18
「よかった。さっき掲示板のところにいたよね。ボールペンのシールに見覚えがあったし、内藤と同じ学校みたいだったから、もしかしたらと思ったんだ」
確かにボールペンに貼ってあるシールは健太が貼りつけたものだ。どこにでもあるようなボールペンなので、目立つように派手なシールを選んで貼りつけた。
だけど、彼はどうして健太が内藤と同じ学校だと気づいたのだろうか。
健太が首を傾げていると、男の子が少し気まずそうに後頭部をくしゃりと掻いた。
「――――えーと、ごめん。すごく一生懸命に書いてたから、気になって後ろからプログラムを覗いたんだ。そしたら内藤の学校の選手のところにチェックが入ってたから」
「…………」
「あのっ、勝手に覗いて気を悪くしたならごめん! ほんと、ちょっと気になっただけだし……」
健太がなにも言わないので怒らせたのかと思ったのか、彼は背中を丸めて、すまなさそうな顔を健太へ向けた。
一方の健太は、彼とどこで会ったっけと、そればかりが気になり、目の前に立つ男の子のことをじっと見つめている。
(どこかで見たことがあるんだけど……内藤のこと知ってるみたいだし、俺が内藤と一緒の時に会ったことがあったのかな……)
健太からじっと見つめられ、男の子の目の周りがうっすらと赤くなる。
「あっ、あのさ……君、名前なんていうの……」
「西田」
男の子が健太へ一歩近づく。すると、それを遮るかのように内藤が間へ入った。
「こいつはうちのマネージャーなんだけど。何か用か?」
「…………あ。思い出した!」
内藤の後ろで健太が声を上げた。
(さっき入り口のところで見た人だ)
あの時、健太は長身の男の子に目が行ってしまい、彼のことをじっと見ていたら内藤が邪魔をしたのだ。
(だから見覚えがあったんだ……だけど今、内藤が西田って……)
西田といえば、内藤を抑えて一位で決勝に残った選手だ。
健太が内藤の背後からチラリと顔を覗かせると、西田と目が合った。彼はどうやらずっと健太のことを見ていたらしく、目が合うと健太に向かってにこりと笑って、そして小さく手を振った。
「――おい、西田」
「内藤? 俺はそこのマネくんに用があるんだけど。ねえ君、名前は? 俺は西田光秀っていうんだ」
よろしくねと言って、西田がニコニコしながら健太の返事を待っている。これはどうしても答えないといけない雰囲気だ。
健太は内藤の方を窺うように見た。内藤は難しい表情のまま西田のことを睨みつけている。
健太はため息をひとつつくと、西田へ向かって久米健太ですと答えた。
「久米、健太くん。ねえ、健太って呼んでもいいかな?」
「――――え」
「西田!」
内藤が凄みをきかせても、西田は全く気にしていない。それどころか、内藤の横からのぞき込むようにして健太へ笑いかけてくる。
「健太?」
「え、あ……はい」
「西田! そろそろ決勝だろ。行くぞ!」
「ええーっ、まだ時間あるだろ? 俺、健太ともうちょっと喋りたいんだけど」
そう言いながら、西田がさりげなく健太の手を取ろうと手を出した。だが、その手はもちろん内藤によって阻まれる。
「西田」
「なんだよ内藤、さっきから。ちょっと話すくらいいいだろ? 減るもんじゃなし」
「…………減る」
「え?」
「なんでもない。マネージャーに用なら西條がいるだろ」
内藤が西條へ話を振ると、ことの成り行きを見ていた西條が、あからさまに迷惑そうな顔をした。
「えーっ、俺は健太がいい。西條くんって、なんか怖いから嫌だ」
「俺も西田は面倒くさいから嫌だ」
西條も西田も、お互い嫌だと言ってはいるが、健太からすれば妙に気が合っているようにも見える。
「ていうか、なんで内藤が健太のことを隠すわけ?」
「別に隠してなんかない。久米は忙しいんだ」
「ふうん……」
納得がいかないのか、怪訝な表情で内藤と、そしてその後ろに隠れている健太とを西田が見比べる。
初めて口をきく相手から、こうしげしげと見られたことなど、もちろん健太にはない。遠慮のない視線がとても居心地悪くて、健太は無意識に内藤のTシャツの裾を掴んだ。
「あ」
「なんだよ」
「……いや、なんでも…………ああ、なるほど。そういうこと」
