第3章 高凉の宿賊

 海を見たいという葛徳の意に沿って、冼英は帆船をくりだした。十人乗りの小型帆船だ。三日かけて海南島をひと回りし、帰ってくる計画だ。

 冼英は乗組員に妹分のお玲をくわえた。


 お玲はまだ幼いころに奴隷としてさらわれた、いまのベトナム中部・林邑りんゆうのむすめだった。幼すぎたため買い手がつかず、家奴として大都老にひきとられた。冼英の四つ下で、奴隷とはいえ分け隔てせず、姉妹のように育った。冼英がそうするようこだわったからだ。冼英自身まだ幼かったころ、はじめて出会ったときの衝撃は、いまも鮮明に記憶に残っている。

 ――この子から見れば、わたしも奴隷狩りの仲間のひとりでしかない。

 兄の行為をなじってすむような、単純な問題ではない。こどもながら、すこしでも償えればという気持ちから、ひとつ家に住み、手をひいて遊び、ともに成長した。いまではだれはばかるところのない冼英の妹分であり、かけがえのない右腕だった。

 早い時期に奴隷のかせを解き、自由の身分をあたえた。生地に帰るかと聞くと、帰っても身寄りはない、このまま居させてくれという。聡い子で、ことばも覚え、しつけもできている。なにより陰日向なくよく働き、言動にうらおもてがなかったから、屋敷内のだれもが、お玲、お玲とひきたててくれた。

 しかし、冼挺にだけはけっしてなじまなかった。あるときは怯え、またあるときは憎悪の目をむき出しにして、冼挺への恐れと敵意とを隠さなかった。それを知って冼挺も、お玲には近づかなかった。

 民族の血とでもいおうか、ときが経つにつれ、細面で眼のきりっとしたベトナム人特有のエキゾチックなクーニャン(姑娘)に成長した。嫁にほしいと、引く手あまたの申し入れがあったが、「お英ねえさんが先だ」といって、耳をかそうとしなかった。


 白いメスの小犬が船上で、お玲の周りを飛び跳ねている。水を恐れぬ犬で、引き揚げた魚を鳥から守るのに役立ったから、お玲が乗るときには、いつも同行させている。

「シロ」と呼ばれて人気者だが、じつは二代目になる。


 初代のシロは、冼英がお玲に出会ったはじめ、すでにお玲の手に抱かれていた。しばらくしてから事情を尋ねると、「海で拾った」という。奴隷船の船倉にいたのを拾ったのだろうか。あるいは犬のもとの主人は、奴隷狩りの犠牲者だったかも知れない。

 父母が殺され、独りぼっちになった幼いお玲のたったひとりの友だった。ひもじいなかで、じぶんの食べ物を分け与え、ずっと育ててきた。人語を解するというよりも、人の意思を的確に判断する利口でおとなしい犬だったから邪魔にするものがなく、食べられもせずに、奴隷船のなかで生き延びてきた。

 シロは、お玲だけにではなく、冼英にもしっかりなついている。いちどお玲の手を離れ、冼英が引き取ったが、父から叱責され、お玲に戻した。

「あのとき、なぜわたしにくれたの」

 あとで聞いたら、

「シロを大事にしてくれそうに見えたから。だってわたし、だれに買われるかわからなかったでしょ」

 涙ぐんで答えた。

「ごめんね、ごめんね」

 冼英もいっしょになって涙ぐみ、お玲の細い肩を抱きしめた。


「高凉」と「高凉の宿賊」、これが当時、高凉の俚人をさししめす代名詞だったが、はからずして歴史に汚名を残した。

「高凉奴」というのは、戦で捕獲した俘虜を広州に送り、貴族の家に売りこんだ奴隷のことで、これは高凉にかぎらない。「高麗奴」や「崑崙奴」というのもある。少し時代をさかのぼれば、親魏倭王卑弥呼も魏の朝廷に、「生口せいこう」(奴隷)を献上している。しかし「高凉奴」がもっとも一般的なイメージで人口に膾炙かいしゃした。さらに残酷にも哀れなことは、この現物による奴隷取引で、かろうじて部族の日々の食い扶持が賄われていたという事実があった。大量に俘虜を捕獲した場合、余剰分は買い手がつくまでの備蓄保存で、一時的に峒主・族長・大都老の家の家事労働や生産奴隷にまわされた。

「高凉の宿賊」は、高凉の俚人の盗賊・海賊行為を非難してつけられたことばだ。海賊行為、これもまた百越以来の民族間抗争同様、悪しき伝統といわざるを得ない。

 もともと嶺南に棲息する百越のうち沿岸部に棲む部族は海人といわれ、先秦以前から船をこぎ、帆を操って活発な漁労航海活動をおこなってきた。ことに七百年まえの南越国の時代には、海のシルクロードを開拓し、西方との貿易で繁栄していた。海洋民族の伝統においては、一日の長がある。

