2 弟とヨバルスの種
リューラを俯きながら出たタウは、落とした視界に脚の先が入り、思わず顔を上げた。
腰に両手を当てて、胸を張りこちらを偉そうに眺めている少女。美しく細い亜麻色の髪が、首を傾げたときにサラリと揺れた。
「イクロ。ヨバルスのとこで待ってるって言わなかった?」
「飽きたから迎えに来たの」
イクロは感謝しなさいとでも言いたそうな顔で、笑った。
「元気出しなさいよ。何で怒られたか知らないけど」
「怒られてなんかいないよ」
リューラに呼ばれるのは、怒られるためと決めつけたようなイクロの発言に、少しだけ頬を膨らませて、タウはイクロの脇を通りすぎた。
「ちょ、ちょっと。ねえ、何言われたか教えてくれないの?」
「意地悪言うから、教えないよ」
「ええっ。タウもそんなこと言っちゃうわけ?」
「言うよ、たまにはさっ」
足早に中庭へ向かうタウを、イクロは飛んで追いかけた。
「どうしたのよ。ねぇ、教えてよ」
タウはひょいっと飛びあがると、風を素早く捕まえた。ちょっと悲鳴を上げた風に、小さく謝って中庭の噴水近くまで運んでもらう。
そして、その噴水の石に座ると風を離した。急に捕まえられてブツブツ文句をいう風に微笑んでやると、風はタウの周りを2周して頬にそっと口付けて飛んでいってしまった。
その風の軌跡を目で追いかけていると、隣にふわりとした空気が降りてくる。少し甘い香りがして、その空気がイクロのものだとわかった。
「ねえ、タウってばっ」
「僕、地上に行くよ」
タウはまっすぐに前を向いたまま、そう呟いた。イクロはきっと驚くだろうと思って、その言葉をそのまま待つ。
だけど、イクロはいつまでたっても何も言わなかった。
変だなと思いつつ、タウは言葉を続ける。
「ヨバルスの悲しみの原因を見つけに行くんだよ」
「ずるいっ」
イクロはそう言うと、タウの肩に手をかけた。びっくりしながらタウはイクロに向き直る。
「タウだけ? タウだけ行くの? ずるいよっ」
「ずるいってさぁ……」
「タウ、帰ってこなくなっちゃわない?」
「帰ってくるよ。僕、ヨバルス好きだもの」
「……ヨバルスだけ?」
イクロがちょっと目をうるうるとさせるので、タウは思わずうなってしまった。いつも強気なイクロのこんな面は、なんだか少しだけ、おかしな感じがする。
「イクロも……シグも好きだもの」
「も?」
「……そうだよっ。『も』だよっ」
少しだけ不満そうな顔をイクロはにぃっと歪めると、ぽんっと自分の胸を叩いた。
「私も行くよ」
「…え?……ああ?!」
「だって、タウだけじゃ頼りないよぉ。きっと、オジサマもわかってくれるわ。っていうか、言ってくるね」
「えっ、ちょちょ、イクロっ。地上ってそんな簡単にっ」
「平気よっ」
行ってくるねーと軽やかに弾みながら、リューラに向かって行くイクロを、口を開けたまま見送る。
「無茶苦茶だよ」
思わずため息と一緒に洩らした言葉は、タウの本音だった。
リューラにはまだ7人頭が残っていたはず。その中にいるイクロの父親が、猛反対するだろう。
タウは右足を引き寄せて抱え、膝に頬をくっつけた。目の前の石畳を二人の女性が、洗濯物を抱え談笑しながら横切って行く。
目を瞑り、耳をすませば、小さく高い鳥達の歌声がした。
カサリと木の枝が鳴り、チチチチッと鳴き声を残して風と共に鳥がわたる。
おしゃべりな風達。何を話しているのかは分からないが、クスクスと楽しそうに笑っている。
後ろの水音はタウの心を落ち着かせた。
大好きな、この場所。
(お父さんは、未来と言った)
未来を繋ぐためと……。
タウはぎゅっと唇を噛み締める。膝を抱きかかえる腕に力をこめた。
(僕達はこのままじゃ……いなくなってしまうってこと?)
