1 少年と小さな歌姫

 タウは翼をはためかせ、次の風を捕らえた。くすくすと笑う風を、優しく捕まえる。


「翼人」の翼は人間でいう耳の位置にあるのだ。というよりは、空を忘れた人々の要らなくなった翼が、耳に変化したのである。


「翼人」は翼で風を捕らえて飛ぶ。

 風の言葉を聞き、風と対話するために翼はあるのだ。


「おはよう!ヨバルス」


 タウはいつものようににこやかに、大木へ話しかけた。ヨバルスと話が出来るのは、いまや長老だけである。


 ヨバルスは嘆いている。遠い昔に愛しい子供達を大地に放ってしまったことを。


 だから、長老としか話をしなくなったんだと、ルズカル――今の長老でタウの父が言っていた。それを、いつもタウはつまらなく思っていた。


 何百年も、いや何千年も存在するヨバルス。その存在の暖かさにタウはいつも慰められてきた。


 イクロにいじめられたときも、母を失ったときも……ファイが空から出ていってしまったときも。


 ヨバルスの感情を感じることは出来る。でも、その言葉を聞くことはできない。


 だから、タウは毎日ヨバルスに挨拶する。いつか、ふと弾みにヨバルスが話してくれるような気がして。


 イクロはそんなタウをなじる。


『タウはいつか長老になるじゃない! そうしたら、いっぱいいっぱいヨバルスと話ができるじゃないの』


 タウはゆっくりとヨバルスの大きな枝に腰掛けた。


「いつか、なんて待っていられないや」


 ヨバルスの枝を手でさすった。その手から、じくじくとした波動が伝わる。よくよく神経を集中させれば、その波動はタウを包みこんだ。


 タウは目を細めた。

 その感情は、タウ自身感じたことのないものだった。


 母を失ったときにも似ている哀しみ?

 そう……ヨバルスは泣いている。


「ヨバルス。また悲しいの?」


 ヨバルスは泣いているのだ。いつも泣いている。タウはヨバルスが笑ったり喜んだりしたところを見たことがない(感じたことがない)。


 一度、弟のシグが生まれたとき、暖かい波動を感じただけ……。


 あのときの暖かさを、タウは今でも、まざまざと思い出せるのだ。

 そして、忘れられない。


 いつも、あんな風に優しく暖かくいてくれたらいいのに……。


 ヨバルスは泣いている。

 タウが生まれるよりも前から哀しみに包まれてしまった。


「『地人』はひどいことをするんだね……」


 タウはその頬をヨバルスの枝に摺り寄せた。大地に下りてしまった人々を、タウ達『翼人』は『地人』と呼んだ。


(『ヨバルスの一枝』を使って、地人は大地を緑で埋め尽くしたんだって。それで豊かな実りを得たんだって)


 タウはルズカルから聞いた『お伽話』を頭の中で繰り返した。


 ヨバルスの実を食べて命を得る翼人は、その実を食べるのはヨバルスが実をつけるときだけでいい。1年に一度でいいのだ。けど、地人は毎日何かを食べなくちゃならない。


(毎日毎日、何か探さなくちゃならない)


