9 大地と天樹
帰っておいで。
帰っておいで。
戻ろう。
待ってるんだ。
天は美しく君を惹きつけ、
私は天の君に惹かれる。
君の欠片は私を慰め、
君のいとし子は私に歌をくれた。
君の欠片が沈黙して、
君のいとし子は私を赤く汚す。
だけど私は君に惹かれる。
帰っておいで。
帰っておいで……。
私に触れて、私と共に生きて。
私と共に、風を生んで……。
だから、帰っておいで、ここへ……。
タウ……。
小さな囁くような声が遠くに聞こえた。タウはその音を何かの合図のように聞いていた。
声。
あの声。あの響き。あの……優しさ。
ヨバルス……。
声はくれなかったけど、ヨバルスは暖かく包んでくれた。あの感触を思い出した。
タウ……。
(そうかぁ……)
一緒なんだ。
記憶の奥底にしかないけれど、思い出せば思い出そうとするほど曖昧になってしまうけども、その声の響きは。
(お母さん……)
シグを産んですぐに亡くなったお母さんの声に似てるのかもしれない……。
もう1度、呼んで欲しい。そうしたら、起きるから。
僕、起きて、今日も1日笑って過ごすよ 。
ヨバルス。
ぼやけた思考を遮る様にして頬に弾けた冷たい感触で、タウは目をぱっと開いた。目の前は緑色にぼやけていて、もう片方の頬は湿っぽいものに押しつけられている。
動く左手で近くをまさぐる。ひんやりとした感触が指先に伝わった。草か? この目の前の緑色に焦点を合わせて再認識する。草で、地面で、それから……。
そのままゆっくりと地面をさぐると、ふいに柔らかくて暖かいものに触れた。
あれ?
「そのまま! 動いて見なさいよ。噛んでやるからねっ」
タウははっとしてその場に身を起こした。瞬間、腕に走った鈍い痛みに顔をしかめ、その場に座りこむ。そうして、声のした方へ首を動かした。イクロが両腕で身体を支えて、身を起こすところだった。
柔らかいと思ったのはイクロの頬だったらしい。イクロがふぅっと息をついて、タウと同じようにその場へ座りこんだ。タウは自分の掌を目の前にかざす。
「あれ」
イクロが唇の端を吊り上げて、据わった目でこちらを見ていた。
「よかったわね、タウ。触ったのが顔じゃなかったらシメコロシてたわよ」
乾いた笑いで誤魔化しながらタウは上を見上げた。折り重なるようにした木の枝の隙間から少しの光が差しこんでいる。
この風景は見たことがある。最初に地に降りたときの風景でもあるし、ファイとラグ国の城下町に行く途中に通った風景でもある。つまりは、森の中ということだ。
「どうして」
返答を期待しない呟きだったが、イクロは同じように上を見上げながら答えた。
「なんだか知らないけど、私達、風に勝手に運ばれたみたい」
落ちついた響きに、思わずタウは『ふーん』と無感情な相槌を打つ。
「ここの風は本当無口ね。気まぐれで助けてくれたり、放り出したりね。うーん、なかなか空には帰れそうにないわ」
イクロの答えを聞いて、タウは視線を戻す。そしてようやく自分の右手に握り締めているものに意識が行く。
それはもう、一つの葉もつけていなかった。イクロがそれを覗きこんで、ふと目を細める。
「……最後の力だったみたいね」
「ヨバルスに返そう」
強くそう言ってから、タウは周りをもう1度見渡した。
「どうやって天へ帰るかだよね。風をまた根気よく探すしかないのかな」
「どうしようか」
イクロとタウは額を突き合わせるようにして、お互いに考えをめぐらせている。
「風、もう1度呼べないかな」
「ヨバルスの一枝、使えないかしら」
「同じように上手く行くといいけどね」
「そうよね……。ここらへんの風は中々……」
と、イクロは辺りを指差しながら探りだした。タウはタウで腕を組んでうなりはじめる。やがて彼女がその指を1点に指し示したまま動きを止めたことをタウは気づかない。
「でもさー。これでさ。みんなが争わなくなるといいね」
「あ……」
「みんな信じないかもしれないけど」
「う……」
「帰ってヨバルスに会って早く安心させないとねっ」
「た……う」
「さっきからなんだよ。聞いてるの? イクロ!」
