青いオオカミと一匹の蠅
前作「青いオオカミと赤い頭巾」の前日譚となります。
【パラダイムシフト】【命運は君の手に】【妄信的崇拝】【夢見草】
「お前さ、いい加減泣くのやめろよ」
僕はそんなセリフを吐きながら、ほれ、とハンカチを渡した。最近はずっと二枚持ってきている。ぐずぐずと下を向いている奴に渡すためだ。
ひらり、と桜の花びらが舞い、ハンカチに落ちる。
「ごめん……でも、だって……私……」
「いいから」
ハンカチを握らせ、ぐしゃぐしゃになった顔を拭かせる。
しっかし、今日は派手にやったなあ。わざと大きな声を出した。
体育館裏、少し湿気のある場所。近くには大きな桜の木が一本、生えている。バカ騒ぎをする不良どものたまり場、だった。今は驚くくらい静かだけれど。
その隅で、僕らは座り込んでいた。周りには、倒れ伏している他校の生徒。皆男だ。もちろん、やったのは僕じゃない。彼女だ。
校則をきちんと守った、シンプルな夏の制服。白い制服は泥で少し汚れていたけれど、加工などは何もされていない。かわいらしい赤いリボンが映えている。
藍色のスカートは膝下十センチ、後ろで軽く茶色のゴムで一つにまとめた黒髪がさらりと落ちる。化粧なし、眉もそのまま。
どこにでもいるような、優等生の女の子、だ。
――その目つきの悪さを除いては。
典型的な吊り目。ぱっちりとした一重瞼。そして、何でも飲み込んでしまいそうなほど真っ黒な瞳孔。虹彩も黒いので、睨み付けられでもすれば誰でもビビって逃げてしまうだろう。まるで、一匹狼みたいだ。
幼いころから彼女はその目つきの悪さで何かと勘違いをされ、こうしていわゆる不良から要らんちょっかいをかけられるようになってしまった。
そして、さらに運の悪いことに――
「なーんで、妙にセンスがあるのかねえ……」
殴られたり蹴られたりしているうちに、いつの間にか耐性がついて、しかも反撃ができるようになってしまったのだ。柔道とも空手とも言えぬ不思議な型を使いながら相手の意識を奪っていく彼女は、別世界の人間のようだった。
どうやら一時期その系統の漫画にハマっていたことがあるらしく、それにも原因があるとも見た。しかし、彼女の喧嘩のセンスというのは抜群らしい。毎回、それこそどこかの漫画のように声をかけられては、嫌々ながらもちゃんと相手を殺さないレベルで打ちのめしている。
そして、毎回すべてを終わらせた後、こうして泣いているのだ。慰めるのは、腐れ縁の幼馴染一人だけだった。つまり僕だけだった。彼女の数少ない友人は、このことを知らない。
僕は足を立て、軽く制服のズボンについた泥を払う。そして軽く頬を掻いた。
「……ったく、泣くなよ本当に。正当防衛だよ正当防衛。言ってるじゃないか」
体育座りをしたまま、奴は顔を上げない。時折上がるしゃっくりと泣き声だけが、空間を満たしていた。
僕自身は、喧嘩なんてものはできない。確かに小さいころから奴の隣にはいたけれど、センスの方は皆無だった。にらみを利かせる奴の後ろで、こっそりと逃げるタイミングをうかがっていた。大抵、走り出す前に奴が倒してしまったので逃げることなどできなかったのだけれど。
僕は奴の隣で同じように座り込み、泣き止むまでぼうっとしていることしかできなかった。それは、いつまでたっても変わらない。
……我ながらひっでぇやつ、と自嘲する。
なあ、お前はさ、確かに目つきは悪いかもしれないけれど、お前が何でもないときに浮かべてくれる笑顔は、結構破壊力あるんだぜ? だから、笑ってくれよ。
そんな浮ついた言葉さえ、僕には口にできなかった。
からからとした笑い声は以外にも響いて、体育館が切り取った青空に吸い込まれていく。
🐺
「なあ、どうしたらいいと思う?」
「どうしたらと言われましても。その一人ぼっちのオオカミ? についてるハエはなにもできないんですの?」
「ハエとは一言も言っていない」
翌日、耐えきれなくなった僕は学校で友人の赤村に相談した。勿論かいつまんで、かつおとぎ話ふうにアレンジを加えて、である。
彼女はある意味で学校の裏を司るもの、という類のうわさがよく流れている人物だ。彼女の持つ三台のスマートフォンには様々な情報が詰まっている、とか。暴力的な裏バンである奴の数少ない友人の一人でもある。
僕にとっては、ありがたい存在だ。
教室の中は騒がしく、僕らの会話は誰にも聞こえていないようだ。奴は他の子と屋上へお昼を食べに行っている。
赤村は自分の机の上で二台のスマートフォンを同時に操りながら、赤く塗られた唇をへの字にする。むう、と言ってから口を開いた。
「……でも、ユウコちゃんが追いかけまわされない方法を教えろなんて結構難しいですのよ? 彼女の強さは本物――」
「ちょっと待って」
僕の徹夜で考えたストーリーをぶち壊すな、って、え?
