9.プロでも間違える「すべからく」

 今回は「すべからく(須く)」という言葉について取り上げたいと思います。インターネット上でもよく話題に挙がる言葉なので今更という気もしますが、カクヨム内でも何件か誤用を見かけた事があるので、改めて解説をば。



 さて、超有名ボクシング漫画「はじめの一歩」の作中には、次のようなが登場します。


『努力した者が全て報われるとは限らん。しかし! 成功した者は皆努力しておる!!』


 一説にはベートーベンの言葉を引用したとも言われる上記の台詞、実にいい言葉ですね。努力は必ず報われるとは限らないが、成功した人間は必ず努力もしている、という意味の言葉ですが……よく見てみると「すべからく」が全く意味を成していないような……?



 お馴染み「デジタル大辞泉」の「すべからく」の項を参照すると、


多くは下に「べし」を伴って、ある事をぜひともしなければならないという気持ちを表す。当然。「学生は―学問を本分とすべきである」


とあります。語源的には「すべし」からの派生(ク語法)とも記載がありますので、「しなければならない(事)」というのが本来の意味のようですね。

 ※より厳密に書くと、「すべし」に補助活用「べかり」を付けた「すべかり」のク語法。


 さて、これを踏まえて上記の台詞に「言い換え」を適用してみると……上手く言い換えが出来ない事に気付きますね。強引に直してみると、


『成功した者は皆努力しておらねばならない!!』


――となるかもしれませんが、日本語としてかなり怪しい用法な上に、元の台詞から意味が変わってしまっていますね。一応、「すべからく」の意味の一つとして挙げられている「当然」を使えば、


『成功した者は皆努力しておる!!』


となり、これならば元の台詞から意味が変わる事はありませんが、代わりに「しなければならない」という「すべからく」本来の意味がどこかに消えてしまっています。上記の通り、「すべからく」は「すべし」が変化した言葉ですので、そのニュアンスが残っていなければこれは明らかな誤用という事になります。恐らくは意味を取り違えているのだと予想されますね。


 さて、上記台詞は果たして「すべからく」をどんな意味と勘違いして使ってしまっているのか……? そのヒントは「デジタル大辞泉」の「補説」に記載されていました。


文化庁が発表した平成22年度「国語に関する世論調査」では、「学生はすべからく勉学に励むべきだ」を、本来の意味とされる「当然、ぜひとも」で使う人が41.2パーセント、本来の意味ではない「すべて、皆」で使う人が38.5パーセントという結果が出ている。


 「すべからく」を「すべて」という誤った意味で理解している方が40パーセント弱もいるという文化庁の調査結果ですが、こちらから推測するに、「はじめの一歩」の台詞も同じ勘違いの上に成り立っているのではないでしょうか? つまり作者氏は、


『成功した者は皆すべて努力しておる!!』


と言う意味で書いているのかもしれません――しかし、そうなってくると「皆」と「すべて」の意味が被ってしまっており、二重の意味で残念な台詞に思えてきてしまいますが……作者の言わんとしている事は素晴らしいので、そこは見て見ぬ振りをするべきなのかもしれませんね。



 念の為、誤解の無いように書いておきますが、私も「はじめの一歩」は大好きな作品の一つです。

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