第12話 おす屋
男は気が弱かった。それが原因か何度も押し売りに遭いその度に買いたくもない商品を買わされていた。
男はこのままではいけないと思ってはいたが、自身の性格なんてそうそう変えられるはずもなく、いつもそれを気に病んでいた。
そんな男がいつものように街を歩いていると、ある店の看板が目に入った。そこには、『気が弱く性格を変えたい方は是非うちへ』と書かれていた。男はその店に興味を持つと、話だけでもと思い店の前まで来た。どうやら店名は『おす屋』というらしい。男は変わった店名だなぁと思いつつもその店に足を踏み入れた。
男が店に入ると同時に「いらっしゃいませ」と店の者が出てきた。店内にはその者以外誰もおらず静かだった。
「今日はどういったご用件で?」四十代とも五十代とも見える店の者は勢いよく尋ねてくる。
「いえ、看板を見たもので、それで話だけでもと思い……」気の弱い男は店の者の雰囲気におされながらも、なんとか要望を伝えた。
「ああ、そうでしたか。それは失礼しました。ではこちらへ」店の者はそう言うと、男の背中を両手でぐいぐいとおしながら奥の部屋へと連れて行った。
男は少し話を聞いて帰ろうとしていただけに戸惑いながらも、店の者に促されるまま、部屋に置いてある席に着いた。
席に座るやいなや、店の者は名刺をおし出すように渡してきた。この名刺を見るかぎりどうやらこの者が店主のようだ。
店主は名刺を男に渡すとそそくさと奥にある扉へと消えていった。
何だかせわしい人だなぁ。男は貰った名刺を見つめながらそう思っていると、店主が茶碗ようなものを盆に載せながら再び現れた。
「すいません。お待たせしました」店主はそう言って飲み物が入った茶碗を先程の名刺と同じように、男に向けておし出してきた。
男は茶碗から中身がこぼれるんじゃないかとどきどきしながらも、店主からそれを受け取った。
「ささっ、遠慮なさらずに」店主は手で飲む仕草をしながら男に飲むよう勧めてきた。
男はそんなに喉が渇いていなかったが店主の勧めにおされ茶碗の中のものを口に入れた。
男は思わず口の中のものを吐き出すと、むせるように咳をした。
店主は「大丈夫ですか?」と男に尋ねる。
「ええ。すいません」男はポケットから出したハンカチでこぼしたものをきれいにしながら、「これってもしかして……」
「これですか? はい、おすです。おすは身体にいいんですけど口に合いませんでしたか?」
男は呆気にとられていた。普通はお茶や、コーヒー、最悪水などが出てきそうなものだがまさかお酢とは……
男は気持ちを落ち着かせると、店主に向かって質問をした。
「こちらの店って『おす屋』とありますが、お酢を売っているって事ですか?」
「いえ、違います」店主はすぐに否定した。
「えっ、じゃあ一体何を?」
店主はよくぞ聞いてくれました言わんばかりに膝をポンと叩くと、立ち上がって店の説明を始めた。
「この店はあの看板にも書いてある通り、気の弱い性格の人を気が強くなるよう変える店なのです」
「はぁ」と、男は相づちを打つ。
「で、具体的には何を?」
「いいですか、気の弱い人に共通している点は引っ込み思案な所なのです。そのせいで自分の意見が言えずいつも周りに流されてばかり。嫌な仕事をおし付けられたり、買いたくもない商品を買わされたり、損するだけなのです。ですのでそれらを解消する為にはこの店の店名にもあります通り、何でもおすようにするのです。引くから駄目なのです。常におす。意見を気持ちを信念を、おせる物は何でもおす。これがこの店のモットーなのです。これをお客様にも実践していただき、実生活のお役に立てて貰おうという訳なのです。分かりましたか?」
「はぁ」男は店主の迫力におされ再び相づちを打つしかなかった。
「じゃあ、手始めにこちらの契約書にハンコをおして貰いましょう。ハンコが無ければ拇印でも結構ですので、こちらに」
店主はそう言うと契約書と朱肉を男の前におしだしてきた。
「ちょっと待って下さい。話が急すぎてとても……」
男はあまりの事に事態を整理出来ないでいた。
「いいですか? 先程も説明させて頂いた通りおせる物は何でもおすようにするのです。常におし癖を心掛ける。これが性格を変える第一歩なのです。あなた性格を変えたいんでしょ? ハンコ一つおせなくてどうするんですか? さぁ、さぁ」
流石『おす屋』という店の店主というべきか、男は店主の圧におし負け、ろくに契約書の内容も見ずに拇印をおした。
「ありがとうございます。これでご契約という事で」
店主はそう言って男から契約書をさっと引き取る。
「じゃあ、時間もおしてきましたので本日の精算の方を……」
この言葉で男は平静を取り戻した。
「ちょっと待って下さい。確かに拇印は押しましたが無理やりに近かったし、それに少し話をしただけなのに何ですか精算って?」
男は店主がおし出した電卓の数字を見て目をパチクリさせている。
「いえ、こちらの契約書にも書いてあります通り、私共がおしたものには料金が発生するものでして。お客様が入店されてから今までの間、色んなものをおさせて頂きました。それのお値段でございます」
確かに店主の手にある契約書にはそう書かれている。
男は納得がいかなかったが、契約を交わした落ち度がある手前これ以上何も言えず、しぶしぶ料金を支払った。
「じゃあ、これでいいだろう。もう契約を破棄してくれ」
「えっ、もうですか。お客様に我が店の方針は合いませんでしたか、まあそれなら仕方ありません。契約を破棄させて頂きます」
店主はそう言って契約書を二つ折りにして真ん中から破ると近くにあったシュレッダーにそれをかけた。
それを見届けた男は帰り支度を始めると、店を後にしようとしていた。
そこで店主が声をかける。
「本日はお客様の意に沿えなくて残念です。おす事も大事ですが今日のお客様のように一歩引くことも大事です。そんなお客様に私共の姉妹店で『ひく屋』という店がありまして、物事を冷静に引いて見極めればどんな事にも対処出来るはずです。こちらを是非ご紹介したいのですが」
店主の言葉は男に届くはずもなく、男と共に店の外へと消えていった。
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