『仕事人間』
数学教諭を勤める男がいた。きちんと優秀な男なのだが、人に教えるのだけは苦手であった。凡人の理解力のほどが分からず、ある時は教え過ぎ、ある時は教えなさ過ぎて、その不恰好な授業は生徒から笑われるほどだった。
嘲られ軽んじられ、下品な言葉を投げかけてくる生徒を怒ってやりたくてもできはしない。近頃の教育現場では、教師の最大の敵はハラスメントや体罰であったからだ。
「キイヤキイヤ、クアクア。」
鳥のような不快極まる不協和音で自分を蔑む生徒を、男は恐れ、いつしか男の中で生徒は
ある日、男が妻に頼まれ娘の参考書を買いに行く道すがら、教え子の女生徒に行き会った。女生徒は傍らに中年男性を
中年男性を追い払い、女生徒に説法する。自分の体を大切にしろだとか、そんなものでは何も満たされないだとか、聖職者として当然の倫理を説いた。男が話し終えると、女生徒は退屈そうな顔を歪め、
「お仕事、お疲れさん」
と、男の耳元で囁いた。とても退廃的で、かつ妖しい微笑をたたえて。
男は女生徒を平手で打った。飛ぶ女生徒を置いて、一目散に走り出す。人にぶつかり、転がりながらも逃げ続ける。
義務感、女生徒は男の行動を義務感からくるものだと言った。違う、違う。男は自分に言い聞かせる。自分の行動は、正義感からきたものだと。聖職者として、当然のことをしたのだと。
しかし、それと同時に考える。果たして、自分は生徒たちに正義感を持つ余地があったのか。貶され嗤われ馬鹿にされ、世間の声に怯えて何もできなかった獣共に、善意を抱いたことがあったろうか。目先の金欲しさに体を売る小娘に、振り撒いた善行は善意からきたものなのか。
「違う、違う。俺は善意をもっていたんだ。確かに正義を感じていたんだ。」
うわ言のように繰り返し呟く。しかし、言葉にすればするほど男の正義は重みをなくし、考えれば考えるほど卑しい自尊心と凝り固められた義務感からの行動だったと、男自身思えてくる。瞼から溢れる泪をそのままに、男はずっと呟き続けた。
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