世界の壊し方。

お題「パブリックエネミー」「暴走車」「君の瞳にカンパイ」


「まだぁ?」

「まだ」


 語尾を少し下げただけの同じ言葉で僕は答える。

窓から少しだけ顔を出すと、犬のお巡りさんが頭にのっけた赤いランプをぴこぴこ光らせながら走っていくのが見えた。もう一時間ほど走り回っているので、顔まで日焼けしたみたいに真っ赤になっている。

 お日様はもうとっくのとうに沈んでしまっているというのに、なかなか面白い。

 僕は誰かがこちらを見ている気がして、すぐに顔をひっこめた。

 ひんやりとした、しかしいつもとは少し違った街の空気が入り込んでくる。


 昼間の鉢巻きを巻いたままの兎が、こたつでのんびりとかき氷を食べてから言った。


「いつもは迷子のにゃーこの世話をするので忙しいだけなのにねぇ」

「そうだよねぇ」


 お巡りさんは、普段は交番に居て、野良猫のにゃーこにいろんなことを聞いている。名前、住所、電話番号……。本当は名前がにゃーこであることを知っていて、野良猫だからもちろん住所なんてないことも知っている。でも、毎日同じことを繰り返し聞き続ける。


当たり前だ、それが犬のお巡りさんなんだもの。


「そういえば、にゃーこはどうしたのだろう。今頃、誰に名前を尋ねられているのだろう」

「さあねえ。案外、誰もいない交番でわからない、わからない、なんて言ってるかもねぇ」

「あはは、そいつぁ愉快だ」

「愉快だねぇ」


 ひとしきり笑った後、僕等は少し黙った。たぶん、同じ気持ちだったのだろう。


 でもすぐに物足りなくなって、奴がTVをつけた。犬のお巡りさんがくまのクマノスケを必死に追いかけている映像が映し出されていた。あぁ、やはり愉快。


クマノスケはどこにあったのかタクシーを乗っ取って、ぶいぶいと走らせていた。こちらも慣れない運転で一時間近く街を走り回っているものだから、普段大きくてくりくりとした目はぐるぐると渦を巻いていた。山羊の恋人たちがよく利用している赤いポストや、大量の青い目をしたお人形が連れてこられて生活しているお屋敷の門なんかにぶつかってはよろよろ、ぶつかってはぶいぶい、を繰り返している。暴走車みたいだ。


そりゃそうだ、もう何時間も貝殻のイヤリングを女の子に渡せていないのだもの。そのあとダンスを踊って、また別れて、出会わなくちゃならない。それが森のクマってやつだ。


「ほらほら、見てごらんなさいよ、あの酔っ払いが乗っているような車。もうボロボロなのに、よく走れるよねぇ」


今度は扇風機にあたりながら焼き林檎を作っている奴が、可笑しそうに笑う。


「そりゃあ、壊れたりしたら困るもの。どんなふうに乗ったって、どんなにぶつかったって、走れなくなるようなことはないよ」


 当り前じゃないか。

 そう言って僕は、また少し黙った。


 なんだか胸にぽっかりと大きな穴が開いたような、そんな気分だった。


 可笑しくて、可笑しくて、仕方がないはずなのに。寂しさとも呼べそうなそれをごまかすために、僕はテレビの横で小さく震えている彼女に向かって言う。


「ねえ、君はどう? まったく、面白いじゃぁないか」


 急に話しかけられて驚いたのだろう、真っ白なワンピース姿の女の子は、肩をびくん、と震わせる。片耳にしかついていない、やはり白い貝殻のイヤリングも同じように震えた。小さなひざを両腕で抱え込み、黒い瞳には涙がたまっている。ころん、と一粒水滴が落ちると、それはあっという間に白い貝殻になった。ころん、ころん、ころん。貝殻が増えていく。


 あーあ、泣かせちゃったねぇ。兎が笑う。


 僕の甲羅でもいるかい? 少しは落ち着くかもよ。そんな冗談を飛ばしてみたが、返事はなかった。まぁ、当たり前か。


 彼女は朝になれば、桃に乗ってそのまま川に流されるのだから。おばあさんにはこの間の競争の時にどっさり林檎をプレゼントしたから、拾われることもあるまい。そのまま海に流れ出て、はて、その後はどうなることやら。