「ばかばかばかばかタウ! 落ちついてる場合じゃないよ!」
イクロが左手の指をタウの後方へ指し示したまま、泣きそうな顔をして、右手でタウの二の腕にしがみつく。それをタウは至近距離できょとんとしてみていたが。
この緊迫感、とても懐かしい。
あることに思いついて、タウの顔は強張った。視線でイクロに聞くと、イクロはタウの言いたいところを察して、コクコクと小刻みに揺らした。タウは恐る恐る、顔を自分の後方へ向ける。
あ。
懐かしい大きな影。4本のしっかりとした四肢は地面に突き刺さる様にして立っていた。影を落としているのは大きなお腹。タウとイクロは同時に視線を上げる。
「竜だっけ?」
イクロがタウの首をしめる。
「どうすんのよおおお!」
「待って、イクロ!」
竜は長い首をゆっくりと動かして、タウを見下ろした。だが、あのときの竜の様子とは違う。彼らを見つけて、何かをしようという気は無いように思えた。
「様子が変だよ」
「へ」
タウはイクロの両手首を掴んで、自分の首からはずした。
大きな目が瞬いた。大きな琥珀色の瞳には穏やかな光が浮んでいるように見えて、タウは力を抜いた。
「どうしたの?」
思いきって問いかけて見る。竜は目を1度つぶり、そしてまた開いた。イクロはそのたびに怖がるのだが、タウは平気だった。
「僕たちに、何か用ですか?」
「あのころよりは冷静になったようだね」
タウは目を見開き、イクロは少しだけ飛び上がった。急に落ちてきた声は、竜のものではないようだった。それは、竜の口の位置からではなく、もっと後方から響いたからだ。
イクロはタウに身体を寄せた。怖がっているわけではないだろうが、少し不安の表情を見せる彼女の手を握り締める。
二人でその方向を見定めていた。今度は思いきったようにしてイクロが声を出す。
「誰?」
「怖がらなくても良い。ヨバルスの歌姫。私もこれも、君たちを傷つける意志はないのだからね」
ひどくあやふやな印象なのに、くっきりとした響きを持ってその声は彼らに届く。言っていることは分かる。だけど、どんな声という形容の難しい声だ。
「姿を、見せてよ!」
「もっともだ」
苦笑気味に響いた声と同時に、竜の後ろから人影が動き、現れる。長い黒髪の青年がいた。切れ長の瞳の色も吸いこまれそうな漆黒の色。そして、整った容貌はとても冷たく感じられた。だが、その唇に微笑を浮かべるとその印象は柔らかくなる。
「あなた、誰?」
イクロがそう聞くと、タウも頷く。
「名前はない」
彼はそう言うと、竜の首をやさしく撫でた。すると竜は首を1度振ってゆっくりと方向を転換する。そして、翼を上下させる。生まれた風にタウとイクロは耐えて、竜の行動を見ていた。翼を2度振ると、重たそうな身体がふわりと浮く。物言わぬ風を生み出しながら、竜の身体は木々の枝をぬって空へ上昇して行った。今度は、竜の身体は木々の枝を傷つけたり折ったりしない。森が竜の為に道を開く様に、枝を引っ込めたりしているのだ。それは不思議な光景だった。
竜が木々へ吸いこまれるように姿を消すのを見送ってから、彼はタウとイクロへ向き合った。
「座ろうか?」
そう声をかけてもイクロとタウは動かなかった。彼はその場に腰を下ろす。手をついた場所に生えていた草へ軽く微笑んだのを、タウは見逃さない。裾の長い服を流れるような動きでさばいて、彼は地面に胡座をかいた。
じぃっと見ていたタウの視線に気づいたのか、彼はタウを見て目を細めた。微笑を浮かべたわけでもないのに、タウは自分の顔から力が抜けるのを感じた。彼は二人に座る様に手で合図する。つられてタウもイクロもその場にぺたんと座りこんでしまったのだ。
「私に名はない。姿も本当はないのだ」
二人を交互に見るようにして、彼は語った。膝を抱えて小さく縮こまる様にして座っていたイクロが、しばらくして小さく聞く。
「……じゃあ、何なのって聞けばいいの?」
「そうだな。それなら答えられるかもしれない」
長い指の手を胸に当てて、青年は少しだけ頭を下げた。
「大地」
「……大地」
