18.「違和感を感じる」という言い回しは有り? 無し?

 今回は、底無しの「日本語沼」のお話。


 度々「美しくない日本語」として槍玉に挙げられる言い回しの一つに、「違和感を感じる」があります。これは「違和」と「じる」が被っており、所謂「二重表現(重言)」なのではないか、「違和感を覚える」の方が適切ではないか、という理由からの指摘なのですが……実は識者の中でも解釈の分かれる問題であるそうです。


 「二重表現(重言)」というのは、例えば「頭痛が痛い」ですとか「危険が危ない」ですとか、同じ意味の言葉を重ねて使う表現の事。お馴染みの「言い換え」をしてみるとよくわかりますが、それぞれ「頭の痛みが痛い」「危ないが危ない」と言っているのと同じなので、何とも珍妙な日本語表現になってしまいますね。


 この例で言うと、確かに「違和感を感じる」は「感」が二回続いているので「二重表現(重言)」のようにも思えてきますが……実はそう簡単な話ではないようです。


 「適切」とされる「違和感を覚える」の「覚える」は、この場合『感じる』という意味で使われています。なので「言い換え」をしてみると「違和感を感じる」になってしまい……「あれ?」となってしまいますね。


 そもそも、「違和感」とはどういう意味でしょうか? 字面通りに捉えると「違和を感じる」という意味に思えてきますが、「違和感」の意味についてお馴染み「デジタル大辞泉」を参照すると、


しっくりしない感じ。また、ちぐはぐに思われること。「初めて会う人なのに違和感もなくうちとける」


とあります。「違和」はというと、


1 からだの調子がくずれること。「腹部に違和を覚える」

2 周囲の雰囲気に合わないこと。


とあります。この場合、2の意味がそのまま「違和感」という言葉に繋がっている事が分かりますね。更には意味1で「違和を覚える」という「違和感を覚える」に似た例文が出ていますが、こちらは体の不調を訴える表現なので意味としては全く別となります。

 上述の通り、こういった場合の「覚える」は「感じる」とほぼ同義です。つまりこの例文は「違和を感じる」とも言い換えられる訳ですが、そうなってくると「違和感」を「違和を感じる」という意味であるとするのはかなり無理が出てくる事が分かります。意味が全く変わってしまいますね。どちらかと言うと「違和のような感覚」そのものを指す言葉だと考えた方が自然なようです。


 この「感覚そのもの」という所を根拠として、「違和感を感じる」は「二重表現(重言)」ではない、と主張する方が多いようです。感覚というのは「痛み」や「匂い」などの事ですから、『「痛みを感じる」「匂いを感じる」と言ってもそれほどおかしくはないのと同じ』だとか。



 確かに、「二重表現(重言)」というのは『同じ意味の語を重ねた言い方』ですから、それぞれの語の意味が違うのであれば該当しません。「違和感を感じる」は文法上誤りではない、と言えるかもしれません。しかしながら、文章を長く書いてらっしゃる方々には覚えのある事かと思いますが、同じ言葉・文字を続けて使った文章というのは何とも字面がよろしくありません。

 例えば「名言を言う」という言い回しは文法上間違いではありませんが、「言」が続いてどうにも字面がよくありません。大手辞書等では例文で「名言を吐く」という表現を使っていますし、その名言が過去の誰かのものであれば「名言を残した(遺した)」と書いた方が座りがよいでしょう。また、「歌を歌う」「踊りを踊る」という表現を間違いだと思う方はいないでしょうが、小説などの中でこんな単純な表現を好んで使う方はむしろ少ないでしょう。もっと凝った言い回しを使います。

 そう考えた場合、「違和感を感じる」という言い回しは何とも野暮ったい、字面がよろしくない表現にも思えます。


  また、上記の「『違和感』は感覚そのものを表すから『感じる』のはおかしくない」という説については、当然ながら異論もありますので、今回の件についても毎度お馴染みの「正解など無い」案件の一つになります。個々人が真摯に言葉と向き合って決めていくしかないのでしょうね。


 個人的には、「違和感を感じる」の場合、「違和感を覚える」だけでなく「違和感がある」「違和感を抱く」といった言い換えの例が沢山ありますので、わざわざ物議を醸すような表現を使わなくても良いのではないかな、と思います。



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