「まったく、世界を壊すなんて、簡単だねぇ」


 わざと脅かすように、僕は言った。おお怖い怖い、と自慢の甲羅の中に隠れる演出までして見せる。やめときなよ亀、と兎が戒めたが、その顔はひどく滑稽に歪んでいた。


 そう――僕らの世界なんて、社会なんて、たった一つ違う行動を起こしただけで壊れてしまう。


 僕らは簡単に、社会の敵になれる。

 それほどに、僕らの世界は弱い。もろい。


 僕だってきっと、空から降ってくる声を、歌を聞くまではこんなことをしなかった、いや、しようとも思わなかっただろう。


 何も考えずに、兎との競争で大勝利をおさめ、浦島太郎に助けられて竜宮城まで連れていっていたことだろう。


『もしもしカメよ、カメさんよ…』

『あーおい目をしたお人形は――』

『もーもたろさん』

『昔々浦島は』ある日森の中』

『……』

『―――』


 頭の中で、耳の裏側で、腹の中で、ガンガンと鳴り響くそれを、僕だけが聞いていた。


 僕らの歌を、僕らの世界を、僕らの社会を、聞いていた。


 なぜ僕だったのかは、分からない。なぜそれが今になって聞こえてきたのかも、分からなかった。

 でも、僕がやりたいことはわかった。

 うたたねをし、昨日も僕に負けた兎には聞こえなかったようだが、僕はそれをすべて息を切らしてゴールテープに飛び込んできた彼に話した。全てを聞き終えた兎は、一言、ぼそりと呟いた。


「もう、お前なんかに負けたくないんだ」


 そこから先は、簡単だった。

貝殻のイヤリングを持った少女がいなくなれば、森に棲むクマはダンスを踊れず延々と少女を探し続けることになる。それに狂気をくっつければ、あっという間に歯車は狂いだした。

 夜は動かないはずの連中が動き出し、山羊のポストは壊れ、青い目をしたお人形は門が壊れてしまったから家に連れてこられることもない。桃太郎は生まれず、浦島は僕がそもそも砂浜に居ないのだから竜宮城に行くこともない。


ずっと繰り返し繰り返し、何度も何度も同じように繰り返されてきた世界は、一瞬でバランスを失った。


「まだぁ?」

 兎が言う。

「まだ」

 僕、亀が答える。


 まだ、朝は来ない。


 最後の一手には、まだ早い。

 夜の喧騒として終わってしまうには、勿体なさすぎる。


  早く終わってしまえばいい、と思う。

  どうなるかはわからないけれど、終わってしまえばいい、そう思った。


 「本当にそう?」


  澄んだ声が聞こえた。

 湖に一つびぃだまをおっとこした時のような、そんな声だった。


  さっきまで泣いていたはずの、少女が凛とした表情でこちらを見ていた。兎が驚いて、テーブルから立ち上がった。上に載ったお茶が揺れる。


 「ちょっと、どうしたのだい急に。君はさっきまで――」


 泣いていたんじゃないか、その黒々とした瞳からたくさん貝殻を落としていたじゃないか――そう言おうとして、僕は固まった。


 ……テーブル?


 兎の前にたたずむ、僕がいつも使っているテーブルを見つめる。そう、「いつも使っている」テーブル。


 こたつ、ではなく。扇風機、でもなく。そこにあるのは、普段からそこにある、ちょっと傷がついた丸テーブルだった。兎が口に入れていたのはかき氷でも、焼き林檎でもなく、競争に勝った証としていつも飲んでいる冷たい緑茶だった。


 いつの間にか、外は静かになっていた。ただ、いつもの冷たい風だけが、窓から入ってきていた。


 社会が――戻ろうとしている?


 「なんで――なんで?」


 焦る僕に、白いワンピースの少女がすっと立ち上がった。涙なんてものはどこにもなかった。ただ足元に、たくさんの貝殻だけが転がっていた。


 「たがが童謡に、反乱を起こさないでよ、カメ」


 先ほどまで大量の水をためていたはずの瞳は、ただただ、黒々としていた。


「そりゃ、なんでこっちに歌が流れてきたのかはわからないけれど――所詮、歌は歌。私たちが作ったモノが、私たちに反撃できると思う?」


 あなたの言った通り、これはただの夜の喧騒よ。そしてこの世界には、そんなもの必要ない。歌は、歌ってこその歌。口ずさんでこその歌。


 私たちが歌わない夜に、こんな社会は必要ない。


 そして、少女は、その赤い赤い唇を、にんまりと歪めた。


 足元から一つ、貝殻を拾うと、耳たぶに当てる。それはまるで、両耳にイヤリングをはめているようだった。何もかも元通り、だった。


「完敗よ――あなたたちの。私たちの瞳に――完敗しなさい」


 ゆっくりと閉じていく意識の中で、ぼんやりと考える。


 そうだ、そうだった。

 森のクマが追いかけるのは、「私」

――その歌を歌っているニンゲンだったな、と。


 目が覚めると、僕は決まって丘の上に行く。

 そこには一匹の兎がいて、僕に言うのだ。


「世界のうちでお前ほどこんなにのろいものはない。どうしてそんなに遅いのか」

 僕は決まってこたえる。それが僕、亀だからだ。

「なにをおっしゃる兎さん。そんなら私とかけくらべ――」

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