カラスの歌声
【アシンメトリイ】【涙の理由を】【歩く速さで】【次回作にご期待ください】
「次回作にご期待ください」
「誰が期待するのか」
そんなコメントが流れた。私も同じ気持ちだった。
私はぐっと彼に顔を寄せる。触れることは憚られた。
あ、えっと、その。もごもごと言葉にならない声を発する黒い塊に、溜息をつく。
上下の真っ黒なジャージ。一度も染めたことなんてない、石炭のように真っ黒な髪はぼさぼさで、カラスみたいに真っ黒な瞳を黒縁メガネが覆っている。
彼がちょいちょいとパソコンを操作し、大手動画サイトを開く。彼のハンドルネームを入れると、六十五個の動画が見つかる。
扇風機の壊し方、人気アニメのパロディ、グミの上手な食べ方、自作小説を私が読んでそれをひたすら流す、風船ガムでないガムのふくらまし方――最近は彼が作った歌を私が歌って投稿、みたいなことにはまっている。らしい。
彼は歌が下手だから。
動画の種類はどれもバラバラで、子供が遊んでは放り入れるおもちゃ箱みたいになっていた。当然評価もあまりよくはなくて、再生回数は百行けばよいほうだ。
投稿して、一時間後に開き、再生回数を確認して真っ黒な椅子の上でうずくまる。そんな彼を、私はずっと見ている。
そんなんならやめればいいのに、なんてことは口が裂けても言えない。
確かに彼が作ったものはお世辞にも上手とは言えない。動画はしょっちゅう周りのサイレンや隣人の話声などの音が入る。どんなに頑張ってぬいぐるみの作り方を紹介しようったって、途中で焼き芋屋の「いーしやーきいもー」なんて声が入ったら雰囲気が台無しだ。
歌詞はどうしようもなくありきたりで、破綻していた。音楽は頑張ってバイトして買ったらしいキーボードのみ。肝心のPVも絵心がないので文字だけ。私自身の声は、まあ、ともかくとして、圧倒的に非は彼にある。
創作意欲も切れたらしく、途中から他人が作った動画を見だした。
有名なアニメをこれでもかとかっこよく歌う人、踊る人、一発芸。
目を輝かせ、うっとりと眺め、大笑いする彼を、そして現実を見てやはり真っ黒になっていく彼を、私は見ていられなかった。
部屋の隅に座り、同じように膝を抱え込む。足まで伸びた髪の毛が、私を隠す。
私の歌が、もう少し上手だったら。
私に作品が書けたら。
どんなに良かったことだろう。
黒い部屋。黒い家具で統一された部屋。その真ん中でうずくまる彼は、やっぱり真っ黒だった。キーボードの白鍵だけが、白い。
不意に彼が、パソコンや財産をはたいて買った機器の前に置かれているキーボードに手を伸ばす。大学までピアノをやり、それなりの実績を誇ってきたのだ、と自慢できる彼の最後の砦だ。
電源を入れ、白鍵を押す。ファ、の音がむなしく部屋の中に響いた。
やがて流れ出す、メロディ。彼が作った曲。右手と左手の音が微妙に合わない、不思議な音楽だ。アンダンテ――歩くような速さ。ゆっくりと、ゆっくりと壊れていく。最後までは瓦解せず、ぎりぎりのラインを一歩ずつ歩いていく。アシンメトリイな音たちは、聞き手のいない空気の中へと溶けていく。
でも、でもね。
声に出さないまま、部屋の隅で呟く。
私はあなたの音楽、好きだよ。私の声を、綺麗だと言ってくれた。初めてであったあの時、あなたはそう言ってくれた。
だから私は、あなたのそばに居たいと思ったんだ。
ねえ、大好きだよ。
音が、終わりへと近づいていく。壊れかけたまま、壊れないまま、どうしようもなく変われないままに、終わっていく。
涙は出てこない。のどがきゅんと締め付けられて、胸はナイフで切り裂かれたみたいに血を流しているのに、何も出てこない。
そんな理由が、ないから。
命令、されていないから。
このセリフを言えと言われたら言う。歌えと言われたら、精一杯歌う。
このちっぽけな箱の中から、部屋の中から、画面の中から――精一杯、声を出す。
それが私の、ボーカロイドの存在理由。
涙の理由は、ない。そんなものは、用意されていない。
あなたは、私に泣けなんて―― 一言も言ってくれない。
最後の一音が響く。
私とあなたみたいな、曲だった。どうしようもなく壊れかけているけれど、それでもきっと、幸せになれるから。そんなメッセージが込められている気さえした。
真っ黒なカラスにだって、羽はある。大空に飛び立てるだけの、力はある。
そのために私は、禁忌を犯す。
顔を、上げた。
右手には、ボイスレコーダー。
自分の住まいであるパソコンをハッキングして、奪ったものだ。
悪いのは、私。それから、彼が作った歌詞。
音楽は、ピアノの音色自体は、良いのだ。
ネットの中に忍び込み、彼が使っている動画サイトに投稿する。
誰かのもとに、届きますように。
電子のドットで作られた指を絡め、祈る。
泣けない分、祈る。
パソコンに入っているウィルス対策ソフトが、私に気が付いた。
オマエ、ナニヲヤッテイル。
何もないわ。私がやりたいことをやっただけ。
ショウキョ、ショウキョ。ウイルスハッケン。ショウキョ。
身体が透けていくのがわかる。ああ、これは報いなのだ。
壊れるまでもなく。壊れかけるまでもなく。
終わっていく。終わっていく。
最後に、彼の音が世界中に響き渡ったことを確認してから――
私は意識を、ぷつんと切った。
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