 それが官営あるいは貴族や豪族同士で談合した特権的交易活動によって正規の航海業務から締めだされた。許可なく船を出して交易すれば密輸になる。生活の糧を求め、ひそかに嶺南の漁港から出帆した密輸船団は、海上で海賊に変身し、各国の朝貢船や交易船を襲った。それで朝廷と地方の大官は、かれらを「高凉の宿賊」とよび、恐れ、さらには憎んだのだ。


「いま南方の国では林邑が強盛で、交州・日南は圧迫されていると聞きおよんでいます。南朝の支配は届かず、国境を警備する官憲の力は無力にひとしいので、沿岸伝いの近海航路は海賊の出没する危険な水域になっています」

 葛徳は非難めいた口調ではなく、淡々と語った。冼英はどきりとした。まさにその地域こそ冼挺らが商船を襲い人を殺し、財物を略奪する恰好の稼ぎ場だったからだ。

「あのう、そのお話しは、兄からお聞きになりましたか」

 遠慮がちに訊ねてみた。

「いや、わたしは方士ですから、方士仲間から聞きました」

「方士って、なにをする人ですか」

 とつぜんお玲が横から口をはさんだ。ふだん控えめなお玲にしては、珍しいことだ。シロまでが葛徳のまえに両足をそろえて正座し、両耳をそばだてている。

「方士というのは、ちまたでは神仙の方術をおこなうもの、金を煉って不老長生の霊薬をつくるものなどと、現実離れした仙人のようにいわれていますが、じっさいはわたしのように雲水修行で諸国を巡るものがほとんどです。一介の道教修行者にすぎません。経典を読んで医療に通じ、人びとの病を治します。中草薬物を調合して薬剤をつくり、人びとに分け与えます。また養生健康法を実践し、指導します。そしてごく少数のすぐれた方士が、さらにみずから霊山にこもり、神仙修行をおこなうのです」

 葛徳は分かりやすくていねいに説明した。人柄が感じとれる。

「へえ、病気を治してくれるんだ」

 お玲が口をはさんだ。興味を抱いたらしい。

「逆もあります。毒薬を調合し、敵を殺すこともあります」

「武術の修行もするんでしょ」

「養生健康法の一環として、武芸十八般、幅ひろく学びます」

「姿を消したり、別のものに化けたり、人の心のなかにはいったりすることもできるんだよね」

「修行しだいでは、可能ですが、わたしはまだ若輩の未熟者ですから、とてもそこまではできません」

「お願いがあります」

 お玲が真顔で葛徳に向かい、頭を下げた。

「わたしを弟子にしてください」

「ほう、どうしてですか」

「わたし、お英ねえさんのお役に立ちたいのです。三年まえ、村が焼き討ちにあったとき、まだこどもだったわたしは、逃げるのが精一杯でなにもお役に立てず、悔しい思いをしました。いまはすこしおとなに近づいたから、なにかわたしにできることを身につけておきたいのです」

 葛徳はかたわらの冼英を見やった。冼英はこくりと首を振って、同意を示した。

「いいですよ。それでは、医療の基本と薬の調合からはじめましょう。戦のあるなしにかかわらず、必要なものです。武術の方も、すこしずつやってみましょう」


 帆船は漠陽江を下り河口を出て、海陵島の手前を右に折れて南海に入り、岸沿いに半日あまり、南下している。

 さきに東海――東シナ海の説明をしたが、東海の南、台湾海峡以南、広東・広西・海南の中国近海を南海――南シナ海という。東は台湾島・フィリピンのルソン島で太平洋と接し、西はインドシナ半島・マレー半島、南はインドネシアのスマトラ島・カリマンタン島でインド洋と海域を分ける。

 しだいに雲の動きが早くなってきた。葛徳は帆綱を手繰たぐって、帆を引き下ろしている。機敏な動きだった。

「風が強まっています。嵐がきます。夜までもたないでしょう」

「日が落ちるまえに、入り江に避難して、嵐をやりすごしましょう」

 冼英が判断するための情報を的確に提示し、それでいてさいごの決断は冼英に譲っている。分をわきまえた、海の老練者ベテランの配慮といっていい。

「葛徳どの、そなたは海を見たのは、はじめてだと仰せられたが――」

「ええ、海ははじめてです。ただ帆船は大きな湖でなんども乗って、帆やかじの操作は経験しています」

「そなたはじつによく目はしが利く。方術士として一流のお手並みだが、海人でも通る」

 方士は方術士ともいう。方技と術数に長けている。お玲に説明したのは方技のほうだ。術数というのは天文(星占)・暦譜(暦学)・形法(手相・人相などの観相)や雲気の観察(気象学)・算命(運命判断)などを包括する術だ。分かりやすくいえば占術のことだ。いちぶ海人が備えるべき素養を含んでいる。


 冼英は葛徳の言動に注意を払っている。

 方士には孤高の人が多い。ひとり働きは傑出していても、集団の統率者には向かない。しかし、葛徳にその懸念は無用だ。あすからでも、部族の先頭にたって指揮を任せられる、そんな技量と信頼を、冼英は葛徳に感じた。