ヨバルスの果実は、年々減っている。そして、生まれるヨバルズシアの子供も減っている。老人は果実を若いものに譲り、自ら命を縮める。天寿をまっとうすることなく、僕達は消えて行くということなのか。
タウは膝に額をこすりつけた。
美しい天空の城。
美しいヨバルスの枝。
みんなの歌声。みんなの笑顔。
すべてが失われてしまうってこと?
「そんなのは、嫌だ」
タウは言い放つと、すっと顔を上げた。と、そこには見なれた人物の顔があって、思わずひるんでしまう。
金色の髪がキラキラと輝いた。そして、水色の大きな瞳が嬉しそうに笑っている。
「にーちゃ」
「シグ……。お前、どうしてここに?」
大切な弟のシグは、兄にそう問われて、にーっと笑った。そして、足と手をバタバタと羽ばたくように動かす。すると、すぅっとその場に浮き上がったのだ。
「お前、風に乗れる様になったんだ。動けるんだ?」
「にーちゃ」
にっこりと笑って、シグはその小さな手でタウに抱きついた。
「よかったなぁ」
「にーちゃ、泣く?」
シグの言葉に、タウは笑っていた顔を真顔に戻した。
「にーちゃ、泣く? 泣くの?」
シグの小さな手が自分の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。慰めてくれてるんだろうか……。そう思うと言い表せない柔らかな思いと泣きたくなる思いが同時にやってきて、タウはシグをぎゅっと抱きしめた。
「兄ちゃん、泣いてないよ」
黒髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜられながら、タウはシグの小さな暖かさを抱きしめていた。
未来とか、運命とか、そういう難しいことはわからない。だけど、この小さな弟が幸せになれるように……。
「にーちゃ、ピピピピ」
シグの視線と差し伸べた手の先を見ると、赤色の鳥が青空を横切るところだった。それをまぶしく見送って、タウはシグの金色の髪を撫でた。
上気した顔をしてイクロが、心持唇をほころばせて、こちらに向かってくるのを見た瞬間に、タウは全てを悟った。
だから、イクロが口を開いた時に
「「一緒に行っていいって」」
二人の声は重なった。
近くにいたシグがにんまりと笑う。イクロは驚いたような顔をし、タウはため息をためこんでいるような顔をした。
「……よく、ネスコさんが許したよなぁ」
ため息の代わりにそんな言葉を吐き出す。
7人頭の1人、ネスコはイクロの父である。つまり、ネスコとルズカルは兄弟なのだ。ネスコはイクロと同じ、赤茶色の瞳をし、ヨバルズシアの中では一番の物知りだ。
イクロは、そう? なんて涼しく言って、近くにいたシグを抱き上げた。
「シグ~。飛べる様になったんだってね!」
柔らかな曲線を描く頬に、イクロが頬を擦り付けると、シグは高い笑い声を上げた。
「お父さんはさすがに、良い顔しなかったけどね。ルズカル様が強く押してくれたの」
ぺたぺたと自分の頬を触るシグに笑顔を向けるイクロを、タウは複雑な気分で見守っていた。
「ルズカル様……。何が起こってるのか、知ってるんじゃないかなぁ」
イクロのセリフに何も返せずに、ただ呆然としていると彼女は赤茶色の瞳をこちらに向けた。
「私が、ヨバルスが元気無いのは人間のせいでしょって言ったら、すごく困ったような目をされたのよ」
「僕は自分の目で確かめてこいって」
「まだ気の早い話だけど、私達が次の世代ってやつでしょ」
イクロはそっとシグを地面に下ろした。まだ、抱いていて欲しかったのか、イクロの足にシグはまとわりつく。だけど、その頭に手を置いてやると、安心した様にシグはイクロを見上げた。
「……次の長老はタウなんだから」
タウは少しだけ視線をシグに向けた。
「だから、きちんと見定めろってことよね。だから、私にも許されたんだと思うのよ。
私も、きっと7人頭に入るだろうから……」
7人頭は世襲制ではない。だが、歌姫として今からでも重要な役割を担っているイクロが、将来そこに仲間入りするのは誰もが想像することだった。
自分の黒髪を収まりなく引っ張りながら、タウは呟いた。
「地上か……」
イクロはそんなタウの琥珀色の瞳をじっと見つめた。
「ファイに会えたりするのかな」
もう数年前に空から出ていった、イクロとタウの兄のような存在だった人。
その黒髪と赤茶色の瞳を思い出しながら、イクロは空を見上げた。
「会いたくない」
本心からではないとタウは思った。けど、その言葉が苦しそうだったので何も言わなかった。
空を見上げるイクロの横顔を見つめ、そして、そのイクロを心配そうに見上げているシグに視線を落とした。
出発は明後日に……。
シグの笑顔が、悲しく見えるのは自分にそんな気持ちがあるからかな?
