スズランさん
【デジャヴ】【全開だとR18に抵触してしまうほどの魅力】【深窓の令嬢】
その人をスズランさん、と呼びだしたのは、一体誰だっただろうか。
帰り道の途中、僕等はいつもその家の二階の窓を見上げる。蔦生い茂るもう十年以上だれも住んでいないという洋館に、彼女はいた。夕日が差し込んでいる。
肩まで伸ばした黒髪。遠くからなのでその表情はうかがえないが、笑っているようにも見える。白いワンピースに、綺麗な赤の花模様が浮かんでいるのが見えた。部屋の中にいるのに、なぜかいつも麦わら帽子をかぶっている。体の半分はカーテンに隠れてしまっていて見えない。なんとなく、僕はカーテンを開けるような、そんな仕草をした。
「スズランさんだ!」
亜美がはじけるような笑顔で手を振る。背中で真っ赤なランドセルがカタコトと揺れた。やめろよ、幽霊かもしれないだろ? 亜美の腕をつかみおどおどとした声で言うのはアキラだ。
亜美はぷくうと膨れてから、アキラに突っかかる。
「ほら、あんなに優しそうな人が幽霊なわけないじゃない! なあにあっくん、ひょっとして怖いの?」
「こ、怖くねえよ。……ああ、確かに怖いかな! 美しすぎて!」
「むぅ、なによぅ、私よりスズランさんの方が綺麗?」
「ああ、そうさ綺麗さ、きっとあのカーテンが全部開いたらR18になっちゃうくらいの! アユなんか鼻血吹いてぶっ倒れちゃうくらいの美しさなんだ!」
「な……わけ分かんなこと言わないでよ!」
あーあ始まっちゃった、と僕は二人から顔を背けた。亜美はカワイイ、だとか綺麗、だとか、そういう言葉にやけに敏感なのだ。背後から二人の喧嘩腰の声が聞こえてくる。
……きっと、アキラがスズランさんをほめるような言い方をしたのもあるのだろうけれど。可愛い嫉妬だ。お願いだから僕を巻き込まないでほしいのだけれど。
「……わかったわよ! こうなったら、スズランさんに直接会って聞いてやるんだから! その、綺麗さの秘訣とか!」
「はぁ?!」
驚いたらしいアキラの声に振り向くと、亜美はすでに洋館の玄関へ手を伸ばそうとしていた。ノックもせず、ぎぃぃぃ、と開けたドアの中へと入っていく。
「ちょ……おい、待てよ!」
きれアキラが亜美を追いかける。漆黒のランドセルが、扉の中へと消えた。
「え」
僕は一瞬固まったあと、同じように洋館に近寄る。扉のノブに触れると
ぞわ、
とその金属の冷やかさに鳥肌が立った。
一つ、溜息をつく。ノブをひねり、思いっきり引くと扉はすんなりと開いた。呆然と立ち尽くすアキラの背中が見える。
音を立てないようにして扉を閉めると、下界の光が遮断された。黴臭さが鼻を刺激する。薄暗い。埃がゆらりゆらりと舞っているのがぎりぎり視認できる。
床は木製で、所々白い綿のようなもの、そして大量のぬいぐるみが散らばっていた。くま、きりん、うさぎ、ねこ。縫製が甘く白いものが飛び出したもの、カビをはやしたもの、壁に寄り掛かってだらりと両腕を下げているもの。種類は様々だった。奥までずっと、そんなぬいぐるみたちの行列が続いている。
アキラにそうっと近づいて、
ふうっ、
と耳元に息を吹きかけてやる。
「のあっ?!」
思い通りに飛びあがったアキラは、こちらを見てなんだよお前かよ、と疲れたような表情をした。
「……アユも入っちまったのかよ。ああもう、さっさと亜美んとこ行くぞ」
「大切なんだな」
呟いた声に、アキラはこちらを見て顔を赤くする。口を小さく開いたり閉じたりして、ああ、だとかうう、だとか、言葉になっていない音を出す。
「亜美に言ってやればいいのに。ちゃんと綺麗だって」
茶化しながら一歩踏み出すと、
ぎぃ、
と床が苦しげな音を出す。
じろり、
と硬めの取れたうさぎのぬいぐるみと目が合った気がした。
「……綺麗になったら、ちゃんと言ってやるさ」
困ったような、泣きそうな、そんなアキラの声。
ぎぃ、
ぎぃ、
ぎぃ、
一定のリズムで、僕等は床の木目を傷めつけてゆく。雨漏りしている場所があるのか、所々が黒ずんでいる。間違えても踏み抜かないよう、一歩ずつゆっくりと歩いていく。
「……階段」
「ああ」
「アキラ、先行けよ」
「ん」
奥で僕らを待ち構えるようにひっそりと存在していた階段を上る。
「なあ」
ぎし、
「アユさ」
ぎし、
「スズランさんってさ」