青年は顔を上げる。ふと微笑みがこぼれた。
「この大地」
「大地って、これ?」
イクロと同じように膝を抱えていたタウがきょとんとした顔で足元を指差す。と、青年は吹きだすのをこらえるようにした。
「そう。その大地」
「……えっとぉ」
イクロが額に指を付きつけて、首を傾げる。
「うーんと、大地がそういう姿をとってるとかそういうこと?」
「それが1番近いな」
青年は目を細めた。長い髪を後ろに振り払って、二人を穏やかに見つめる。
「君達に会いたくて。気配はずっと追ってたんだ」
青年は目を細めて微笑んだ。穏やかさに華やかな印象が加わって、二人は一瞬見とれてしまう。
「彼女は、元気?」
「彼女?」
タウはほーっと青年の表情に見とれながらそう聞き返した。深い笑顔。
優しい、笑顔。
「ヨバルス」
ほーっとした気分はその答えで吹き飛んだ。タウは抱えていた膝を離して前のめりになる。
「って、ヨバルスを知っているの?」
「勿論。彼女の波動をずっと感じてた。そう、ほら君が持ってる枝だ。君……タウ、だね?」
「なんで僕の名前」
前のめりになった身体を少しだけ起こして、タウは眉をひそめて聞く。
「それが教えてくれてる。そのヨバルスの一枝と、君のここにある枝と……」
自分の胸を指し示しながら、彼は言う。
「種」
「!」
タウは立ちあがった。イクロがタウと青年を見比べて、おろおろとしていたが、タウに従う様に立ちあがる。気色ばむタウの表情にも青年は態度を崩さない。
「君たちが存在する前から、私は彼女を知っていたよ」
青年は微笑む。そこに今までの微笑みに哀しみが加わったことにタウもイクロも気づかない。
それぐらい小さな変化。
それはどういうこと? と聞こうとタウが息を軽くすったときに、彼はタウを見て言った。
「もともと彼女はここに居たんだからね」
タウとイクロが目を見開いた。
「ヨバルスがここに居たの」
イクロの問い掛けと自分の鼓動が重なった。タウはぎゅっと胸にかかった袋を握り締めて目を瞑った。掌に伝わる熱さを感じながら、タウの耳には青年の穏やかな声が流れこんでくる。
「空に憧れた彼女を私は止めることが出来なかった。手放したくなかった彼女を、私は手放して空へ送った。いつか、帰ってきてくれると信じながら」
天は美しく君を惹きつけ、
私は天の君に惹かれる。
君の欠片は私を慰め、
君のいとし子は私に歌をくれた。
「種を私にくれるね?」
タウは目を開いて、彼を見下ろした。黒い瞳には穏やかさと、その奥には小さな光と。
焦がれ続け、待ち続け、抑え続けた強い思いがタウに伝わる。
タウはぎゅっと袋を握り締めた。強くなったり弱くなったりするその熱さは、まるで鼓動の様だ。
「どうして?」
タウは叫びたい衝動を抑えて、そう聞いた。少し声が上擦ってしまってかっこわるいと思えた冷静な部分が奇妙だった。
「種を持ってきてくれたということは、帰ってきてくれるということだね?」
青年は座ったままタウに手を伸ばした。
「そうだろう? ヨバルス」
「僕はそのために種を持ってきたんじゃない! 地上に降りてきたんじゃないよ!」
タウは袋を握り締めた。熱い。
前よりも熱くなっている。
「僕は、ヨバルスの為に。天に居るヨバルスが悲しまないように……、僕はそのためにっ!」
じんじんとまるで何かを主張するように種の熱さは強くなりつづけた。
だけど私は君に惹かれる。
帰っておいで。
帰っておいで……。
私に触れて、私と共に生きて。
私と共に、風を生んで……。
だから、帰っておいで
ここへ……。
僕は、ヨバルスがもう哀しまなくていいようにしたかったんだよ。
あの空で。
あの空のヨバルスの側にずっとずっと……。
悲しいことがあっても、
泣きたいことがあっても、
ヨバルスの側にいれば、
平気だったんだ。
ぽうっと、指の隙間から光が漏れていた。それをタウは不思議な面持ちで見つめる。一本一本指を開いて行くと、その光は強くなり彼は目を細めた。ゆるくしばった小さな袋の口の隙間から、光がまっすぐにタウの額を照らした。その仄かな暖かさをタウは懐かしいと感じた。