「かねてから俚人の部族は朝廷に狙われています。嶺南の地方官が、わたしたち俚人部族を眼の敵にし、過ぎたる悪業として、必要以上にわたしたちの『宿賊』ぶりを中央に奏上しているからです。中央は懲罰に名を借り、財源確保の対象として、三年にいちど、征討軍をくりだしています。大都老の父はこの悪習をやめさせるには、朝廷に帰順する以外にないと考えています」

 羅浮山は俚人部族の開祖である盤古を祀る嶺南道教の本山だ。ましてや葛徳は神仙と謳われる葛洪の直系である。年こそ若いが学識がある。諸国巡歴の実践修行もこなしている。冼英もまた教えを請う姿勢で、葛徳に問いかけた。

「南朝の宋末いらい、嶺南の俚人の武装反抗は十八回あったと聞いています。すべて鎮圧されましたが、この懲罰戦争が習慣化され、反抗するつど俚人の村落は掠奪され、破壊されつづけてきたのです。俚人は追われてさらに西に向かい、新開地をどんどん拓いていきました。わたしたちが逃げたその跡地に入植するのは、北から南遷した漢人たちです。悔しくても部族が生き延びるためには、こうするよりほかなかったのです」

 中国は南北に分裂し、支配者が短期間でつぎつぎにかわったから、重要拠点以外の地域は、統治が徹底しなかった。官民双方からなる無法無秩序時代といっていい。都はまだしも辺境においては、あいもかわらず、弱肉強食の原理が支配していた。いつの時代も、力の弱いものが犠牲になった。

 当時、嶺南の地方勢力は、土着の豪族同士、あるいは部族同士で抗争する過程のなかで、優劣を競いあった。強者は実力を蓄え、中央政府に取り入り、地方機関を取り込んだ。ある俚人部族の頭目は南朝の貴族や豪族とのあいだで利権抗争し、長期にわたって海上貿易に割りこんだ。

「南朝の都である建康の人びとは嶺南にたいし、憧れとも嫉妬ともつかない思いを抱いています」

「嶺南観」とでもいおうか、葛徳は都びとの考え方の一例を示した。

「嶺南の部族の酋長は、捕虜・翡翠ひすい・真珠・犀角さいかく(サイのつの)を豊富にもっているので、辺境にいてもあなどれない。そのため朝廷はかれらを手なづけるために一部の公職を代行させたから、それにともなう利益もかれらに入った。部族の酋長は大量の土地と財富を占有しているだけでなく、かれらを長として頼り、つきしたがう部族集団を占有している。平時には農耕土木など労役にしたがっているが、戦時には軍役に服する貴重な戦士となる。嶺南の部族は財力に武力が加わった、侮れない勢力である、といっているのです。どうです。事実ですか、あるいは誤解ですか」

 葛徳は笑顔を浮かべ、ぎゃくに質問した。

 冼英はあっけに取られた。

「だれがそんなことをいっているのですか。翡翠・真珠・犀角など、少なくとも冼家のどこを探してもお目にかかれない代物しろものばかりです」


 当時、広州は嶺南経済のかなめであり、同時に中国最大の対外貿易港だった。

 諸外国の使節は商船に乗って、まず広州に到着、その後北上し、海路建康まで赴き、南朝の皇帝に貢物を献上、あるいは現地で交易したうえ、恩典を賜った。

 たとえばいまのカンボジアに国を建てた扶南ふなん国は、宋・斉・梁に十六回遣使し、国王の闍耶ジャヤ跋摩バツマは梁の武帝から安南将軍として扶南王に冊封された。梁の元帝時代には、大秦(東ローマ帝国)・波斯(ペルシャ)・林邑・天竺(インド)・獅子国(スリランカ)など三十一カ国が朝貢通商し、そのうちの半数は広州に入港した。中国の海商はつねに絹織物・陶磁器を海外へ輸出し、外国商人は中国に金銀・珍珠・沈香じんこう・象牙などをもたらした。

 すでに述べたが、この時期、日本もまた南朝とのあいだで冊封関係をむすび、讃・珍・済・興・武という中国名で知られる倭の五王が十回余り遣使している。


「朝貢貿易は王朝の威光を内外にしらしめすには効果がありました。ただし維持するにはかなりの経費を覚悟しなければなりません。財源がしだいに枯渇していった南朝の統治者は必要に迫られ、俚人にたいし、徴税による経済的収奪と武力征討による暴力的掠奪とをたえず実行していたのです。習慣というより、すでに制度となってしまっていた、という方が正確かもしれません」

 葛徳は真顔になって、冼英に語りかけていた。

「わたしの母は高凉俚人ですから、わたしも俚人のひとりです。だからというわけではないが、俚人にたいし一方的な犠牲を強いるだけのこの制度は、改めてもらわなければなりません。たとえどのような手段を用いてでも」


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