第1章 冼家の兄妹 

「お英、朝飯を食ったら出かけるぞ。馬で早駆けじゃ」

 冼挺せんていの元気な声が、邸内の眠りを吹き飛ばす。

「待って、あにさま。お英もすぐにまいります」

 冼家の朝は、こどもらのにぎやかな掛け声ではじまる。

 朝餉あさげもそこそこに、庭先でばたばたと馬をひきだし、馬車を仕立てる。門を開け放つや、放し飼いの鶏や豚を蹴散らし、風を切って駆け抜ける。

 冼挺は、馬上で弓をつかい前方の柿を落とし、走りざま空中で拾っては、お英に投げてよこす。御者台で馬を操るお英は、上手に受け止め、ひと口かじる。

「シブッ!」

 やにわにお英は立ち上がり、兄に投げ返す。冼挺は駆ける馬の背で向きなおり、これを鞭で叩き落す。

「ワッハッハッ」

 高らかに笑い飛ばして先を駆ける兄を追い、お英は満ち足りた幸せに浸っている。折からの初秋の風を頬で受け、お英は手綱を握る手に力を込める。うっすらにじむ汗が心地よい。

 これがたまたま、置いてきぼりを食おうものなら、大騒ぎだ。

「兄さまはどこじゃ、兄さまはどこへゆかれた」

 半べそをかいてねつづけ、ようやく帰ってきた兄にまとわりついては、容易に離れようとしなかった。

 こどものころ、お英と愛称でよばれた冼英は、兄っ子とからかわれた。日がな一日、兄さま兄さまで、どこへゆくにも兄のあとを追いかけ、兄のすることを見よう見まねでなぞっていたからだ。

「お英は兄さまの嫁になる」

 意味も判らずそんなことをいっては、またからかわれた。

 六つ違いだが、はた目にも仲のよい兄妹で、周囲はあたたかく見守ってくれた。兄はお英の誇りであり、憧れだった。

 冼挺は、いまはもう立派な若者に成長したが、すこしまえまでは、奔放なガキ大将だった。おとなの目を盗んでは山だ、河だ、海だと出かけてゆき、ゆく先々でこどもたちを集めて石合戦や獣狩りをしたり、丸木舟や帆かけ舟を操って魚とりや川下りを競ったりしていた。冼英もまた、こうした遊びのなかで体力を養い、智慧をつけた。誇張していえば、戦の駆けひきや集団の統率術などを、しぜんに学んでいったのだ。

 こどもたちの周りには、つねにこどもの数だけの犬が交じっていた。犬は部族の守り神であると同時に家族の一員だった。どこの家でも犬を飼っていた。よその部族と違うのは、食用としなかったことだ。番犬としての守りのほか、狩猟犬や災害救助犬としての役割も担った。他出するときや戦のときも帯同した。

 森林では獣を探して狩り立て、水中では魚を追い込む先兵となる。巻狩り兵や偵察兵をこなし、急事のさいには伝令をつとめた。災害時の救助活動でも能力を発揮する。ことに山中で迷った人を助けるのは、お手の物だった。


 冼挺兄妹は少数民族の俚人りじん族長の子だったから、長ずるにつれ、日常の遊びは本格的な兵略や馬術・武技にかわっていったが、おとな顔負けの修得ぶりで、末頼もしい兄妹よと、族人の輿望を大いに担っていた。

 ことに冼英は、おんなの子ながら大の男に伍してみずから武器をとり、馬を乗りこなし、船を操るばかりか、策戦を立て、軍兵を動かす軍事方面に天性の才があり、また他の部族を慰労し、わが部族に引き寄せる外交手腕にも天稟を発揮したから、族人は部族の将来の発展をかの女に期待したものだった。


 冼英の住む屋敷のかたわらに、幅十メートルほどの川が流れている。深さは膝が没するていどで、清い流れは鏡のように静かである。川の両岸には、緑の絨緞を敷きつめたような草原がひろがっている。

