第17話

エルザの背後に眼鏡をかけオールバックで長身痩躯の男が立っていた。エルザの小さく鋭い叫び声と共に「こんにちは。こんなところにいたんですね」男の変声期を迎えていない少年のような声にミハイルは全身が沸騰したように熱くなった。反射的に立ち上がり近くを見渡すが武器になるようなものはない。

「オレがこんな状態だということを知ってわざわざ来たっていうことか。亡国の聖戦副総裁ディエゴ・ユーロピアスよぉ!」

 目の覚めるような真っ赤な長髪にタイトな黒のスーツ。

「ふふ。まさかあなたが、子持ちだったとは知りませんでした」

「てめーには関係ねえ。外に出な。ただじゃやられやしねーよ。暁の稲妻の幹部として冥界に行く駄賃としててめえの腕一本くらいはもらっていくぜ」

 ミハイルはわざと口元を緩ませてみせた。

「いつもなら喜んで受け入れるところですが。今日は別件です」

「ああ!? 別件? 嘘つくな。オレを殺りにきたんだろ!」

「私には何を言っているのか分かりません。あなたは……私がそんなに人を殺すのが好きなように見えるんですか」

「当たり前だ。てめぇに何人オレの部下を殺されたと思ってんだ!」

「お互い様でしょう。あなたも私の部下をどれだけ殺したと思っているんですか」

 ディエゴの眼鏡の奥に隠れた細くて切れ長の目を睨みつけた。やがてディエゴは大きく嘆息し、眼鏡の中心をずり上げた。

「失礼。今日はそんな事をするために来たのでないのです」

「だったら早く用件を言え。そしてさっさと帰れ。オレは行かないと行けない所があるんだ」

「おや、そうでしたか。その用とは温泉のことですか? だったら、せっかくだし私も御一緒することにしましょう」

「何言ってんだてめぇ。オレがお前とのんびり温泉に入るわけねえだろ」

「ずいぶん嫌われてますねぇ」

「当たり前だ。あまりふざけたことぬかしてるんじゃんねーぞ」 

「とにかく、早く用意をしてきてください。私は外で待っていますので」

 ディエゴが家から出て行った瞬間、普段と変わりのない穏やかな空気に戻ったミハイルは思った。

 別件で来た、か。あいつは一体何しに来たのだろうか。

 ズボンが引っ張られるのを感じ見下ろすとエルザが心細そうにミハイルを見ていた。「温泉に行かないといけない時間だよ?」

 ミハイルはちらと時計を見た。すでにいつも行く時間を過ぎている。今日ばかりは行く気がしなかった。しかし一刻も早く身体を治さないといけない。あいつが何を言い出すのかは分からない。少なくともいいことではないだろう。それでも逃げるわけにはいかなかった。ミハイルとエルザは足早に家を出た。

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