第10章 冼挺の死

 その冼挺の、死の前日のことだ。

 お玲は冼邸に忍び込んだ。冼挺の余命は、もはやいくばくも残されていない。往診の医師の口からそのことを聞かされたお玲は、いてもたってもいられなかった。

 ――このまま死なれてたまるか。

 その気持ちが胸を締め付ける。

 思えば、自意識をもっていらい、冼挺らにたいする恨みを忘れたことはなかった。

 四つか五つのこどものとき、目のまえで海賊に父を殺され、じぶんはかどわかしにあったのだ。いまとなっては記憶も断片的で、不確かなものになっている。人が死ぬとはどういうことか、当時は意味もよく分からなかった。

 二、三人の仲間といっしょに、冼挺らがいきなり船室の扉を蹴破って闖入した。かれらは武器で威嚇し、財物を出すよう要求した。抵抗した父があっけなく殺された。じぶんを抱きかかえて震えていた母が、じぶんを引き剥がされ半狂乱のようになったところで、記憶が途絶えた。じぶんの名前さえ覚えていない。お玲は、あとから付けられた名だ。

 それからさきのことは、縛られた他の乗客とひとかたまりで寝かされていたことくらいしか覚えていない。海賊の襲撃にあったのだと、おとなたちが小声ではなしていた。

 母とはそれきり、会っていない。あまり抵抗するものだから、海に投げ込まれたとか、食事を拒否して餓死したとか、寝たふりをしているとき、小耳にはさんでいる。しかし、こどもには刺激が強すぎた。母のことなのだ、と理解する以前に、その事実を受入れることを拒否していた。

 航海のあいだ、船倉に閉じ込められ、泣くことも、笑うことも、どこかに置き忘れてきた。シロがいなければ、精神に異常をきたしていただろう。感情表現を回復したのは、冼英の家にひきとられてからだ。日常生活のなかで、こども同士の喧嘩のなかで、喜怒哀楽の感情を徐々にとり戻していった。ただ、冼挺にたいする怯えと憎悪の感情は、年を追うごとに強まる一方だった。

 かつて凶暴のかぎりをつくした傍若無人な男が、いま無力な負傷者となって、お玲の目のまえにいた。お玲は冷ややかに、死を間近にした冼挺の顔を見下ろしていた。

 病室には、寝台に横臥する冼挺のほかには、だれもいなかった。夫人が汚れ物を下げるのに離れたすきを見て、お玲は忍び入ったのだ。

 冼挺が静かに眼を開けて、お玲を認めた。

「お玲か、おれを殺しにきたか」

「そう、おまえを殺しにきた。でも、そのまえにいくつか、ほんとうのことを教えてほしい」

 お玲は、じぶんでも意外なほど、落ち着いていた。あれほど怯え、憎悪していた男をまえに、淡々とはなしていた。

「わたしの父と母を殺したのはだれ。そして母になにをしたの」

「むかしの話だ。ずっと思いつめていたのか。なぜもっとまえに、おれに聞かなかった」

 冼挺の声は弱々しかった。かれは眼をつむった。過去の記憶をたどっていた。

「あのとき、おれたちは三人で、おまえたちのいた船室を襲撃した」

 声の調子がかわった。記憶がつながったらしい。

 冼挺は遅れて室内に入った。惨劇はすでに進行していた。お玲の父は床に倒れていた。

匕首あいくちか、短剣か。武器をもっていたら、おれの首を落とせ。おまえのふた親を殺したのはおれだ。ことに母親にはひどいことをした。みんなおれだ。おれを殺して仇をとれ」