ぎし、
「――ほんと、綺麗だよな」
ぎし。
「ああ」
短く答える。
階段を上りきった先には細い廊下が広がっていて、一番奥に一つだけ扉がある。
僕は、知っている。ぼんやりと、ただぼんやりと、しかし、確かに、はっきりと。思い浮かぶ。思い浮かぶ。その金色に光るドアノブの感触も、開いた時の扉のうめき声も、その向こうに何が待っているのかも。手によみがえる感触。目の前に広がっている。吐きたくなるような、しかし思い切り深呼吸をしてしまいたいような臭いも分かる。耳が聞きたがっている。
それは、
「ぎゃ、あ、あ、あああ、あぁ、あああああああああああっ!」
きこえ、た。
悲鳴だ、ドアの向こうからだ、見たいみたい見たいみたいそれは、白だ。いや、赤だ。綺麗だ、本当に美しい、綺麗だ、赤だ、白だ、白だ白だ白だ赤だ赤だ赤だ。
僕は、それを知っている。覚えている。
――三回目だ。
アキラが走り出す。その目は白く濁りきり、唇の端からはよだれが垂れている。ああ汚い、でもわかる、きっと今の僕もそんな風になっているのだろう。足が絡まる。でも止めない。走るのをやめられない。床が壊れてしまわんばかりの音を立てている。
「アユ、アユアユアユおまえほんとうらやましいよ、さ三サン三回目なんだろお前の時と時と俺のときと合わ合わせて、っ、ずるいよなほんとにほんとにだましやがってああ亜美あみあみきれいだよきっときれいだきれいだうつくし」
バンっ、
とアキラが扉を開けた。光が飛び込み、目を焼く。
もはやきちんと見えているのかもわからない僕の目に映し出されたのは、それはそれは美しい一瞬だった。
カーテンは、全開になっていた。開ききっていた。
窓辺に、女性が座っている。漆黒の、まっすぐに伸びた髪の毛。白い頬を軽く覆っている。すっと伸びた鼻。愁いを帯びた、こげ茶色の瞳。長いまつげ。まとっているのは、真っ赤に染まった絹のワンピースだ。手には、骨みたいに白い針を一本、握っている。
縦にすっぱりと半分に切られた女性は、その片目で僕らを見て、にっこりと笑った。
ぞわ、
と、おのれの内を何かが這いあがっていく。
よく研がれた包丁か何かですっぱりと一刀両断されたような、綺麗な断面。血は抜けきっているのに、腐ったようなそぶりは一切ない。人体模型を開いたような、いや、そんなんじゃ彼女の美しさを語ることなんてできない。芸術作品のように並べ立てられる骨、真っ白な脳みそ、鼻の筋肉、そこにあるべくして収まっている腸たち。
一つしかない膝には、腹に大穴を開けた亜美が乗せられている。両腕を反対側にだらりと垂らし、その目はもはや僕らを見てなどいなかった。スズランさんを、スズランさんの美しさを、ただただ眺めていた。
腹の穴の中にはすでに綿がぎっしりと詰められている。思わず、僕は自分の腹をさすった。きっと、僕の、ぼくの僕の中にも。スズランさんの手が、針が、やさしくて。やわらかくて。床も壁も赤く染まりきって、亜美の中に入っていた汚いものすべてが投げ出されていた。ランドセルが他のぬいぐるみたちと同じように血だまりの中で転がっている。
すとん、と自然に膝をついていた。力が抜ける。運よく、前には倒れずに済んだ。よかった、こんな風景を一度たりとも見逃すことなんてできない。
やがて、女性は
ぷつ、
と針を亜美の腹に刺した。器用に針を引っ張る。日の光に照らされて、透明な糸がぎりぎり見える。
ぷつ、
ぷつ、ぷつ、
ぷつ、ぷつ、ぷつ、
と、針が刺さっていく。傷口が埋まっていく。
「だいじょうぶだよ、あみ」
同じように膝をつき、壁にもたれかかっていたアキラがうわごとのように呟く。
「だいじょうぶだよ、これでぼくらもいっしょ、いっしょだいっしょだ。しんぱいだったけれど、あみはあみはあみはにんげん、で、あ、れ? しんぱ、しんぱい、なにが? ……だいじょうぶ、笑える、にんげんじゃなくなるだけ、ほかはいっしょ。ばれない。いつもどおり。すずらんさん、すずらすずらんさんが、そうしてくれるから」
アキラは、心底嬉しそうに笑う。
「綺麗だよ――亜美」
……ちぇ、調子がいいんだから。
亜美が出来上がるまで、僕等はじっと夕日さす窓辺を見ていた。
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