19.「永遠と」と「延々と」の間には超えられぬ壁がある
先日、カクヨム内のとある作品を読んでいて、次のような一文に出会いました。
『説明台詞を永遠と読まされたって、読者は退屈なだけだ』
「永遠と」とは、なんとも見覚えのない表現であり、しばしの間その意味について考えてしまいましたが、文脈から察するに、どうやら「延々と」の誤記だったようです。
ただの打ち間違えの可能性も考えましたが、その作者さんは他の所でも「延々と」という意味で「永遠と」を複数回使用されていましたので、どうやら誤用と気付かずに使い続けてしまっている様子……。作品自体は中々に興味深いものだっただけに、なんとも残念な印象が拭えません。
しかも、Twitterなどで試しに「永遠と」を検索してみたら、同じような誤用をしている方が出てくる出てくる……。
「
一方の「
両者の大きな違いは、『有限であるか無限であるか』でしょう。「延々」は非常に長く続きますが、始まりが有れば終わりも有る「有限」。一方、「永遠」は終わりのない「無限」を表す言葉です。それを踏まえた上で上記の一文を読むと……「説明台詞を無限に読まされる」という、軽くホラーな内容になってしまっている事が分かります。
また、お馴染みの「言い換え」で、上記一文の「永遠」をほぼ同義の「永久」に言い換えてみると、「説明台詞を永久と読まされたって、読者は退屈なだけだ」というチンプンカンプンな文が出来上がってしまいますね。
恐らくは、「えんえんと」と「えいえんと」が語感的に似ているから起きた間違えなのでしょうが……どうやら話し言葉の感覚で文章を書いてしまうと、こういった間違いが多く発生するようです。
例えば、「そういう」という言葉は口に出して読む場合「そうゆう」に近い発音になりますが、記述としてはあくまでも「そういう」と書きます。決して「そうゆう」とは書きません(台詞等で語感を表現したい時には例外的に「そうゆう」とも書く場合もありますが)。
文章を書く際は、「書き言葉」と「話し言葉」の違いに留意した方が賢明でしょうね。
全くの余談ですが、「無限」であるはずの「永遠」という言葉を、「有限」のものに対して使う場合も、全く無いわけではありません。典型的なのは、いわゆる比喩表現として用いる場合でしょうか。例えば、「実際には短時間の出来事であるのに、非常に長く感じられた」という場面を表す場合、次のような表現をする事があると思います。
『私の質問に答えられず、彼女はそのまま押し黙ってしまった。一分経っても、五分経っても、全く口を開こうとしない。――その沈黙は、まるで永遠に続くかと思われた』
また、
もっとも、表現力が伴わなければ、そういった穿った表現も、ただの「変な日本語」になってしまうのですが……。こればっかりは、修練あるのみ、ですね。
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