 いわれるまでもない。お玲は懐から短剣を取りだし、鞘を払った。

「おまえを殺してやる。ほかのふたりも許さない。ふたりはだれだ」

「ふたりはもう死んだ。だから、許してやってくれ。お願いだ、お玲」

 はからずも冼挺の口から、「許してくれ」ということばがでた。信じられない一言だった。お玲は一瞬、戸惑った。

「わたしからもお願いします。お玲、兄を許してやって」

 戸口に、冼英が立っていた。

「兄の命は永くありません。あなたの人生と引きかえにしなくとも、黙って死んでゆきます。あなたはあくまで俚人部族のなかに残って、じぶんの人生を生きてください」

「お英ねえさん――」

 偽りのない冼英の願いだった。

 いま冼挺を殺せば、お玲は冼氏の部族社会にはいられない。むしろお玲には、この俚人部族のなかでいっしょに暮らしつづけてもらいたい。

 お玲にも、冼英の気持ちが痛いほどに伝わった。お玲は黙って短剣を鞘に戻した。

 ワスケの笑顔が心に浮かんだ。


「お英、頼みがある。おれの今際いまわの願いと思って、聞き届けてくれ」

 冼挺の声は、人がかわったかと思うほど、清々しく聞こえた。

「おれが死んだら、首を掻き切って、都へ送り届けてもらいたい。そのうえであらためて高凉の海賊の大頭目として、お裁きを願いでてくれ。このたびの戦は、盧子雄にたいする私怨によるもので、冼氏一族にはかかわりのないこと。また過去の海賊行為の部下たちも、おれの指示にしたがっておこなったことで、罪はすべておれにある。獄門首のお裁きは、おれが一身にひきうけようぞ」

 死を目前にして、人は善人にもどるという。いま冼挺に私欲はない。冼氏一族の行く末に累がおよばぬよう、一身に汚名をかぶろうとしている。一族の総領としての心意気が、今際のきわに滲みでた。

「高凉の海賊」は、冼挺にかぎらない。便乗する地方豪族はあとを絶たない。すべてを「高凉の海賊」の仕業にみせかけ、みずからは口をぬぐって、そしらぬ態を決めこんでいる。さらにこのたびの、冼挺にかかわる「獄門送り」の容疑者を拾いだせば、百人は下るまい。他に累をおよぼさないことを条件に、冼挺ひとりに集約させて、穏便に決着をつける。これなら訴追者もあえて異論をはさむまい。

 冼挺は一族に置きみやげを贈ることで、死の恐怖から免れていた。

 これでみなに喜んでもらえる。家族もそしられることはないだろう。首はなくとも、祖先に交じって一緒に祀ってもらえるに違いない。

 思いつめたせいか、疲れが出たらしい。眠るともつかず、冼挺の意識が、しだいに遠のいていった。

 夫人とともに、冼挺の子、宝徭と宝徹が部屋に入った。

 冼挺の死が迫っていた。総領家の嫡男として、宝徭の心底は屈折していた。

 父の死を前にして、お裁きだの、獄門首だのと責めることはないだろう。だいたい叔母の冼英は、父にたいし冷たすぎる。こんどの戦も一族総出でかかれば、負けるようなことはなかった。それなのに直前まで出兵に反対し、兵士の士気を落としてくれた。

 ――ほんらい、大都老の職も旗鼓の大権も、継ぐべきはこのおれではなかったのか。

 腹のそこで、本音がうごめいていた。

 極度の緊張に耐えかねて、冼挺夫人が泣き崩れた。

 その翌日、冼挺は静かに息を引き取った。


 結婚後、馮宝と冼夫人は三年ものあいだ、雲霧山脈東麓の鳳凰堡でひたすら開拓作業に従事し、農業生産の発展向上につとめていた。それが一定の成果をあげたのを見て、ふたりは高凉郡の東境へ進駐し、広範囲にわたる開拓に着手した。領地全体の農業水準のレベルアップを目指したのだ。かれらは潭水河を東に向かって下り、漠陽江をわたった。

 馮宝と冼夫人は、近隣一帯の荒地を開墾し、漠陽江の東山から流れ出る小川のある北獅子嶺のふもとに屋敷を建て、護城河(城の外濠)を掘った。

 冼氏一族以外にも、多くの俚人が参集した。

 馮宝の部曲の多くは、北方遼西からひきつれてきた漢人の後裔だが、馮氏の名を慕って新たに北方から南遷し、加わった漢人も少なくなかった。

 水田の開墾にはワスケも参加した。

 ワスケは戦が終ったあとも、少年白龍隊を解散せず、龍舟を帆船にかえて海人部族のこどもたちに航海の指導をつづけていた。こどもといっても腕白少年から立派な青年に成長したものもいる。ワスケは根っからの海の男だが、