 ある日のことだ。ふたりのあひる飼いが川を挟んで別々にやってきて、川の両側の草原にあひるを放った。どちらもそうとうな数だ。それぞれ百羽以上はいる。

 やがて双方のあひるの群れは、真ん中にある小川に向かってゆっくりと詰め寄り、餌を求めて川岸にいたった。とつぜん、グワッグワッと大きな鳴き声を立てて、あひるの群れが一斉に小川に飛び降り、水浴びをはじめたからたまらない。ふたつの群れは川面で遊び戯れ、たちまち双方が入り混じってしまった。あわせて二百羽を越えるあひるの数だ。色もよく似通っている。ふたりのあひる飼いはどれがじぶんのあひるか、もう見分けがつかなくなってしまった。群れのなかに飛び込んでみてもどうにもならない。気ばかり焦って、居ても立ってもいられない。

「さあ、困った。いったいどうしたらいいだろうか」

 あわてて混乱するなか、一方のあひる飼いがふと頭をもたげると、草原の向うに冼家の大きな屋敷が目に入った。

「アッ、そうだ」

 目のまえのとばりが、一気にひらけた。夢中で叫んでいた。

「冼家のお嬢さん、お英ちゃんに頼もう。あの子ならきっといい方法を見つけてくれる」

 ほどなく、あひる飼いはお英をつれて川辺に戻ってきた。冼英はまだこどもこどもしていたが、見るからに明るく元気なむすめだ。利発そうな丸いおでこで、大きな目をくるくるさせて、とても愛くるしい。

 あひる飼いはふたりして、口から唾をとばして一生懸命、いまの困難な状況をお英に訴えた。仔細を聞き終えると、お英はにっこり微笑んだ。

「おじちゃんたち、いつもどうやってあひるに餌をやっているの。餌をやるとき、なんて呼んでいるの?」

 ふたりのあひる飼いは、餌をあたえるときの習慣や呼び方を、それぞれ答えた。

「それじゃ、河のなかでごちゃ混ぜになったあひるを、みんな河から出して、草原の片側に集めてみて。ぜんぶ集まったら、おじちゃんたちはあひるを真ん中にして、草原の右側と左側に分かれて、別々に立つのよ」

 お英はてきぱきと段取りをつけて、ふたりに指示した。

「さあ、準備はできたよ。おじちゃんたち、いつものやり方どおりに、あひるに呼びかけて、餌をまいてちょうだい」

 一方のあひる飼いは、あひるの餌になるぬかの入ったカンカンをたたき鳴らした。もう一方は、「トゥ、トゥ、トゥ。トゥ、トゥ、トゥ」と大声で呼びかけた。

 ごちゃ混ぜになっていたあひるの群れは、たちまち左右ふたつに、きれいに分かれた。餌を求めて、もともとの主人の周りに戻ったのだ。ふたりのあひる飼いは、一羽ずつ数えてみた。双方、多くもなく、少なくもなかった。

「ぴったしだ!」

 ふたりは躍り上がって喜んで、お英に「ありがとう」と感謝し、あひるの群れを追って、二手に別れて去っていった。

「よかったね」

 お英も素直に喜んだが、

「迷ったからといって、よそのあひるを自分のものにしてはだめよ」

 釘を刺すことも忘れなかった。


 こどものころの六歳は開きが大きい。

 若者になった冼挺は、いつまでもこどもの遊びに呆けているわけにはいかなかった。一族の跡取りとして、族長見習いの仕事がはじまっていた。

 冼挺は、ときに数ヶ月間、家を離れることがあった。理由を尋ねると、「戦にいってきた」ということもあれば、「船で荷を運んでいた」ということもあり、いずれにしても多くを語ろうとはしなかった。

 むかし、かれら族人のうち沿海側に居住するものの大半は、海人かいじんだった。いまでこそ川を上下して荷を引いたり、網をはなったりして、細々と暮らしてはいるが、ほんらい、大海原に乗り出し、漁労・航海をもっぱらにするのが仕事だった。その先祖伝来の専業を政府から禁じられて久しい。居住地も海岸から山間の盆地に移っていた。しかし海人の子孫は、隠し持った船と天性の技量を密かに海浜に持ち出し、南海を下った。朝廷から見れば、密出国だ。

 まだこどもだった冼英は、なんとなくそれ以上、冼挺から聞きただせなかった。族人のなかでも固く口止めされているらしく、こども仲間で事情を知るものはいなかった。父母に問うてもはぐらかされた。

