秋絵ちゃん ロイス→タイタス 

 情報の世界から戻ってきたあたしが最初に見たのは、顔を赤らめた秋絵ちゃん。キスの余韻でうっとりした顔は、むしろ妖艶にさえ思えてきた。

 時系列として考えれば、昨日あたしときゃっきゃうふふしてた時点でジャームとなっていたのだ。あの涙も、あの真剣な言葉も、弱弱しく震えた顔も、ベットの中であたしの指に翻弄されてたあの姿も――


「あの、亜紀子ちゃん。よだれ出てる……」

「おおっと、つい昨日の事を思い出して」


 涎を拭きながらあたしは思考を現実に戻す。

 実際の所、現実に戻ってもあたしに出来ることは何もなかった。

 ジャームになった人間は元には戻らない。秋絵ちゃんはこのまま人を傷つける絵を描き続けるのだろう。そしてUGNはそれを許さない。

 あたしが秋絵ちゃんを殺す? 無理だ。ジャームと何度か戦ってきたあたしだけど、それはジャームに強く感情移入していなかったからだ。確かに同情する事情をもつジャームはいた。だけど知り合いがジャームになるというのは初めてだ。戦おうという気力すら起きない。

 UGNと敵対するFHファルツハーツという組織に連れていけば、ジャームでも受け入れてもらえるのだが、あたしにそのコネはない。仮にあったとしても、根本的な解決にはならない。

 動揺するあたしを見ながら、秋絵ちゃんが先に動く。


「すごいね、亜紀子ちゃん。ワーディングの中で動けるんだ」


 ワーディング――レネゲイトウィルスを散布し、オーヴァード以外の存在を昏倒させる技だ。使い方によっては人払い的な効果にもできる。オーヴァードなら誰もが持ちうる基本的な能力だ。

 ワーディングの中で動けるのは、オーヴァードのみ。そしてワーディングを使ったという事は、オーヴァード同士でのやり取りをするという合図でもある。この場合は――


「もしかして周りの目線がつらいからワーディング使って人目を消した!? すごい、そんな使い方あったんだ!」

「うん、亜紀子ちゃんならそういうと思った」


 ああん、結構本気で言ったのに流されたー。

 秋絵ちゃんの指が空気をなぞる。指先の軌跡に沿って描かれる光の絵画。それが攻撃的な意図をもってあたしに迫ってくる。


「亜紀子ちゃんはどんな力を持っているの? あたしに見せてほしいな」

「秋絵ちゃん、やめて……」

「私、いろんなものが描きたいの。オーヴァード? その人達が使った炎や雷、あれに凄く刺激されたの。ほら、こんな感じで」

「元に戻って。秋絵ちゃん」

「すごい絵を描けば、きっとお母さんも認めてくれる。だから、お願い?」

「秋絵ちゃん!」


 叫んでも秋絵ちゃんは元に戻らない。絵は真っ直ぐにあたしに迫る。あたしの服を、肌を割いて、絵は空気に溶けるように消えていった。

 痛い。

 そりゃ傷口は痛い。だけどこの痛みがどうしようもない事実を教えてくれた。

 彼女が、人を傷つけても明るく笑えるジャームだということに。


「秋絵ちゃん、このままだと殺されるよ?」

「誰に? この間のオーヴァード組織に? あの人たちじゃ、私は――」


 秋絵ちゃんの言葉をさえぎって、あたしは左腕を振り上げる。

 そこに纏わりつくように影が実体化し、鋭い爪となる。それは獣の爪。だけど現実に居るどの獣にも当てはまらない大きさと形をしていた。あたしの持つ『凶悪な』イメージそのままの、禍々しい形をした腕。

 その腕を見て、秋絵ちゃんはむしろ生き生きしたように指を動かした。創作意欲が刺激されたのか、あたしの腕に似た絵画を虚空に描く。


「すごいすごい。亜紀子ちゃん、大きな手だね」


 言いながら絵をこちらに向かって飛ばす秋絵ちゃん。それはオーヴァードによって生まれた力。ならば――


「そうよ。そしてレネゲイトの力を食うのよ!」


 あたしの影はレネゲイトの力を解除することができる。影に力を籠めれば、相手の攻撃さえも。

 大きく振りかぶったあたしの影は、秋絵ちゃんの生み出した光をあっさり飲み込んで、消した。彼女の絵を否定するように。

 あたしはそのまま爪を秋絵ちゃんの喉元に突き立て――


「それで、どうするの?」


 あたしの爪は、秋絵ちゃんの喉元に触れることなく止まっていた。あたしの意志で止めていた。秋絵ちゃんの喉元に爪を突き立てる事なんて、出来るはずがない。

 震えるあたしを心配そうに見ながら、秋絵ちゃんは再び絵を描き始める。あたしはなすすべなく、それを見ていた。その絵を消すことは、造作もない。だけど、それ以外にあたしは何もできない。

 この手で切り裂いても、ジャームは元に戻らない。レネゲイトの力を食うのに、こういう時は役に立たない。

 無力に打ちひしがれるあたしに、秋絵ちゃんが描いた絵が迫る。ああ、このまま攻撃を受けて倒れてもいいや。もうどうしようもないし。あたしは腕を降ろし、迫る絵画を呆然と見ていて――


「危ないですわ! はぅぅぅぅぅぅん!」


 そこに割って入る影があった。クララさんだ。クララさんは秋絵ちゃんの攻撃を受けて、悶絶していた。少し嬉しそうだ。

 同時に人形が宙を舞い、弾丸を放つ。これはセッちんの物質創造モルフェウス能力で生み出したヤツだ。攻撃の瞬間まで気配や姿を悟らせない戦い方。


「間に合ったようだな」


 この声はP266だ。セッちんが手にしているガラケー。


「え……? なんでみんなここに……」

「様子がおかしいというのでな。尾行させてもらった」

「亜紀子さんが八つ当たりして、おっぱいだけで済ますとは思えませんわ!」

「……パンツ取らなかったの……初めてだし……」


 く! 誤魔化そうとしてたのがバレバレだったか。あたしとしたことが!


「亜紀子ちゃん……その、八つ当たりでする行動にしては酷くない?」

「ああ、そんな呆れたような言い方しないで、秋絵ちゃん! ああ、もしかして秋絵ちゃんもそうされたいってこと? 嫉妬? ラブの裏返し?」

「全然ないから」


 あっさり言い放つ秋絵ちゃん。何故か後ろで同意している気配があるけど、豪快にスルー!


「亜紀子ちゃんのお友達が来たから、あたし行くね。また」

「ああ待って!」

「待て、亜紀子君! 追って――どうするつもりだ?」


 P266の言葉にあたしは固まる。追いかけて、引き留めて――その後、あたしはどうすべきかわからない。何を言うべきかも、何をすべきかもわからない。

 自分を塗りつぶすように秋絵ちゃんが指を動かせば、そのまま風景に溶けるように消えて行ってしまった。


 ジャームは元には戻せない。

 その事実が、重くあたしの心にのしかかっていた。

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