第13章 嶺南の道

 唐の詩人杜牧に七言絶句の名詩、『江南春』(江南の春)がある。


  千里鶯啼緑映紅  千里うぐいすいて みどりくれないに映ず

  水村山郭酒旗風  水村すいそん 山郭さんかく 酒旗しゅきの風

  南朝四百八十寺  南朝 四百八十寺しひゃくはっしんじ

  多少楼台煙雨中  多少の楼台 煙雨えんううち


 南朝四百八十寺は誇張ではない。同時期、北朝の洛陽にはそれをさらに上回る、千三百六十七の寺があったという。南北朝は仏教の黄金期を迎えていたのだ。


 梁の武帝蕭衍の仏教信仰は、度を越していた。

 老境に入るにつれ、信仰が深まり、一度ならず四度までも捨身をくりかえした。捨身というのは、身を捨て、心を清めて、仏・法・僧、三宝の奴(奴隷)となることだ。かりにも蕭衍は皇帝だ。「身を捨てる」といっても、実態は形式にすぎない。寺にこもり、経を念じ、厠掃除などの雑役にしたがうていどの修行なのだ。

 しかしそのていどであっても皇帝に寺にこもられては、朝政はおぼつかない。身請け料を払ってでも、お戻り願うことになる。その身請け料、一億銭という法外なものだ。

 朝廷は同泰寺に一億銭の身請け料を払って皇帝にお戻りいただいたが、その付けは、とうぜん民百姓に回される。年貢の割り増し分として、追徴課税されたのだ。


 陽春の治所で高凉太守馮宝の口から、詔勅が告げられた。年貢の割り増し徴収と、仏寺の建立を厳命する内容だ。聴衆はどよめいた。

「冗談じゃない」

 最初に悲鳴をあげたのはお玲だった。たまたま海陵島から陽春に出向いていた。

じぶんたちが骨身を削って育てた作物を、身請けのかたに取られてはかなわない。

「じぶんから奴隷になりたいって、どういう皇帝?」

 好きで奴隷になるものはいない。もと奴隷だったお玲は首をかしげた。

「わたしも反対です」

 冼英は高凉俚人部族の大都老としての立場で、明確に反対の意思表示をした。

「誤ったご政道に、したがういわれはありません。寺に支払う身請け銭など、わたしたちにはまったく関りないこと。ましてやわが部族は盤古さまの末裔です。高凉の領内には盤王廟があれば十分で、仏寺なぞ建てる必要はありません」

 夫馮宝は高凉太守だ。卑官であっても地方政府の要職にある身としては、たとえ夫人の意見であっても、黙って聞き流すわけには行かない。

「ご政道に反対すれば、またも征討軍を派遣され、懲罰を受けることになる。多くの人が傷つき、殺される。これをふたたびくりかえしてもいいのか」

 葛徳が立ち上がった。

はばかりながら申し上げます。いまの朝廷にはもはや、征討軍を派遣する余力なぞありません。広州刺史にして然り。ただひとり実力に勝る陳覇先どのは、征討軍の派遣には反対のお立場で、むしろ北上して王朝の危難にあたるのが急務とのお考えです。ここはことを荒立てず、静かにやりすごすのが得策ではありませんか」

 ことさら声高に反対表明することはない。放っておけ、というのだ。

 建康の王都で不穏な動きがある。八十歳を越えた高齢の武帝蕭衍に往年の威信はない。後継の玉座をめぐり宮中で、棚からぼた餅、順番待ちの皇族連中があわよくばとばかり、裏工作にしのぎをけずっていた。地方にかまっている余裕なぞない。

「南朝梁はすでに死に体にあり、放っておいても、当面、危害のおよぶ懸念はありません」

 葛徳はこうぜんとして胸を張り、いいきった。

 いま王都で米価が高騰している。江南で飢饉があり、品薄の反動だ。嶺南は飢饉を免れている。

「当地の年貢米は、広州において商人に売り渡されます。広州刺史以下、各地の豪族や代官が、安値で徴収した米を高値で売り渡し、利ざやを懐に入れています。その米を都へ運んだ商人は、さらにさやを稼ぐため売り惜しみし、値をつりあげているのです」

