30.決してネガティブな意味だけではない「批判」

 つい先日、「最近の若い人は、『批判』という言葉を昔とは異なる意味で使っているらしい」という話題を目にしました。

 なんでも、若い人の多くが「批判」という言葉を、「否定」と同じ意味として使っており、「悪口」や「誹謗中傷」に近い意味に感じている方も多いのだとか。

 なるほど、確かにそれは「批判」本来の意味からは、随分とかけ離れているように思えます。


 お馴染み「デジタル大辞泉」では、「批判」という言葉を以下のように解説しています。


1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を批判する」「批判力を養う」

2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の批判を受ける」「政府を批判する」

3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。


 上記のように、「批判」には大きく分けて三つの意味があります。


 1は、客観的視点でもって、良い点も悪い点も同じように指摘するという意味です。「批評」とほぼ同じ意味ですね。「否定」というニュアンスはありません。

 2は、『正すべきであるとして論じる』ですので「否定」のニュアンスも感じられますが、「悪口」や「誹謗中傷」とは全く意味が異なります。あくまでも、『正すべき誤りや欠点』が存在する事が前提であり、誰かを責めたり攻撃したりする事が目的ではありません。

 3については哲学用語ですので、ここでの説明は割愛します。


 「大辞林」などの他の辞書でも、概ね「デジタル大辞泉」の語釈と同じ解説がされています。


 このように、「批判」には「否定」のニュアンスが確かにありますが、「悪口」や「誹謗中傷」と言った意味はありません。

 ですが、「最近の若い人」が「批判」という言葉にネガティブな印象を抱いてしまう事には、的外れとばかりは言えない部分があります。


 「デジタル大辞泉」では、「批判」と「批評」の用法について、次のように解説しています。


「映画の批評(批判)をする」のように、事物の価値を判断し論じることでは、両語とも用いられる。◇「批評」は良い点も悪い点も同じように指摘し、客観的に論じること。「習作を友人に批評してもらう」「文芸批評」「批評眼」◇「批判」は本来、検討してよしあしを判定することで「識者の批判を仰ぎたい」のように用いるが、現在では、よくないと思う点をとりあげて否定的な評価をする際に使われることが多い。「徹底的に批判し、追及する」「批判の的となる」「自己批判」


 つまり、現在では「批判」は「批評」に比べて、『否定的な評価』というニュアンスが強い、という事ですね。

 確かに、ニュースなどで「野党は大臣の発言を批判」等と言った場合には、「否定」のニュアンスばかりを感じ、「批判」が本来持っている「客観性」は殆ど感じられません。

 どちらかと言うと、「否定の為の批判」のように見えます。


 そして世間を見渡してみれば、こういった「否定の為の批判」の用法は、少数派どころかむしろ多数派である事が窺えます。

 「批判的な立場」と言った場合、多くの方は「否定的な立場」とほぼイコールの意味で捉えるのではないでしょうか?


 こういった「否定の為の批判」に触れてきた若い層が、「批判」という言葉に対してネガティブなイメージを持つのは無理からぬことなのではないか、と思います。

 そして「最近の若い人」に言葉を教えたり、彼らが触れる文章を紡いできたのは、今の大人世代なのですから、責任の一端はその大人世代にある、とも言えるでしょう。


 「大人」がいい加減な「批判」ばかりしてきたから、「最近の若い人」は「批判」という言葉が本来持つ客観性を知らないのだ、と。


 「大人」に求められるのは、常に自らの言語表現に「批判的」である姿勢なのかもしれませんね。

 さしあたっては、「最近の若い人」というどこか下に見た言い回しから、改めるべきかも(苦笑)

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