赤村は不思議そうな顔をして答える。
「はい? ユウコちゃんの喧嘩の強さなんてこっちの情報網の中じゃ有名ですのよ? 可愛らしくカッコいい女子がいると。結構人気なのです……私を誰だと思っているんですか」
そうだった。
……じゃあ、こいつは、そこまでわかっていて。
あざとさを生まれる前から身に着けているような、まつげの長い瞳を見つめる。奴とは違う、光が適度に入る虹彩。その奥に潜むのは、確かな信頼だった。ただ単に猫をかぶっている、だけではなさそうだ。
「とはいえ、ですねえ、あの目は確かに危険ですの。ぞくっと来てしまいますわ」
「それは意味合いが違ってしまっている。赤村、ほんとにお前は猫かぶり――あ」
オオカミ。被る。赤村。赤。一匹オオカミ、でなかったとしたら。
オオカミはオオカミでも。
僕はひらめいた。
いやでも、うん、だが、僕は、いや僕はどうでもよいとしても。
教室の北の方向を見つめる。壁の先にあるのは、あの体育館の裏側だ。桜の花びらが散る中で立つ、奴の姿がぼんやりと脳内に浮かぶ。
「何か思いついたんですか? ……私に聞く必要、あったんですかね」
とりあえず自分の席に戻ってください私忙しいんですから、と三つ目のスマートフォンを鞄から取り出そうとする赤村。
僕はその手首を、強くつかんだ。
「……へ、なんです、の?」
硬直する彼女に向かって、僕は一度口をつぐんだ。しかし、やはり言葉に出してしまう。
それで、奴が笑顔になれるのなら。
「赤村、ちょっと僕らの命運、握ってみない?」
🐺
「なあ、今日も喧嘩、か?」
「うん、隣町の人、らしいよ。私のうわさを聞き付けたって、下駄箱に封筒が」
「なにその一昔前の果たし状」
「だよねー、しかも相手こんな女子女子してるやつだよー」
サポーターを巻きながら困った表情を浮かべる奴に、僕は何も言えなくなる。
場所はやはり、分かりやすく体育館裏だった。かなり散ってしまった桜の花びらが地面に落ち、泥とまみれてしまっている。
奴は花びらを踏みしめ、あーあ、とため息をついた。
奴が見上げる空は相変わらずの快晴で、じめじめした土の上に立つ僕らをあざ笑っているようにも見えた。
徐々に足音が近づいてくるのがわかる。五人……いや、六人、か?