 都でまいないが横行しているという。賄賂のことだ。官職についたり、大規模な取引を落札したりするための袖の下だ。

「大量の高凉米を物納して、直接都へ運んだらどうなります」

 お玲が訊ねた。新造の外洋帆船の処女航海にふさわしい。

「どこの港にせよ陸揚げするまえに、政府高官と組んだ悪徳商人の手で安く買い叩かれるのがおちです。しかし品物が大量に出回れば値は下がりますから、売り惜しみはなくなります。また法外な利益が当てにできなくなれば要路の高官につけいる必要もなくなりますから、しぜんに賄賂も下火になります。陳覇先どのにかけあってみましょう。物価高騰の歯止めになるかもしれません。正常な価格で取引できれば、民衆の生活の助けになります」

 さらに葛徳は指摘した。

「ことは米だけに限りません。仏寺の建立にことよせて、建材・漆・金箔銀箔・錦のはてにいたるまで、買占めと売り惜しみで、都の物価全体が急暴騰しています。仏教に入れあげ、道に迷った武帝のていたらくをこれ幸いと、百官一同が商人とつるんで、私腹をこやす道具に使っているのです」

 都はいま、空前の消費文化で沸いている。仏供養と称して、昼日中から公然と宴会が催され、食べきれぬ果物や料理が湯水のごとく捨てられている。歌舞音曲のたぐいが読経の調子に合わせ、巷のここかしこに蔓延し、虐げられた人々の怨嗟の声を覆い隠している。

「こんな非道がいつまでも、まかり通るものではありません」

 葛徳のまなざしは、馮宝と冼夫人に向けられた。

「非道を正すため、いまなすべきことはなんでしょう」

「坐して口を閉ざすのは、君側の佞臣に手を貸すことと同じだ。さればとて都にほど遠いここ嶺南のかなたから、か細い声できやつらの非をあげつろうてみたところで、さしたる効果があるとも思えぬが、それでもあえて正義を行動で示すこと、これであろうか」

 戦を好まぬ馮宝だ。歯切れが悪いが、なすべきことは分かっている。

「いずれにせよ、わしらはこの嶺南の将来の仕切りを、陳覇先どのに託したいと思う」

「中原に英雄豪傑は綺羅星のごとく輩出しています。しかしこの嶺南をひとつに束ねる実力者は、陳覇先どのをおいて他におりません。陳覇先どのは、いずれ覇を求めて中原に進撃する天下の英雄です。嶺南をわがものとし、収奪しようとの野心はまったくありません。たとえ嶺南の諸部族がひとつにまとまったとしても、中原の王朝とことを構えないのであれば、独立した国として認めてもよいとのお考えです。さればその決起にさいし、馬前にくつわを並べてともに中原に進撃するか、あるいは嶺南に踏みとどまり、陳覇先どのの天下取りのため、輜重補給など後方支援に徹するか、ふたつにひとつの選択が求められましょう。どうされますか?」

「義をみて為ざるは勇なきなり。陳覇先どのが嶺南から立って中原に進撃するならば、わしらもともに立つにしくはない」

 聞いて冼英は思わず身震いした。戦にもつれては、元も子も失う。

「戦に加わってはなりません。都でなにが起ころうと、わたしたちには関りのないこと。『南嶺山脈を越えてはならぬ』。これが高凉俚人たるわたしたちの祖法、先祖伝来の掟です。五嶺の北にたいして刃を向けることがあってはなりません。戦によらずとも、正義を行動で示すことはできます。中原の争いには加担しない。五嶺の南、嶺南で、俚人部族は自立する。このことを内外に宣言するのです」

「天下に大乱が勃発し、ふたたび戦国の争いにもつれ込んでしまえば、嶺南のみ安泰というわけにはゆきません。高凉で孤立して戦うのですか」

「孤立はしません。嶺南各地にもと百越の同志を募り、連携します。嶺南全土で自立の義軍を組織し、嶺北からの侵略に備えます。わたしたちが求めるものは、民族の自立であって、中原や嶺北を侵犯することではありません。しかし侵略者にたいしては、武器をもって立ち向かいます。けっして侵略を許しません。各地で義軍を動員し、徹底して戦います。高凉は民族自立の根拠地であり、嶺南の自立を守る橋頭堡とします」