 帰郷時のかれらは、凱旋というにふさわしい戦果を引っさげてきた。戦利品と称する財貨を山積みにした荷車がなん台となくつづき、そのあとに数珠つなぎされた捕虜がなん人もつらなった。族人は南海に通じる河の湊に鈴なりになって、かれらの凱旋を出迎えた。

 戦利品は、部落の集会場で山分けされた。捕虜も、奴隷として都へ売りに出される以外に、農業生産や家内労働用に分配された。ときには色の違うものやことばの通じないものもいて、冼英らこどもたちは、おとなのうしろに隠れながら、不思議な生き物を見るように、覗き見ていた。

 あるとき、じぶんたちよりずっと下の、まだ年端のいかない小さなおんなの子が、捕虜として競売にかけられた。おんなの子は白い毛の子犬を抱いていた。奪われまいとしてひっしに抱えこむ姿が哀れだった。

「白い子犬、かわいいね」

 思わず冼英が声をかけると、それまで子犬に押し付けていた顔を上げて、おんなの子は冼英を見た。その眼は憎悪をむき出しにしていた。

 とっさのことで戸惑った冼英は、にらみかえそうとしたができず、かえって不意に涙ぐみ、大きな声で泣き出した。なぜ泣き出したか、理由はそのときわからなかった。しかし成長したあとになって、ようやく思い返された。

 じぶんたちがやってはならない大きな過ちを犯しているのではないかという疑惑である。その罪の重さを無意識のうちに感じとったことが、原因ではなかっただろうか。

 その場は近くにいたおとなが冼英をあやし、屋敷につれ帰った。

 おんなの子はなにを思ったか、冼英に向かって子犬を放した。子犬はクーンと、鼻を鳴らしていちどおんなの子をみやり、やがてトコトコと冼英のあとを追った。


 屋敷では、兄ら、戦から帰ったおとこたちが、酒盛りの真っ最中だった。かれらは酔うにつけ、戦の手柄話にうつつを抜かしていた。

「こたびの戦は、激しかったのう。おぬしはなん人った」

「おれはふたりだけだが、三人ばかり海に突き落とした」

「おれは殺すつもりはなかったが、抵抗されてついおんなを傷つけた。傷ついたおんなは、じぶんから海に飛び込んだ」

「それは惜しいことをした。おんなは傷つけてはならぬ。高値で売れるだいじな商いの品だ」

 聞くともなしに耳に入ってくるのは、ただの航海どころの生易しいはなしではなかった。こともあろうに、かれらは無辜の商船を襲っては、積荷を掠奪していたのだ。

 かれらが戦った相手は敵の兵士ではなかった。かれらは民間の商船を襲って、海賊働きをしていたのだ。積荷だけではなく、人までも掠奪していたのだ。おとこたちは、得々として奴隷狩りの手際のよさを自慢しあっていたのだった。

 おんなの獲物の品定めにはなしが移ったとき、冼英はもはや聞くに堪えられなかった。われを忘れて、宴席に飛び込んでいた。

「兄さま、あなたたちはなんという酷いことをなさっていたのですか。もはやこれ以上はおやめくだされ。奴隷もお放しくだされ」

 それまで冼挺は、幼い冼英の誇りであり、憧れだった。一族のなかでだれにもまして勇気のある、凛々しい男だった。ときに厳しくともさいごには優しく教え諭してくれる指導者だった。

 そんな兄の偶像が、冼英のなかで、音を立てて崩れていった。

 冼英は、兄にむしゃぶりついてなじろうとした。しかし冼挺は怯まなかった。かえって胸をはって冼英を見据え、説得しだしたのだ。

「おれたちは命をかけて仕事をしてきた。この仕事でおれたちは一族を養っているのだ」

「こたびは五十人で出かけて、八人が帰らなかった。大なり小なり全員が傷を負った。腕や脚を失ったものは六人もいる。みな命がけで働いた」

「田畑の収穫だけでは年貢も払えないおれたち貧乏部族は、海賊で生きのびるよりほかに手立てがない。甘いことをいっていると、おれたちが奴隷にされて売りとばされる」

 おとこたちはかさにかかって、反論してきた。

「お前たち家族のために、からだを張ってやっているのだ」

 冼英は、はじめて部族の置かれた現実に直面した。

 華やかな衣装、美しい髪飾り、楽しい家庭、日々の食事、これまで生きてきた生活のすべてが、海賊行為の賜物だったのだ。

 きれいごとで済まされるはなしでないことは、こども心にも伝わった。

 冼英は呆然として立ちすくんだ。頭のなかが真っ白になった。集会場で見かけたおんなの子のきついまなざしが蘇えった。あとからついてきた子犬の白い毛並みが思い起こされた。