「ヨバルスは、私に自分のいとし子をくれたんだ。何よりも愛しい自分の子供を私に与えてくれた」
タウは青年の言葉を聞きながら、その光を見つめた。出した自分の左掌の上で袋を逆さにした。
小さな掌の上に、ころんと種が転がり出てきた。その種から光は発していた。呼吸をするように点滅している。
「ヨバルス……」
天のヨバルスは言葉をくれなかった。
なのに、この種は……。
「彼女を失って、どんな生き物をも育んでいく気力も自信も失った私に、彼女は最後の言葉をくれたんだ。その枝に寄せて」
タウは青年の方を見る。青年は立ちあがり、一歩一歩こちらに近づいてくる。だけど、タウは逃げようとしなかった。
ヨバルスの望みと喜びはここにあるのだから。タウは自分を照らす種の光を受けて、立ち尽くしてしまった。
(だけど、僕は……)
「私は彼女がくれたいとし子を、生命を。もう1度愛してみようと思った」
青年はタウの掌に視線を落とす。
「それでも私は彼女を忘れることはできなかったよ。だから、翼を持つものが降り立ったとき、彼女の姿を求めてしまう。その者が彼女を愛すれば愛するほど、鮮明に記憶をくれたんだ。美しいヨバルスの姿、美しい空の色。それを夢中で貰って……彼らから翼を奪ってしまった」
「ファイは、覚えてた」
「彼は、彼女を愛してはいなかったよ。……それよりも、私に憧れているようだった」
「僕達は覚えている!」
「君達は、私に充分彼女の声を聞かせてくれた。君達というよりは、この枝が」
小さな枝を指し示して、青年は目を細める。
「私にくれた。君には聞こえるね? 声が」
青年の目はイクロに向けられる。イクロはぎゅっと唇を結んだ。
帰りたいって枝は言った。
その行き先は、よく分かっている。
目を瞑れば、さわさわと葉の擦れあう音が聞こえる。
ヨバルスの大きな枝の下で感じる木洩れ日。ヨバルスの優しさを含んで落ちてくる光を、顔を上げていつまでも見ていた。
あの空気にとけこむような思い。
優しく慈しんでくれながらも、いつもヨバルスは哀しんでいた。
だけど、ここでは、ヨバルスの響きは、溢れんばかりの喜びと僕達への悲しみで溢れかえっている。
タウは琥珀色の瞳を、種に落とした。光は徐々に強くなって行く。目を細めてその瞳の先を探ろうとした。
光はイクロの姿を飲みこみ、自分の腕を握っていた彼女の指先を視界から消し、そして徐々にタウの姿さえ消そうとしていた。同時に大地の感触が消え、タウは真っ白な空間に投げ出された様に感じた。
目を瞑る。そして、もう1度開けたとき、タウの目の前には優しく細められた瞳があった。
その瞳を形容する言葉が出てこない。その顔は女性だと思った。だが、どんな顔なのか記憶に止めようとすると、伸ばした指をすり抜ける様に言葉は頭から消えて行く。
白い光の中で、タウと目の前の女性のたった二人きり。
タウは自分の手を見下ろそうとした。だけどそこに自分の手は見つからなかった。白い世界には輪郭が無くて、ただこの思考だけが残されている。
『私の可愛い子供たち』
その声にタウは目をつぶった。願っていた声だった。響きだけじゃない、この耳でこの翼で捉える事の出来る声。
自分の目。腕を伸ばして触れる事はできないけど、零れ落ちるものの軌跡をタウは感じることができた。
そっと暖かな感触を頬に感じる。
『帰りたい』
わかってます。とタウは心の中で思った。
貴方の思い、貴方の願い。すべて伝わってくる。タウはそっとその瞳を開いた。
その目の前には、もう誰も居なかった。ただ、頬に残る感触だけが、暖かさと幸福感をタウにもたらしている。
『ごめんなさい』
タウは自分の目の前の空間を見つめ、そしてゆっくりと頷いた。タウは口を開こうとした。思っていた言葉を口から発する。それは大変重労働なことに思えた。
「僕は……」
ようやく一言発したとき、白い世界は遠いところから収束した。回りの風景は色を取り戻し、光は一気にタウの手のひらに集まった。イクロの不思議そうな顔と、青年の静かな表情を見渡して、タウは一息ついた。
幻?
