14.元は仏教用語である「如実」

 先日、カクヨム内のとある作品を読んでいて、次のような一文に出会いました。


『窓の外に広がる陰鬱極まりない曇り空が、僕の心の内をに表していた』


 どんよりとした曇り空と、陰鬱な自分の心の中を重ね合わせた、詩的で素敵な表現ですね。この作者さんは全体的に文章も巧みで、要所要所でこういった表現を多用されていたので、恐らくは意図的なものかと思うのですが、厳密に言うと、この「如実にょじつ」の使い方は少々反則と言えます。


 お馴染みデジタル大辞泉によれば、「如実」は概ね次のような意味となっています。


1 現実のままであること。事実のとおりであること。「被災地の惨状を―に物語る写真」

2 仏語。

(ア)教えの真実や道理にかなっていること。

(イ)真如(しんにょ)。


 上記の通り、「如実」という言葉は元々仏語、つまり仏教用語となります。『教えの真実や道理にかなっていること』や『真如』――『ありのままの姿』と言ったような意味――を表す言葉で、転じて、意味1のような「現実のままであること」を表す言葉になったという経緯があります。

 つまり、「如実に表す」といった場合は、『余計な脚色をしたり一部を隠したりせず、ありのままの姿を表す』という意味になりますね。


 それを踏まえて最初の例文を見てみると、当然の事ながら「陰鬱極まりない曇り空」と「僕の心の内」はイコールではありませんから、厳密に言えば「如実」とは言えません。「僕の心」の陰鬱さを曇天模様の陰鬱さに例えて表現する手法は、どちらかと言えば直喩ちょくゆの領分ですので、


『僕の心は、まるで窓の外に広がる陰鬱極まりない曇り空のようだった』


等とした方がな日本語になります。



 ただし、冒頭の作者さんは「如実」という言葉の意味を分かっていて、ああいった表現を使っている節があります。恐らくは直喩ではなく隠喩いんゆ、つまりはメタファーを表す為に「如実」という言葉を使っているのでしょう。


 メタファーと言うのは直喩のように「まるで~のようだ」という形を取らない、『そのものの特徴を直接他のもので表現する』手法です。例えば、極悪非道の人間を指して「彼は、悪魔だ」等と評した場合、これはメタファーとなります。「彼」は人間ですから当然「悪魔」とイコールではないのですが、直喩でもって「彼は、悪魔のような人間だ」と表すよりも、よりダイレクトかつ強烈に「彼」の極悪非道振りが伝わりますよね。


 冒頭の例文で、「如実」という言葉を使わずにメタファーを表そうとしたら、


『僕の心の内は、窓の外に広がる陰鬱極まりない曇り空だった』


等と、日本語として少々間の抜けた感じになってしまう可能性がありますので、作者さんは実に綺麗な表現を考えたものだな、と感心する次第です。


 一見「誤用」に見えるけれども、実はそこには作者の表現へのこだわりが隠されているのかも――そういった視点で他人の作品を眺めてみると、また違った発見があるかもしれません。文章表現にはその作家さんの魂が、如実に表れているのですから。

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