 ――あの子から見れば、わたしも奴隷狩りの仲間のひとりでしかない。

 冼英は、その場を逃げ出した。涙が止まらなかった。おとこたちの怒号が追いかけてきた。冼挺は苦々しげに顔をゆがめて、茶碗酒を呷った。


「わしら高凉こうりょう部族民は、北方の漢人から俚人といわれ、さげすまれておる」

 父の高凉大都老だいとろう冼企聖せんきせいは、折にふれ、民族の歴史をものがたってくれた。

 もともと俚人の「俚」には、「いやしい」とか、「ひなびた」とかいう意味がある。

 後漢から魏晋南北朝を経て隋唐にいたる時代、嶺南一帯にはかつての百越ひゃくえつ族の後裔である俚族を主とする居民が土着しており、漢族と共生していた。のちにチワン(僮・壮)族、ヤオ(瑤)族、リー(黎)族と、こんにちにつながる名でよばれる少数民族の人びとである。かれらの文化は通婚、融合を通じて、共同の信仰を形成し、盤古ばんことよぶ太古の祖先を祀っていた。

 盤古は中国神話で天地を開闢かいびゃくしたという神で、これを「盤王」と尊称したのだった。

 いつのころからか盤古は同音の盤瓠ばんことも書かれ、神犬盤瓠の伝説として少数民族間で、共通の神話を形成するようになっていた。

「わしらのご先祖にあたる盤瓠部族の先住民は、石器道具が進化するにつれ、農耕・漁労・狩猟を生活手段としたのち、山洞の部落を出て、しだいに河辺に移って定着し、子孫を増やしていった」

 その中心が、広東の西南、南海に臨する陽江の漠陽江ばくようこう流域である。いまの陽江は江城という古名で示される市区の中心部を、陽東・陽西・陽春・海陵島によって囲まれている。

 漠陽江上流にある陽春地域は、北から南にかけて百華里(五十キロメートル)あまりのカルスト地形の石灰岩山地だ。考古学的発見によると、いまから一万五千年あまりまえ、石灰岩の溶けた洞窟(鍾乳洞)に住んでいた先住民族は、漁獲・狩猟の生活を送っていた。鍾乳洞の文化層のなかに、大量のさまざまな古代野生動物の獣骨化石が埋まっていたのだ。。

「いつのころからか、かれらはいぬ(犬)を意味する『コウロウ(狗郎)部族』といわれ、居住する村落はみな『狗郎塞こうろうさい』とよばれた。この地域の俚人とその後の僮(壮)人、瑤人、黎人は、みな盤瓠を祖先とし、狗頭くとう人身の頭部像を旗印にした。北方の漢人は『コウロウ』を訛って、かれらをコウリョウ人(高凉人)とよんだものじゃ」


 秦が中原の六国を滅ぼし中国統一を達成したころ、嶺南れいなんはまだ中華の圏外にあり、化外蛮荒の地、南蛮といわれた。秦の始皇帝は、中原統一の余勢を駆って五十万の大軍を動員、一気に嶺南を占領した。

 ちなみに「嶺南」とは、五嶺以南のカントン(広東)・カンシー(広西)・ハイナン(海南)一帯をさす。また「五嶺」とは、湖南・江西南部と広東・広西北部を分ける五つの嶺、越城嶺えつじょうれい都龐嶺とほうれい萌渚嶺ほうしょれい騎田嶺きでんれい大庾嶺だいゆれいの総称である。


「むかし、この嶺南に『南越国なんえつこく』といわれる国があった。趙佗ちょうたという秦の南海郡尉(軍政長官)が秦の滅亡後、独立割拠して建てた国だ。七百年もまえの話じゃがな」