出発の日の朝、タウはヨバルスの前に浮かんでいた。
いつも悲しみの空気を纏っているヨバルスは、今日はとても静かな面持ちを見せて、タウに向き合っている様だった。
タウはいつものように元気良く挨拶はせずに、ただただヨバルスを見つめていた。
ヨバルスが、何かを言おうとしているような気がしたから。
時間だけが経っていった。だけど、タウはじっとヨバルスを見つめている。静かなヨバルスの顔を見ながら、タウは心の中に風があるのを感じた。
ヨバルス。
ヨバルスに本当は言葉なんて要らないのかもしれない。タウはヨバルスを見ながらそう思った。ヨバルスは……なにも言わなくても解ってくれている。
だから、心を込めてヨバルスを見つめる。その幹に右掌を置いた。
僕が地上に負けない様に。
ここに帰って来れる様に……。ヨバルスを心に刻みこんで行く。
イクロと僕を守って下さい。
ううん……イクロと僕はここに帰ってくる。せめて見守っていてください。
かさっとヨバルスの枝が揺れて、タウは弾かれた様に上を見上げた。風がそこに居るわけではなかった。
「ヨバルス?」
ヨバルスの天にむけて張り巡らされた枝の間から、小さく日が洩れている。それに片目を瞑りながらタウは何があるのか見つめていた。
と、ヨバルスの小枝が2つ、すぅっと音もなくタウの目の前に降りてきたのだった。
風が運んだのではない。
タウは琥珀色の目を輝かせた。全身に鳥肌が立つのを、むしろ心地よく感じ、恐る恐る二つの枝を掌にのせた。そっと握り締めると感極まった様に顔を上げる。
「ヨバルス!」
なにも言わないヨバルスは、沈黙の中でも優しい波長でタウを包み込む。少しの悲しみも含めて。
行ってきなさい。
そう言われた気がした。
同時に、謝られたような気もして、タウは首を傾げたが……2つの枝を持ってタウはヨバルスに微笑む。
「行ってくる! 行ってくるよ、ヨバルス!
僕は平気だよ。ありがとう!!」
タウはその幹に軽く口付けて、タウは通りすぎる風に乗り換えて、みなが待つ城へ帰っていった。
タウの向かう方角から、イクロの歌声が風に乗って渡り、ヨバルスの幹を包みこんだ。
城にはいくつか張り出された広い露台がある。それぞれ中央に噴水が引かれ、水が涌き出るそこで、普段人々は談笑したり、日向ぼっこをしたり、また洗濯物を干したりする。
そのうちリューラに近い露台はとても広く、石畳が広がっている。ヨバルズシア達の集会や祭りに使われる所である。
そこにルズカルを筆頭に7人頭が勢ぞろいし、ヨバルズシア達皆でタウとイクロを見送ろうとしていた。ルズカルの足元では、シグが一人顔を興奮で赤らめて、にぱにぱと笑っている。時折バタバタと手足を動かすのを、ルズカルが肩を押えることで最小限にさせているようだった。
イクロの歌を、みんながうっとりとした顔で聞いていた。人々が作り出す半円の中で、イクロはヨバルスの方に向けて歌を捧げている。
イクロの歌に歌詞はない。
歌詞も、楽器も必要がないのだ。
響きが彼女の歌の全て。
風との調和がその美しさの全て。
しばらく、この歌姫の歌が聞けないと思うと、皆はとても哀しくなるのだ。
イクロの母も素晴らしい歌い手である。イクロにその才があると知ると徐々に娘に譲って行った。今は完全に引退し、皆に歌を贈るのはイクロの役目となった。
だが、イクロがいなくなるとなれば、彼女が再び表舞台に立つのだろう。華やかで澄みきったイクロの歌声とは違い、穏やかさと温かさのある歌声に、また皆が慰められるのだろう。
イクロの歌に乗って、タウが戻ってきた。イクロの近くに降り立つと、彼女の歌が終わるまで待つ。タウが一緒に戻ってきた風は、イクロの頭上で彼女の歌に聞き惚れていた。
