11.「的を得る」は「的を射る」の誤用ではない? 底無しの「日本語沼」の話

 「間違った日本語」の典型例の一つとされる言葉に、「的を得る」があります。『うまく要点をつかむ』という意味の「的を射る」の誤用とされたこの言葉ですが、実は近年では必ずしも「誤用」とは言えないという説の方が主流になりつつあります。


 「正鵠せいこくる」という言葉があります。

 「正鵠」というのは中国に由来する古い言葉で、本邦では主に「弓の的」もしくは「的の中心」を表し、転じて『物事の急所・要点』という意味で使われています。

 元々の漢籍には「不失正鵠(正鵠を失わず)」という言い回しがあり、これが『的をはずれないこと≒物事の要点や急所を正確にとらえること』という意味で使われていたようです。


 「得る」は、「要領を得た」「当を得た」等と言った時とほぼ同じ用法かと思われます。つまり、「正鵠を得る」は、「的、あるいは的の中心を的確に捉える≒うまく(物事の)要点をつかむ」、という事になり――上記の「不失正鵠」とほぼ同じ意味になりますね。

 より日本語らしい言い回しに、長年かけて変化していったのかもしれません。また、今日における「的を射る」ともほぼ同じ意味であることが分かります。


 この「正鵠を得る」という言い回しは、戦前には広く使われていたようです。少なくとも明治期の文献には既に登場しており、「精選版 日本国語大辞典」では1893年の用例が挙げられています。


 ですが、一体何が有ったのか、戦後になってくると「正鵠を得る」は段々と使われなくなり、「的を射る」の方が一般的に使われるようになったと言われています。一説には、戦後間もない漢字や言葉の簡略化が進んだ時期(俗にいう「国語改革」一連の動き)に、「正鵠」を分かりやすい「的」という言葉に置き換えた結果だ、とも言われているようですが……残念ながら私の手元の資料では、はっきりしたことは分かりませんでした。


 さて、上記を踏まえて「的を得る」という言葉について考えてみると、『「的を得る」は「的を射る」の誤用』と一概に言ってしまうには少々違和感が伴うのではないかと思います。「正鵠を得る」に「正鵠を射る」というバリエーションがあったように、「的を射る」に「的を得る」というバリエーションがあってもいいじゃないか、と。むしろ「正鵠を得る」からの変化ならば「的を得る」の方が自然にさえ思えてきますね。


 そもそも、何故「的を得る」は「誤用」とされたのか?

 実は最初に「的を得る」を「誤用」と定義した辞書は、日本有数の権威ある辞書の一つである「三省堂国語辞典」だそうです。それまで辞書に採録されていなかった「的を得る」を掲載するにあたり、「的を射るの誤用」と記載したのだとか。

 しかしながら、近年になってこれが謝罪の上撤回されました。以下は「三省堂国語辞典」編集委員の飯間浩明氏のツイート。


『三省堂国語辞典』第7版では、従来「誤用」とされていることばを再検証した。「◆的を得る」は「的を射る」の誤り、と従来書いていたけれど、撤回し、おわび申し上げます。「当を得る・要領を得る・時宜を得る」と同様、「得る」は「うまく捉える」の意だと結論しました。詳細は「得る」の項を。

https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/412139873101807616


 権威ある辞書が「誤用」という名の「冤罪」を生み出してしまった例ですね。

 しかしその一方で、「三省堂国語辞典」が採録するまで「的を得る」は「多くの辞書に載っていない≒あまり一般的ではない言葉」であった事も否定できません。今日こんにちでこそ、「的を得る」と言って意味が通じますが、その昔はどうだったのか、そしてこれからは……。その妥当性を検証しようとすればキリがありません。底無しの「日本語沼」へようこそ! といった所でしょうか。



◆追記

 何やら本稿の感想ツイートに、執拗に「的を得る」を間違いだとする方からリプが飛ばされているようです。


 以前、本稿に対しても同じ方から似たようなコメントをいただきましたが、いわゆるマルチポストであり、本稿の内容に対する直接のご意見という訳ではなく、またカクヨムのコメントシステムの趣旨に反していた為、削除した経緯がございます。

(参考:https://kakuyomu.jp/users/sumigoro/news/1177354054882705923


 その際に、私も一応の反論というか、ご返信をしましたが、削除するまでの間に先方からのお返事は一切ありませんでした。


 上記の通り、本件は解釈が分かれて当たり前の話ですので、一方が「絶対に間違っている」とする極端な言説に、私は一切くみしないことを、ここに書き添えておきます。


 なお、その方の主張をその方以外の方が研究報告などされている例を目にしたことは、現時点でありません。


◆2023/5/ 出典不明の異論を頂いたので、一部出典・文言を追加しました。

 

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