 冼英の意志は明快だ。

「援軍のない籠城では、いずれ水や糧食が途絶え、全滅します。外からの助けのない孤立も同じこと。内側を閉じて防御したつもりが、いつのまにか大きな包囲網のなかで身動きできなくなってしまっていては、死を待つもどうぜんです。そうではなく、この広い嶺南で、もと百越の各部族がそれぞれの拠点で、それぞれ自立するのです。わたしたち高凉俚人は、五十万人の族人をひきつれ、高凉で自立します。他の部族にも同様の手立てをとっていただきます。弱きを支え、足らずを補い、相互に連携して難局にあたります」

 他国を侵略し、その犠牲の上に成り立つ自立ではない。中原や五嶺以北にたいする政治的野心は一切もたない。

 いわば部族の自決なのだ。じぶんの部族を大事にし、人の力を借りずに、じぶんのことはじぶんで決める。漢族や他の部族の人には干渉しないし、排除もしない。ただし他からの干渉は、断固としてはねつける。祖先いらいの部族の居住地を定め、仮に境界は設けても、けっして独占的領土を意味するものではない。部族といっても、いまでは単純なひとつの集団ではない。さまざまな意思を持つ多様な人が構成する集団にかわっている。中原から遷った漢人も同化している。たとえば馮宝の一族がそうであるように。かれらにたいし、排除することも強制することもない。去るものは追わず、来るものは拒まず、じぶんの意思で自由に行き来することが許される。そんな部族集団なのだ。

「それこそ陳覇先どのが望まれる嶺南のありようです」

 よしんば南朝の都の騒乱を収めたとして、北朝が指をくわえて黙って見過ごすわけはない。これ幸いと南朝の領域を侵奪してくる。嶺南が北朝と組めば、南朝は挟み撃ちになる。

「嶺南が南朝とのあいだで信頼関係を保ち、食糧などの後方支援を引き受けてくれるなら、以後、南朝は嶺南諸部族の自決を認め、対等な互助関係に立つ。このように、陳覇先どのは将来的な方向性を明確に打ち出されております。だからこそわれらは、陳覇先どのに組し、加勢してきたのではありませんか」

 葛徳が本音で迫った。

「さればこそ、いままさにわれらの真価が問われるときです」

「陳覇先どのは信頼に値するお方です。われらはこれまで陳都督の馬首をのみ仰ぎみて、したがってきましたが、信頼を裏切られたことは一度としてなかった。期待がかなわなかったのは、われらの力が足りなかったからで、陳覇先どのを責めることはできない。しかし、われらはあくまで後方支援としての加勢はするが、けっして武力をもって五嶺は越えない。漢族の争いに俚人は関らない。これが南越国以来七百年の高凉俚人の祖法です。いわば俚人の掟といってよい。われらが向かうべき俚人部族の安寧の地は嶺南です。さらに南海を通じて南洋や西方と交わり、異国の人々とともに平和に歩むべき新たな道を見いだしましょう」


 いま南北朝の天下は、再編に向かっている。

 華北を統一し、仏教文化の花を咲かせた北朝の北魏が東西に分裂した。東西魏は南朝梁を巻き込み、三すくみの状態で対峙した。

 大乱の予兆は東魏から起こった。東魏の河南大将軍侯景が、兵十万を擁する河南十三州をひっさげて、梁に投降したのだ。二股膏薬の異名をとる侯景のことだ。西魏にも声をかけてあったが、結局、梁の武帝が帰順に応じた。侯景は残兵八百とともに梁に降った。侯景の乱は、ここにはじまる。

 侯景の意に反し、梁武帝は東魏と和解した。梁武帝の翻意を疑った侯景は、謀反を企てた。わずか二千の兵で、寝返ったのだ。王都建康を目指す進攻の途上、侯景軍は兵を募り、数を増す。長江を渡り、外城に入城する直前には二万人に膨れ上がっていたという。

 仏の加護を妄信し、五十年の太平の夢に酔い痴れて首都の防衛を怠った平和呆けの梁朝は、侯景の敵ではなかった。五ヶ月近い攻防戦を経て、台城は陥落する。

 侯景軍十万人が殺到し、掠奪と殺戮で城内は地獄の惨状を呈した。

 落城のまえ、皇帝の寵愛する近臣、中領軍朱異は建康の宮城である台城をいっとき堅守し、皇帝の詔勅を全国の各州刺史、郡守に伝え、三十万の勤皇の兵馬を糾合した。

 高州刺史李遷仕は、この檄文をうけ、高州で挙兵する。天下の形勢は、風雲急を告げている。李遷仕は政局をみすえ、政権争奪に意欲を示したのだった。


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