イクロは歌い終えると、皆を振り返り、少し気取ってお辞儀した。歓声と拍手の中にイクロは迎えられ、皆が上気した顔でイクロを取り囲む。
必ず帰ってきてねと口々に言う人々に、当たり前よと声を張り上げているイクロを横目に、タウはルズカルに向かって行った。
「にーちゃっ!」
ルズカルの手を振り払って、シグが真正面からタウに抱きつく。シグを抱き上げて、タウはルズカルに二つの枝を指し示した。
ルズカルはそれを見つめ、しばらくして頷く。
「ヨバルスがいつも側に居てくれれば、お前は空を忘れないだろう」
「お守りだよね?」
「そうだな。だが、それを決して地人に見せてはいけない」
「どうして?」
「それは地人にとっては魔法の枝だよ。命を吹き込んでくれる魔法のな。皆が争う。決して見せるな。袋に入れて首から掛けておくがいい」
貰った枝は、小指ほどの大きさだった。タウは頷く。ルズカルに言われて、小さな袋を持ってきた女性からそれを受け取り中に入れた。しっかりと紐を結んで、二つのお守りができる。
一つを自分の首にかけ、もう一つは左手でぎゅっと握り締めていた。と、シグが地面に降りる仕草をする。タウが降ろしてやると満面の笑顔をタウに向けてきた。
弟のしようとしていることが予想だにできなくて、タウはその笑顔に笑い返しながら、視線を合わせるようにしゃがみ込む。
「シグ、しばらくお別れだけどな」
「にーちゃ。これ」
とシグがぎゅっと握り締めた右手を、タウの目の前に突き出す。
「なにかくれるのか?」
ルズカルもシグを見守っている。小首を傾げたタウの目の前で、シグは右手拳を開いた。
「……シグ……」
シグの小さくてぷくぷくとした掌に、ちょこんと載った一つの種。小さな細長い種。
シグは驚いたタウの表情にも気にせずに、受け取ってくれる様に催促している。ルズカルも驚きを隠せない様だった。
「これは、駄目だよ。駄目だよ! シグ! お前がヨバルスから貰った最高の宝物だろ!」
ヨバルスの種。
ヨバルスから取れる果実の中には、種は入っていない。果実はヨバルズシアたちの命の源。それ意外にはありえない。ヨバルズシアたちこそが、ヨバルスの子供のようなものだから。
ただ、シグが初めて食べたヨバルスの実には、一つだけ種が入っていた。それを見たとき、幼心にも父が神妙な顔をしていたことを、タウは覚えている。
そのとき、ルズカルが何を呟いたのかはタウは覚えていない。ただシグのお守りになるということと、シグがヨバルスに特に愛された子供だというようなことを、言っていたような気がする。ただ、その言葉とは裏腹に、喜んでいる様には思えない父の表情もおぼろげながら覚えている。
ヨバルスに特に愛されている……。この言葉は当時タウの嫉妬の対象でしかなかった。だが、シグを見ているとよくわかる気がする。
この最高の笑顔。
タウがそんなことを思いつつ、シグに怒鳴りつけるとシグは一瞬きょとんとした顔をした。
「にーちゃ?」
「これは、お前のもの!」
シグは視線を自分の掌に落とした。そして、しばらくじっとそれを見つめ、またタウに目を向ける。
タウはぎょっとした。シグの目に大粒の涙が浮かび出し、横にぎゅっと引かれた唇が、震えはじめる。顔がどんどん赤くなり……。
タウはよくこの瞬間を見てきた。その度にルズカルの拳を頭に受けてきたわけだが。
「あ、あああああ! 泣くなっ! 僕悪いこと言ってないよ! 父さん」
助けを求める様にルズカルに視線を上げると、笑いをかみ殺したような表情をタウに向ける。
「受けとってやれ」
「へ?」
口を開けるタウは、ぐずぐずと言うシグの抑えた泣き声を聞いていた。
「いいの?」