 たくさんになっちゃった地人をみんな養うほど、『ヨバルスの一枝』の効果は絶大じゃなかった。


 地人は、食べ物を争う。食べ物を争うってことは、住む土地を争う。そうすると、もともと住んでた人と争う。


 殺しあう……。


 ルズカルはそう言っていたけど、タウには殺しあうってことがよく分からなかった。


「タウ!」


 甲高い声が聞こえて、タウははっと身を起こした。イクロの声だ。


 イクロの声は高くて澄んでる。みんなイクロの歌声が大好きだ。ヨバルスも、イクロの歌声を聞いているときだけは、哀しみを和らがせた。


「イクロ!こっち」


 イクロは手を振りながら、こちらに飛んでくる。タウの前で風を掴んで引き寄せながら、ふわふわと浮かんだ。


「また、ヨバルスとお話?」


「うん」


「……また大地のこと、考えてたの?」


「……うん」


 イクロは仕方ないわねぇと言ったようにため息を落とした。


 そして、タウの隣に座ると、風を放した。

 イクロの放した風の道筋を翼で感じながら、タウは言う。


「僕にはわからないな。食べ物が原因殺しあうなんて」


「私がタウと新しい楽器や服を巡って、ケンカするのと一緒よ」


 イクロが少しだけ鼻で笑いながら、そう言うのを『少し違うよ』なんて思いつつ、タウは聞いていた。


「地の奴らなんて迷惑なだけじゃない。ヨバルスの恩恵も忘れて、『ヨバルスの一枝』から生まれた木々を破壊してさ。


 だから、ヨバルスが悲しがってるのよ。それで、出来る実が少なくなっちゃう……」


 イクロの語尾が小さくなるのを、タウは悲しそうに聞いていた。


「タウのおじいちゃんが、早く死んじゃったのも……。

 私のおばあちゃんが死んじゃったのも。奴らのせいじゃないの……」


 タウはふと頭上に広がるヨバルスの枝を見上げた。


 優しき母なるヨバルス。

 頼もしき父なるヨバルス。


 ヨバルスのつける実は、いつも充分過ぎるほどあった。それが、ここ数年の間に一気に減ってしまったのだ。


 当時、長老であったタウの祖父は、『年齢の低いものから与える様に』と言った。自分は一切実を食べようとしなかった。


 成人を超えたものは半分と決める様になってからも、祖父は一切口にしなかった。


 そして、翼人の寿命の半分も迎えないうちに、死んでいったのだ。


 タウの祖父の妹だった、イクロの祖母も跡を追うように死んでしまった。


 イクロが地人を嫌うのはそれが原因なんだと、タウは思っていた。


 翼人の数も少なくなりつつある。

 地人よりは倍の寿命を持っているとはいえ……。


 タウは悲しくなった。


 もともと地人と自分達は同じ人なのに……。

 どうして、ヨバルスを悲しませるようなことを平気でするんだろう。


 ヨバルスを忘れてしまったのだろうか?


 空を見上げると、ヨバルスの枝が気まぐれな風たちの恰好の遊び場所となっていた。風がヨバルスの枝を揺らし、ヨバルスの葉の囁きを楽しんでいる。


(ヨバルス)