 南越国は、漢の武帝が再占領するまでの約百年間、存続した。いまの広東・広西からベトナム中北部をふくむ広大な地域を領有していたのだった。

 建国後、南越王を名乗る趙佗は、河北真定(いまの石家荘正定県)の人で、中原出身ながら現地語を解し、率先して現地の習俗に溶け込んで、独立割拠を可能にした。その趙佗の配下に沈汭しんぜいという同郷の武将がいた。

 沈汭は高凉部族の女首領の夫となって、子をもうけて育て、やがて女系から男系の部族に発展した。原住民側として嶺南地域で最初に姓をつけたので、「先」の字をとり、それに沈汭の姓の「サンズイ」ヘンをくわえて姓「洗」とし、男児に洗斉と名付けたのだ。

 それ以後、代々洗氏を名乗った。やがて趙佗は、洗氏を高凉世守(世襲の守護職)に任命し、南越国南海郡境の守りの要とした。漢代、俚族は広州の西南方、蒼梧・郁林・合浦・寧浦・高凉五郡に広く分布していた。このうち高凉郡の大部分が、県部をふくむいまの陽江一帯にあたる。この高凉郡を、冼氏はみずからの先祖伝来の地として、特別視している。

「これがわれら冼氏のはじまりといっていいが、直接の祖先は二百年まえの東晋の冼勁せんけいじゃ。『洗』の姓氏が『冼』にかわっておる。べつに意味はない。冼勁というは剛毅なおとこで、高凉俚人部族の軍団ごと広州刺史(地方高官)の府中兵を担っておった」

 このころ、孫恩そんおん盧循ろじゅんによる五斗米道ごとべいどう信者の武装蜂起が勃発したが、盧循の広州攻めのおり、冼勁は剛勇の兵五百をひきいて盧循軍を迎え撃った。戦は敗れ、冼勁は捕えられたが、賊を罵りひるむことなく、従容として死についたという。

 高凉俚人部族の大都老冼企聖は、この冼勁五世の子孫にあたる。冼挺とお英は、六世の子孫になる。ついでにいえば、大都老の「都」は、統べる・まとめるの意で、当時、部落や小部族ごとに峒主(山洞主)・族長などがいて俚人部族連盟を構成していたが、その連盟の統括者を「大都老」とよんだ。大酋長・大首長ともいいうる。


「われらはご先祖さまにあやかり、『狗郎族』(犬族)と呼ばれることに誇りをもっている。さればこそ盤王さまを敬い、これを祀る。犬はわれらの守り神であり、また親しき友でもある。われら部族の盛衰は神犬とともにある」

 冼企聖はむすめのお英に語って聞かせた。そしてお英のかたわらに侍る白い子犬を見て、厳しく叱責した。

「それはお玲の子犬であろう。寂しがっておろうに、早くお玲に返してやりなさい」


 冼英の生きた時代、中国は南北朝時代といわれる。漢末の三国から魏・晋のあとをうけ、隋が全土を再統一する五八九年まで持続した。前後して江南の建康(南京)に都を定めた宋・斉・梁・陳の四つの南方封建王朝は、黄河流域の北魏・東魏・西魏・北斉・北周政権と、国土を南北に二分して相対峙した。

 朝廷の権威は朝貢貿易に顕著に示されるが、南朝でいえば、嶺南の海上貿易はすでに明確に朝貢貿易と市舶貿易の二形態に分かれていた。朝貢貿易は朝廷のために海外諸国と官方がおこなう貢ぎ物と賜り物の往き来で、政治色は濃厚だが営利がきわめて少なく、朝廷が直接管理していた。広州の役割は境界線を通過する送迎任務だけだった。一方、市舶貿易は中外商人間の交易だ。利潤が豊富で、地方当局によって管理されていた。この海上貿易の最大の受益者は広州の官吏と嶺南の豪族であり、朝廷ではなかった。朝廷は地方からの貢納を通じて市舶の利益の分け前にありつけるだけだった。


 この時代、日本は百済からの仏教伝来期にあたる。また朝鮮における利権を失墜した時期でもある。日本の航海者たちは、新たな航路を求めて、東海を直接横断し、江南へと向かった。東海は、中国の江蘇省沿岸から台湾海峡以北一帯の海を指す。東シナ海ともいう。

 倭の五王の南朝宋・梁への遣使があり、やがて遣隋使がスタートする。






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