「シグはシグなりに……お前のことが心配だろう。それに」
ルズカルはくしゃっとシグの金髪をなぜた。
「私も、お前がそれを持っていたほうがいいような気がする。ただ、それも……決して地人に見せるな。
いや、地上では出すな」
「うん」
「だが……お前が本当に必要だと思った時は」
「父さん?」
見上げると父は何かを考え込むような表情で目をつぶっていた。続きを飲み込んでしまった父は、ふと表情を和らげる。
「いや。……さ、受け取ってやれ」
不思議な顔をしながら頷いて、タウは泣きかけの表情のままの弟の、まだ差し出されている右手から、種をそっと摘み上げた。
「兄ちゃん、これ預かるな?」
「にーちゃ……」
シグは半分泣き、半分笑った顔をする。
「ありがとうな? シグ」
「うん!」
と言ってシグはタウに抱きついた。頬に頬を摺り寄せてくる弟に、タウは苦笑しながらシグを抱きしめた。
「にーちゃ、好き好き」
「僕も。僕がいなくなっても、シグはお父さんの言うことをよく聞くんだよ」
「好き好き!」
「……聞いてる?」
タウは仕方ないなぁと呟いて、シグを抱き上げながら立ち上がった。と、ルズカルの隣にいつのまにかネスコが黙って立っていた。その後ろに静かな笑みをたたえて、ネスコの妻・ニーサが立っている。
ルズカルと同じ茶色の髪は、額の真中から分けられている。ルズカルよりも明るめの茶色の瞳は、静けさと知性をたたえていた。タウは思わず姿勢を正してしまった。
タウはルズカルの弟であるこの叔父を、尊敬もしていたが同時に苦手ともしていた。
「タウ」
よく通る声は、ふとするとルズカルそっくりに聞こえる。だが、やはり柔らかな響きが含まれているなと思うのだった。
ネスコの瞳はいつもよりも穏やかで、そして少しだけ寂しそうだった。ニーサの瞳は振りかかる黒髪でよく見えなかったが……。
「はい」
「イクロを、頼むよ。お転婆で迷惑をかけるかもしれないが」
「い、いいえ。そんな、いや、はい……」
お転婆というところを、否定すべきかどうか迷った結果のタウの答えに、ネスコは目を細めて笑い、ニーサは赤い唇を微笑ませた。
「頼むよ、タウ」
「はいっ!」
「おとーさま、見当違い」
後ろからイクロが顔を出して、ネスコの背中をぽんっと叩いた。そして、驚いた様に目を見開くタウの隣に並ぶと、腰に手を当て、胸を張った。
「私が行くから、タウが大丈夫なのよ」
ネスコが娘の言葉をたしなめ、ルズカルがその隣で押し殺した様に笑う。その様子をタウは眩しそうに見つめていた。
自分に抱き着いているシグを、ルズカルに渡し、二人はみんなと向き合った。
すぅっと息をすって、タウはみんなを見まわす。そして、にこりと笑った。
「じゃあ」
「頼むぞ、タウ。イクロ」
ルズカルの声を筆頭に、みなが口々にいろんな言葉をかけてくれる。それに手を振りながら、タウとイクロは風を捕まえ、頭上を2,3回旋回するとすぅっと下降していった。
誰も露台から下を覗こうとはしなかった。
ずぅっと空を眺めているルズカルとシグ、ネスコとニーサを置いて、みなゆっくりと自分達の時間へ戻って行く。
シグが青空に手を伸ばした。
ニーサがすぅっと前に出て、ルズカルとネスコの視線を受け、露台の縁にまで行く。片手を青空に伸ばし、そして、ゆっくりと歌い出す。
娘のイクロのことを思ってか、それとも自分達の行く末を案じてか、歌声は優しく柔らかく……そして少しの悲しみが含まれていた。
ふりかかる前髪の間から覗く赤茶色の瞳は、青空を通して何を見ているのだろう……。
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