種は光をその実に漂わせ、ときに強く、時に消えそうなほど弱く光を繰り返していた。
タウはその種から顔を上げ、青年を見つめた。
「僕は、ヨバルスが大好きで」
青年は頷いた。タウの言葉を噛み締めるようなうなずき方だった。
「僕はヨバルスの望む事を……してあげたい」
イクロは赤茶色の瞳を涙一杯にして、こちらを見上げる。
「ヨバルスは、ずっと悲しんでた。
それは、地人が争うからじゃなくて。
ヨバルスの一枝が謝ってたのは……。
謝ったのは、地人にだけじゃなくて……僕達にもだから」
タウの腕にしがみつくイクロの手に力が入った。
「ここでヨバルスが幸せになれるなら。僕は……」
タウは彼女の肩を抱き寄せる。
「ヨバルスがもう泣かないでいいようにするために僕は大地に降りてきたんだ。
僕はヨバルスのいる空が好きだ。空にいるヨバルスが好きだ。それでも、ヨバルスがここで幸せになれるなら」
タウの琥珀色の瞳は、青年に懇願する。
「大地は、ヨバルスを愛してくれる?
なら僕は、空を望まない。僕は、ヨバルスと一緒にいたいから……」
イクロは種を挟むようにしてタウの掌に自分の掌を重ねた。タウがイクロを見ると、イクロは目を閉じて唇に笑みを浮かべた。
イクロの笑顔ではなかった。透き通った光を受けて、綺麗で切ない微笑み。
赤茶色の瞳に涙を浮かべながらも、薄紅色の唇に笑みを浮べる。それに、タウは見とれた。
「聞こえるね」
「うん」
「『嬉しい』」
ぽつりと呟いたイクロの言葉。イクロの声で話したのは、ヨバルスだろうか? ヨバルスの種だろうか?
「ヨバルスを、大地へ返します」
二人で手を青年の方へ差し出した。
答える様に青年は微笑み、そっと種とタウとイクロの手を一緒にそっと包みこんだ。
「ここでは、樹は私に根をはる」
青年はそう呟いて、タウの掌を見つめた。
「私に根をはり、生命を育んでいく」
タウは思い返した。今まで歩いた地上の風景を。人々の笑顔と悲しみと血と憎しみと。
はっとする緑の美しさと。花の華やかさと。
大地の、土の暖かさを。
パリッと小さな音が弾けて、タウは恐る恐る自分の掌に目をやった。青年がその手をどけ、イクロもゆっくりと手を離す。そこに現れたのは、光り輝く種だった。
茶色の殻を破って、小さな緑色の頭が覗いていた。
それをみて、タウはようやく微笑むことが出来た。
溢れるばかりの喜びを噛み締めて、青年の柔かな手のひらに彼は種を置いた。その瞬間、彼の姿はゆっくりと薄れ、タウとイクロがそのまぶしさに目を細めている間に、掻き消えてしまった。
タウがその場に視線を落とすと、大地には小さな芽が顔を出していた。
タウとイクロはしゃがみこみ、その小さな芽に微笑む。
さわさわと回りの木々が葉を擦れあわせる。その音と風が彼らの回りをやさしく取り囲んだ。
『おかえり……』
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