「お玲さんに、おれの生まれた瑞穂の国ヤマトの名物、稲穂の波を見せてやりたい。黄金色の稲穂の波だ」

 と稲作づくりにも参加している。ヤマトのものと品種はちがうが、耕作の手法はヤマト流だといって意気込んでいる。実がなるころに備えて、黄金丸とシロにも雀の撃退法を教えはじめている。黄金丸は喜々として走り回っているが、シロはあまり乗らないようすで、蛙を追いかけて遊んでいる。

 冼挺の死を境に、お玲の身体から憑き物が落ちた。憎しみから解き放たれたのだ。

 お玲はまえにもまして活発に動いている。早朝から日の落ちるまで、ほとんど休む間もなく、部族のあいだを走りまわっている。

 ワスケが心配して、すこし休むよう注意してくれと、冼英に訴えた。

「ワスケさん、お玲から聞いている?」

「えっ、なにを」

「お玲がいま一生懸命になって、考えていることよ」

 ようやく思い当たった。

 かつて悪名を轟かせた「高凉の奴隷」売りの元締めたちに、他の郡県に先駆けて奴隷の解放をおこなうよう、説得してまわっているのだ。

 まず冼英を訪ねて決意を語った。冼英はその場で賛成した。その後、一族の長老、そして峒主や族長のところを訪ね、熱心に説いてまわった。ワスケもその趣旨を直接、お玲本人から聞かされている。

「わたしもむかし奴隷だった。こどものころだったけど、自由がないってつらいことよ。ご主人さまのお許しがなくては、なにひとつできないの。じぶんの意志さえ持ってはいけないって叱られたわ」

 幸いお玲は大都老のもとに引き取られ、家族どうぜんに扱ってもらえたからまだしもだったが、厳しい環境におかれたものは悲惨だった。

「人としてのじぶんがないの。馬や牛とおんなじで、働く道具でしかないのよ」

 当時を思い出したのだろうか、こみ上げる涙をこらえながら、お玲は語りつづけた。

「罪を犯して奴隷にされた人は、じぶんを恨めばいい。戦に負けて奴隷にされた人は、弱い国を怨めばいい。だったら、貧しくて親に売られた子は、親を恨めばいいのかしら。生まれながらの奴隷の子も、親を恨めばいいの? じゃあ、かどわかされて奴隷にされた子は、だれを恨めばいいの。わたしは、かどわかした人を恨んだけれど、相手が死んだら恨むこともできない。だから、恨んだだけではなにもかわりはしないって気付いたの。結局、奴隷という仕組みがなくならないかぎり、奴隷にされた人たちは救われない」

 それいらい仕組みをなくするために、じっさいに奴隷を使っている峒主や族長に、やめてもらうよう説いてまわったのだ。峒主や族長のなかには、これに反発し、むかしからずっと認められてきた、とうぜんの権利ではないかと、ぎゃくにお玲を訴え返すものもあった。しかし、

「お玲の主張が正しい」

 馮宝は裁きの場で、明確にお玲を支持した。

 高凉太守馮宝と大都老冼英は、奴隷を解放するよう特例を発布し、実行を命じた。

 所轄する郡の領内で奴隷の身分を回復し、人身の束縛をとり払ったのだ。

 希望する男女には、夫婦の戸籍をあたえ一戸の生産単位とし、開墾あるいは耕作する土地を分配した。かれらは収穫時、官府に生産物の十分の一を物納すればよかった。特定の荒地を新規に開墾したばあいは、土地の事情に応じ、数年の徴税据え置き期間をおいた。そのかわり、農閑期の公道建設・灌漑整備など限定された公共の徭役労働を課した。

 他人に使役されるのではない。じぶんたちの努力次第で、成果がじぶんのものになるのだ。意欲がみなぎり、生産力は大いに高まった。収穫量は、目に見えて増えた。


 馮宝と冼夫人の領内の施策は、北方から来た移民をかぎりなく引きよせ、また俚人狩りの仇敵、高州刺史孫冏が直接支配する地域の俚人部族にも波及した。俚人部族の民は、手に手をとって高凉の馮宝、冼夫人の領地に駆け込んだ。その結果、陽春など、高凉諸郡の田畑はすっかり開墾され、村落は目と鼻の先に向きあうくらいに隣接した。

 一方、孫冏の管轄する領内は戸数が日ましに減少し、田園は荒れ果てていき、刺史・県令は取り立てる糧米にこと欠いた。




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