 ヨバルス。ヨバルス。泣かないで。

 いつか、僕がなんとかするから。

 僕がいつも側にいるから。

 泣かないで、ヨバルス……。


「そう、タウ。長が呼んでたわよ」


 イクロの声に、タウは翼をぴくりと動かした。


「父さんが?」


「そ、私はそのお使い。

 さ、さっさと行って頂戴。リューラにいらっしゃるから」


 地人がいくら見上げても、その目に映ることはない翼人の住む天空の城がある。翼人はみんなそこに住むのだが、その一番上の部屋をそう呼んだ。


 長の住処であり、翼人の約束はそこから生まれるのだ。


「何かなぁ・・・・・・」


「私はここで歌ってるから、早く行ってきて教えてよね」


「何か悪いことかな」


「さぁ、知らない、わ、よっ!」


 イクロは張り倒すようにタウの背中を押した。枝から均衡を崩すように落ちるタウの体を、優しい風が支える。


「イクロ!」


「あら、びっくりした?」


「心臓に悪いだろ」


「大丈夫よ。風があんたを落とすわけないじゃないの」


 クスクスと笑う幼馴染の笑顔を少し睨みつけるが、イクロには効かない。諦めて、タウはヨバルスとイクロを後にした。


 タウの去った後、ヨバルスの枝がざわめいた。イクロはヨバルスのひやりとした幹に頬をつける。


「ねぇ、ヨバルス……」


 イクロは呟く様にその名を呼ぶ。


「タウが好きなら、一言ぐらい話してくれてもいいじゃない。

 どんなに悲しいことがあるのか知らないけど、でも、私達みんなヨバルスの為にいるのよ……」


 ヨバルスは風にその枝をまかせ、さざめいた。その言葉を知ることが出来ずに、イクロは大きく息を吸う。


 そして、その口から大きな声を出した。長く遠くまで響く様に、それは、ゆっくりと歌に変わっていく。


 少し悲しい曲は、ヨバルスの気持ちから汲んだ曲だった。


 小さな歌姫の歌は、天空の城に風によって運ばれる。


 その声と歌の美しさに耳を傾けながら、ヨバルズシア達の1日は始まっていくのだ。






「父さん。僕です」


 リューラの前で少し緊張した面持ちをしながら、タウはそう声を張り上げた。いつもなら、一言『入れ』などといわれるのだが、今回はいつまでたっても返事がなかった。


「父さん?」


 代わりに、無言で扉が開かれた。その扉は自分で開けるものだと思っていたタウは、少しだけ驚いて肩を震わせる。扉が開き、その隙間から出てきた顔は、7人頭の1人だった。


「キューレルさん……」


 柔らかい栗色の巻き毛を自慢に思っている7人頭の1人、キューレルは太くふさふさした眉を寄せた。最近、恰幅が良くなってきたのは気のせいじゃないなぁなどと、タウはキューレルの出てきた腹を見てそう思った。


「タウ。ご苦労さん」


「会議中だったんですか? 僕、出なおします」


 7人頭と長老によって、ヨバルズシアたちは統率されている。その会議は他のものに、決して侵害されてはならないものだった。


「いや、いやいや。違うんだよ。タウ。入ってくれなくては困るんだ」


 キューレルはそう言って、扉をもう少し開けた。タウは少し首をかがめながら、小さく返事をして中に入る。


 上座に長老である父をはじめ、7人頭に囲まれてタウは入ってすぐの場所に立ち尽くしてしまった。


 一番遠い位置に居る父の顔が、とても険しくてタウは思わず後退りしてしまった。それに気付いてか、父は吊り上げていた眉を少しだけ下げたようだった。


 片膝をたて、そこに肘をついてこちらを向いている父の顔と、胡座をかいている7人頭達の顔を見回した。


 7人頭に注目されて、タウは両手を後ろに組んだ。


「タウ」


 父の声に弾かれた様に、下げかけた頭を上げる。


「悪いな。突然」


「いえ、それはかまわないけど……かまわないんですけど」


 砕けた言葉を思わず直し、焦ったような顔をしたタウを見て、7人頭の間に張り詰めていた緊張感が少しだけ緩んだ様だった。それで、タウはやっと大きく息をつける。


「だけど、見たところ会議中みたいで。僕、邪魔じゃないんですか?」


「いや、お前のことを話し合っていたんだよ」


 少し暗めの父の声に、タウは首をかしげた。


「タウ」


 7人頭の視線が一点にあつまった。だが、タウは真剣な父の目を一生懸命に見返していた。


「地上へ降りてくれるか」


 衝撃を与えられたように、タウが体を震わせた。


「地上へ降りて、ヨバルスの悲しみの原因を突き止めてほしい」


 父の瞳の力強さ。タウはごくりとつばを飲み込んだ。


「ヨバルスの悲しみの原因って……。地人が争ってるからじゃないんですか?

『ヨバルスの一枝』を巡って、争うのが悲しいからじゃないの?」


 思わず前のめりになるタウを、ルズカルはじっと見つめていた。強い瞳に、笑みを含めてルズカルは頷きもしなかったが、否定もしなかった。


「タウ……。言葉と言うのは必ずしも真実ばかりを含んでいるわけではないんだよ」


「えっ」


「それは、誰から聞いた原因だい?」


 優しく微笑んでいる父の目に、見たことのない無い光が篭っていて、思わずタウは身を引いた。


「みんな、そう言ってるから」


「タウが見て、聞いて、判断した原因じゃないね?

 興味本位に地上に降りて、帰って来ることの出来た仲間達の噂話だね?」


 責められているわけではない。それはよくわかったが、タウは首を縮めてしまった。


「そう……です」


「タウ。自分で見つける必要がある」


 タウは父を見つめた。父は、ぐっと背筋を伸ばし、リューラに響き渡る声で言った。


「次代の長となるお前に、命ずる」


 タウは背筋を伸ばした。7人頭たちがいっせいに頭を垂れる。その頭上を通り過ぎて、父の声はタウに届いた。


「地上に降り、ヨバルスの悲しみの原因を見定めよ。

 そして、その解決への道を探れ。

 私達の運命を、未来へつなげるために」


 タウは毅然と顔を上げる。


 泣いているヨバルス。そのヨバルスのために。


 僕はヨバルスに誓った。いつか何とかすると。

 いつか、いつか? いや、今だ。


 それは、『今』だ。


「お受けします」


 誇り高く目を輝かせて、タウはそう答えた。

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