラマスタはそれらの一撃を剣で弾き、さらに一人の衛兵の喉を突いた。そして、一気に引き抜き、他の衛兵達を次々に切り倒していくのだった。しかも、これらは片手で成されたのだ。


 気づけば南門は赤く血で染まっていた。

 ほぼ全ての衛兵がアラマスタに切り倒され、弓を使おうとした衛兵などはアラマスタにより他の衛兵から奪い取られた槍や剣を投げつけられて絶命していた。

 しかし、このような惨劇にアラマスタは全く動じておらず、まるで劇でも見に行くかのように門へと歩いて行った。

 そして、かんぬきを外し、民衆に巨大な門を押すように命じた。

 王妃様の命令に民衆は恐怖で従い、彼らは必死に門を押した。

 こうして門は開かれ、アラマスタは何も知らずに外で待っていた行商人から、馬を何の代価も無しに奪い取った。そして、アラマスタは黄金の長髪を陽光の中になびかせ、湧然と馬にまたがりマリィと共に首都を後にするのだった。

 ちなみにその後を、ようやく人混みを抜け出した老ポイティウスが、ロバに乗って付いていくのである。

 

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