西田が意味深に頷く。
「用がないなら行くぞ。早く来いよ、西田」
「はいはい、わかったよ。あのさ健太、俺これから決勝なんだ。応援してくれる?」
「え?」
応援してくれる?なんて言われても、西田は他校の選手だ。しかも、内藤と優勝を争う相手でもある。
これから決勝に出る本人を前にして「頑張るな」とも言えなくて、健太が返事に詰まっていると、西田がさらに口を開いた。
「健太って、かわいいよね。俺、健太みたいに素直でかわいい子、超好き」
「おい、西田」
西田からの「超好き」宣言に健太が絶句し、その側では、内藤が不機嫌さ全開で西田のことを睨みつけている。
「決勝、健太に絶対見て欲しいなぁ……あ、でも内藤も出るから見てるか。マネージャーだし当たり前だよね」
「え……あの」
「健太が見てくれてるって思うと、テンション上がる! 俺、絶対に一位とるから。応援よろしく!」
「西田!」
さらには「勝利を君に」などとバカなことを言い出した西田へ、とうとう苛立ちが沸点に達したのだろう、内藤は西田の首根っこを掴むと、「絶対だよ」と言ってへらへらと健太へ手を振る彼を引きずって、何処かへ行ってしまった。
「内藤……」
その場に残された健太が呆然と内藤と西田の姿を見送る。
最初に会場入り口で見かけた西田と、今しがた目の前にいた西田との印象が、あまりにも違いすぎる。
西田は黙っていれば威圧的なオーラさえ感じさせる風貌なのに、ちょっと口を開けば、たちまち雰囲気がガラリと変わってしまうのだ。
あれは本当に同一人物なのだろうかと、呆然とする健太へ西條が声をかけた。
「久米、大丈夫? びっくりしただろ?」
「あ……まあ、うん」
「ああ見えて、内藤と西田って仲良いんだよね。あの二人、中学まで同じ学校で、試合になると優勝争いしてたんだ……まあ、争ってたのは水泳だけというわけでもないけど…………なぜかいつも好みが被るんだよねえ」
そう言うと、西條が健太の顔を見てなんとも言えない表情をした。
そんな含みをもたせた様子で何か言いたげな西條を見て、健太が首を傾げたが、西條は曖昧に笑っただけで特に何も言わない。
「久米はそのままでいいよ。それと内藤だけど、多分……というか、今日は優勝すると思うから」
「え?」
「ああなると強いんだよね、あいつ。まあ、あとはインハイのタイムが切れるかどうかなんだけど」
疲れが残るからと再三注意をされても、結局内藤は試合前日まで自主練をやめなかった。西條も最後には何も言わなくなったが、やはり内藤のコンディションは気になるようだ。
「練習、頑張りすぎるのもよくないって、難しいんだね」
「まあね。普通は試合の日程に合わせて練習量を調節するんだ。だから今回の内藤は問題外。いくらインハイに行きたいからって無茶しすぎなんだよ」
西條の言葉に健太は何も言うことができない。
内藤が無茶をしたのは、実は健太のせいでもある。夏が終わるまでと時間の限られた健太のために、彼はあんなに頑張ってくれていたのだ。
つい俯いてしまった健太の手を西條が掴む。
「行こう、久米。ここでいろいろ言ってても泳ぐのは内藤たちなんだしさ。俺たちは観客席からあいつらに気合を入れてやらないとな」
これから決勝に出場するのは内藤だけではない。今年が最後になる三年生も、そのほとんどが決勝に残っている。
「…………俺さ、今日、有吾がインハイ出場決めたらガツンと言ってやりたいことがあるんだ。だから俺も応援頑張る」
「西條くん」
「ここまできたら俺らには見守ることしか出来ないし。だから、あいつらが泳いでるところ、ちゃんと見ておかないとな」
健太の手を握る西條の手が微かに震えている。
これから始まる決勝レースに向けての緊張からなのか、それとも別の理由からなのか、西條の心の中は健太にはわからない。
だけど、部員みんなが悔いの残らない泳ぎができればいいのにというところは健太も西條も同じ気持ちだ。
健太は西條の手をぎゅっと握り返すと「行こう」と言って、 観客席へと足を向けた。
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