10 天樹と少年と長老と

 しばらく二人は小さく頼りないその芽を見つめていた。そんな二人がようやく顔を上げたのは、頭上で木々が騒ぎ出したからである。枝がこすれあう音が、風を原因とするには不自然なほど大きかった。二人はほぼ同時に顔を上げ、無意識にその場に立ちあがった。


 タウは口を開け、イクロは手を上げた。


「みんな!」

「ようやくだな」


 多くの仲間達が木々の間を縫う様に降りてきていた。その先頭を切っていたのは、タウの父・ルズカルだった。ルズカルは笑顔さえ浮べていなかったが、満足そうにタウを見下ろしていた。


「父さん……」


 降りてきた仲間達は、その手に柔かな風達を掴まえていた。ふわりと空に浮びながら、皆はやわらかな微笑みを浮かべてタウとイクロを見下ろしていた。


 ルズカルは1度瞬きをした。タウをじっと見つめ、そしてタウもその瞳を反らさなかった。しばらくして、ルズカルは重々しく口を開く。


「ヨバルスの最後の願いをつれてきた」


 そう言ってルズカルは微笑む。その声は、全てを知っていたかのように落ちついていた。


「そう、そうだ! ヨバルスは!」


 落ちつきを失って報告しようとするタウに、ルズカルは掌を向けて止めた。


「いい。知っているんだ……。

 それで、お前はどうしたんだ?」


 タウは唾を飲み込んだ。父を見、そして、その後ろに居るみなの顔を見渡した。そこにいる全ての視線が、タウに注がれた。


「ヨバルスの種を大地へ返しました」


 タウはそう言って、皆によく見える様に芽を見せた。人々の間からはどよめきが起こったが、その中のほとんどが感嘆の溜息だとタウは感じる。


「ここはヨバルスの願った帰る場所だから」


 タウは胸の前で拳を握り、みんなを見渡す。みなはまた口を閉ざし、タウを真摯に見つめていた。


「僕は、空が好きです。ヨバルスが大好きです。

 だけど、大地へヨバルスを返すことを選びました。僕は……」


 不安を湛えた表情を、すべてのヨバルズシア達は慈愛をこめて受け取った。頷くものも腕を組んだままタウの話を聞く者もいたが、みなの顔にあったのは決心だった。

 言葉をいったん飲みこんだタウに、ルズカルはいう。


「種にこめられたヨバルスの真意は、私も七人頭にも知る所だったよ。

 お前達にはいきなりで辛い思いをさせたな。

 ただ、きちんと見て欲しかったのだ。

 大地を感じ、地人を知り、そして、大地の思いとヨバルスの悲しみを知って欲しかった」


 タウが目を見開くのを、ルズカルは頷いて受けとめた。


「もともと、ヨバルスは寿命だった。あまりにも長く大地と離れてしまった。

 それでも空を見たかったのだと、教えてくれたのだよ」


 ルズカルはそう言うと、皆を見まわした。それを合図に一人頷いて、恐る恐る大地まで降りてきた。その足を地につけるのを皆が息を飲んで見つめていた。彼は大地に両足をついた。その感触を確かめる様になんども足踏みをし、そうして、平気なことを教える様に皆を見上げ笑った。

 波紋の様に皆の顔に安堵の笑顔が宿る。ルズカルが微笑んだ。


「父さん?」


 タウの回りに、1人、また1人と降り立って行く。戸惑う様にルズカルを見上げるタウとイクロに、彼は深く頷いて見せる。


「天のヨバルスは寿命を終える。そして、こちらのヨバルスがお前達と共に生きることになる」

「お前達?」


 タウはひっかかるものを感じて、ルズカルを見上げた。ルズカルの側にネスコとニーサが居る。静かに微笑んでいた。


「父さん!」


 遠く感じた。力強くタウを励ますような笑みに不安を覚えた。空と大地。ルズカルは大地に降りようとしない。大地に降り立つ皆が浮べる笑みを、遠くから眺めている。


「我らはヨバルスの元でしか生きられない。いや、それを選んだ者ばかりが空にいたのだ……。

 そして、これからは地のヨバルスを守る。地のヨバルスが『ヨバルス』なのだよ」


「みんな、大地へ? みんな、でしょ? 父さん!」


「タウ。お前とイクロに託し、大地に降りることを命じた意味が分かるな?」


 ルズカルはそう言いつつネスコとニーサに視線を移した。何か一言二言つぶやくのを、ネスコが受け取り噛み締めるように頷く。その様子をただ見つめていた。


 ネスコとニーサがタウの側に降り立ち、空に浮ぶものはルズカルだけとなった。イクロがネスコとニーサの元に駆け寄る気配も、タウの意識はひどく敏感に感じ取っていた。だから周りの皆がルズカルを見つめる気配が、ひどく悲しそうな事もひしひしと感じられ、張り詰めていて、タウに圧し掛かる。


「どうして?」


 泣きそうな顔をして、ルズカルの方へ一歩踏み出す。


「違うよね!? 父さん!!」


その瞬間、タウの頬を暖かいものがつつみこんだ。

 にはーっと笑う弟の笑顔が目の前に現れた。ネスコがタウの肩に手を置く。


「にーちゃっ」

「シグ……」

「ネスコ、タウを頼む」


 その深みのある声にタウははじかれるようにして天を仰ぐ。


「父さん!?」

「同時に私もそれほどは生きられぬ。……ヨバルスの側にいよう。あそこには、彼女も眠る」


 ルズカルはそう言って微笑む。タウは両肩に置かれたネスコの手を振り払う様にして前へ出る。ありったけの声でルズカルを呼ぶ。


「駄目だよ!」

「最後の最後まで、私は空のヨバルスを見守る」


 止める事は出来ないだろう。ルズカルの目を見てそう思った。

 自分が尊敬する父の眼差し。それをどうして止めることができるだろう。


「見守らせてくれ。それが長老としての最後の役目だ」


 タウは伸ばした手をゆっくりと落とし、1度唇を噛み締めた。沸きあがる感情をぐっと飲みこんで、そして、再びルズカルを見上げる。


「頼むぞ。タウ」


 茶色の落ちついた瞳。その向こうの木々、そしてもっと高い空。


 青い空。その上にあるヨバルスの大樹を思い浮かべて、一生懸命に微笑んだ。


 震えていた、泣きそうだった。


 でも、ぐっと目に力を籠めた。


「はい。父さん」

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