ああ、と僕も一つ息を大きく吐く。やっぱり僕は、何もできそうになかった。何も言えなかった。名前一つ、呼べない。きっと、こういう立ち位置なのだ、僕は。
だから――だまって、左手に握っていた紙袋を差し出す。
「……なに?」
「開けて」
紙袋のセロハンテープをはがし、中を確認する奴。
「……青いジャケット?」
首をかしげる奴に、僕は袋からそれを取り出して上から被せた。白い制服の上からなので少しおかしい気もするが、まあ、その辺は気分である。
そう――気分。
「やっぱり、雰囲気って大事だろう?」
僕にできる、精一杯の笑顔を作った。口の端を無理矢理上げ、目を細める。
「それから、今から私、って禁止な。喧嘩するんだもん、せっかくならオレって言おうぜ。オレッ娘、っていうのもなかなか良いだろう?」
ざ、ざっとなっていた足音が止まる。やあ姉ちゃん。遊びに来たぜ。そんな臭い台詞が、遠くから聞こえてくる。
しばらくぽかんとしていた奴の顔が、引き締まった。スイッチが、入ったのだ。今日は人数が多い。奴が着たばかりのジャケットの袖をまくる。
本気、のようだった。
目の鋭さが増していく。口は堅くつぐまれていた。それでも、泣きそうな、困ったような表情は抜けなかった。僕に背を向け、相手と対峙する。
僕はトン、と奴の背中をたたく。ジャケットの硬い感触が、彼女に直接触れることを許さない。そのまま何も言わずに、押し出した。
桜の花が散っていく。映画のワンシーンみたいだ。
僕は、夢を見ている。
見せているのは、一人佇む青いオオカミだ。
ちょっかいをかけられるのなら、もう吹っ切ってしまえばいい。お前は強い。そうだろう? なら、散々強いところを見せてもう誰もかかってこれないようにしてしまえばいいのだ。それに――
僕は、さっと右手を挙げた。
その瞬間、相手方の後ろに人影がたつ。一人、二人……全部で八人。女子も男子もいるが、皆ただ者ではなさそうだった。後姿でも、奴が驚いたのがわかる。
下は学校の制服。そのまま駆けつけに来ました、と言わんばかりだ。学校もバラバラである。しかし全員、なぜか赤いフード付きのコートをかぶっている。喧嘩を吹っかけてきた側の学ランに金髪、という典型的な不良どもがたじろぐ。
今だ。
僕は紙袋の中に残っていた赤いコートを取り出すと、勢いよく羽織った。
そして叫ぶ。
「僕らは赤頭巾――オオカミを守るものだ!」
やれ。
驚いて立ち止まったままのオオカミをよそ眼に――僕は走り出した。
🐺
「要するに、今のユウコちゃんに足りないものはインパクトだ、と。なめられてしまっているからいけないのだ、と、そう言いたいわけですね? で、この作戦ですか……」
赤村にお願いして、僕は彼女の強さを認めている「カッコ可愛い女子のファン」に連絡を取ってもらったのである。
人気があるとはいえ、昨日の今日ではなかなか集まりが悪かったらしいが、まあ、その辺の不良を叩き潰すには十分な数と力だった。
結局、僕はすぐに腹にパンチを食らって伸びていてしまったのだけれど。
目が覚めたとき、見えたのは青いジャケットを着たままの奴の泣き顔だった。桜の花びらが僕は、くすりと笑う。
「ひどい顔。……ハンカチ、要る?」
確かに奴は泣いていたけれど――それは、うれし泣きだった。
僕がずっと見たかった、彼女の笑顔。
「ユウコちゃんにはすでに説明いたしましたわ。まあ、これきり完全に喧嘩を吹っかけてくる奴らがいなくなる、というわけではなさそうですし――しばらくは活動を続けますかね」
赤い頭巾をかぶった赤村が、楽しそうに笑う。手には、なぜか水鉄砲が握られていた。武器ですのよー、と教わったが……詳しい使い方は、聞かないでおくことにする。
「ユウコちゃんは私たちがお守りいたしますの。だって、女神ですから……ねえ」
今度はにやり、と口の端をあげた赤村に、周りの赤フードたちが激しく首を縦に振った。……いつの間にか、信者化していた。
ふう、と息が漏れる。すぐに、空の青と桜の桃色の中に吸い込まれていく。もう、大丈夫。そんな気がして、力が抜けていくのがわかった。
腹がじくじくと痛む。頬も少し熱い。久しぶりに動いた、そんな気がする。そして――これで、僕の仕事は、終わりだ。これ以上動かなくていいのだと、湿っぽい地面が伝えてくる。どうせ、僕がいたところで大した戦力にはならないし。
桜。別名、夢見草。
僕はきっと、奴に夢を見せてもらっていたのだろう。
隣で何もせず、強くて優しい奴の隣でじっと座っていた夢は、もう醒めた。
起き上がると、自然とコートのフードが頭から離れていった。泣きはらした目で笑う奴が、周りの仲間たちを見回した。
これからは一人じゃない。そう思えたんだろう。
うん、それでいい。これから隣にいるのは、僕じゃないのだ。
上を見上げると、舞台の幕が下りるように桜の花びらが舞っていた。
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