15

 健太が内藤に連れて来られた店は、ちょっと年季の入ったラーメン店だ。店自体は築何十年も経っていそうな建物だが、一歩店に入るとあたたかな雰囲気に包まれていて、健太は初めて訪れたはずなのにまるで以前からこの店を知っていたかのような気分になった。


 そこは無口な年配の店主と愛想のいい奥さんの二人で切り盛りしている店で、内藤が店に入ると奥さんがにこやかに健太と内藤を迎え入れてくれた。


「ここのラーメン、すごく美味いんだ。水泳部の奴らと練習帰りに時々来るんだ」


 内藤がしょうゆラーメンを注文したので、健太も同じものを頼む。


(これって、デート……って思っていいのかな)


 テーブルの向い側に座っている内藤のことを健太がこっそりと盗み見る。思わず目が合ってしまい、健太は慌てて顔を下に向けた。


「久米?」

「え……や、あの。俺、ラーメンって初めて食べるから」


 まさかラーメンを食べたことのない人がいるなんて思っていなかったのか、驚いた内藤が目を瞠り、そして嬉しそうに「そうか、初めてなんだ」と言った。


「それじゃあ、これから久米の初めては全部俺とだ」

「…………え」


 内藤があまりに普通に言うものだから、健太は一瞬言われた意味がわからずぽかんと口を開けたまま動きを止めた。そして、それをどう受け取ったのか、内藤の顔がみるみる赤くなる。


「や……えっ、と初めてって、だから変な意味じゃなくて、遊びに行ったりとかそんなことで……」

「え?」

「…………えっ?」


 健太が首を傾げると、さらに内藤は真っ赤になった。


「久米っ、ごめん! 今のなし! 何でもないからっ」

「え、あ、うん」


 内藤はなぜこんなに慌てているんだろう?健太にとって内藤と一緒に花火大会へ行ったこともそうだが、今みたいに学校帰りに寄り道したり、二人でいてドキドキしたりなんて、全てが初めてのことばかりだ。

 全部、内藤と一緒。だから余計に素敵で嬉しく感じるのかもしれない。


(内藤も俺と同じように感じていてくれて、それで照れてるのかな)


 だとしたらすごく嬉しい。

 何となく目が合ったので健太が内藤へ笑いかけると、内藤が「なに?」と言って笑い返す。


「はい、お待ちどうさま」


 そうこうしていると、健太たちの前にラーメンが運ばれてきた。



※※※※※




 ラーメン店から駅へと向かう道は、裏通りだからなのか夕方なのに人通りがない。

 時折、遠くから聞こえてくる電車が走る音の他には内藤の押す自転車のカラカラという音がするだけだ。

 健太はどこかくすぐったいような、だけどちょっぴりふわふわとした気持ちで内藤の隣を歩いていた。


「美味かった?」


 健太の隣で内藤が言う。


「うん。すごく美味しかった」


 健太が初めて食べたラーメンは、あっさりしているのに味に深みがあって、とても美味しかった。

 ただ、健太は量があまり食べられないので最後は内藤に少し手伝ってもらったのだが。


「美味しかったのに……ごめん。俺、全部食べきれなくて」

「そんなの気にしなくてもいいって。次も俺に任せるといいし」

「え……あ、うん」

「どうかしたのか?」

「…………次もまた、内藤と一緒にご飯を食べに行けるんだと思って」


 隣を歩く内藤のことを見上げながら、健太が少し照れたように「嬉しい」と言って微笑んだ。

 内藤の足が止まる。そして、おもむろに自転車を道端に停めると健太の手を取った。


「内藤?」


 どこへ健太を連れて行くのだろうか。内藤は何も言わず、やや強引に健太の手を引く。


「内藤、あの……急にどうかした?」


 確かに健太の声は聞こえているはずなのに、内藤は前を向いたまま健太の呼びかけには応えない。

 手を引かれるまま健太が内藤の後についていくと、とあるマンションの駐車場の陰に連れ込まれた。


「内藤?」

「ごめん、ちょっといいか?」


 内藤はそう言うと、返事も待たずに健太の体をぎゅっと抱きしめた。突然のことに健太が目を瞠る。


「な、内藤……っ、あの……」


 ぴったりとくっついた体を通して内藤の鼓動が健太へ伝わる。

 それはドキドキととても速くて、そして心配になるくらいに大きな動きで、健太は思わず内藤のTシャツの裾を掴んだ。


「久米、あんまり可愛いこと言わないでよ」

「へ……えっ、か、かわ……え?」

「飯くらい、これから何度でも一緒に行くよ? それだけじゃなくて、これからは毎日一緒に帰るし、久米は俺のだからってみんなに見せつけるつもりだから」

「…………え、ええっ? 内藤、何言って……」


 内藤の腕の中で、健太が身じろぐ。

 だが、それを許さないと言わんばかりに、抱きしめる内藤の腕に力が入った。


「あの……な、内藤っ?」


 健太の背中にコンクリートの壁が触れた。硬くてひんやりとした感触が背中から伝わってくる。

 いつの間にか健太のことを抱きしめていた内藤の腕は解かれていたが、すっかり気が動転してしまっている健太は、そんなことすら気づいていない。


 壁に背中をつけたまま、今度は壁に肘をつけた内藤の腕に囲われるような状態で、健太がそろそろと顔を上げる。するとそこにはあまりにも近い距離に内藤の顔があって、思わず健太が息を詰めると、内藤は少し困ったように微笑んで健太の肩にことんと額を乗せた。


 内藤はそのまま何も言わなかったが、しばらくすると小さく息を吐いて、そして「いきなりごめん」と呟いた。


「内藤」

「驚かせてごめん。ちょっと我慢ができなかった」


 内藤の言葉に思わず健太が自分の肩口に目を向ける。そこには塩素で少し茶色がかった髪があり、ちらりと見えている耳の端っこがうっすらと赤くなっている。


「あの……内藤」


 健太が呼びかけるが、内藤は健太の肩に額を乗せたまま顔を上げようとしない。それどころか肩に乗せた額を擦りつけるようにされて、健太はびくりと体を硬直させた。


「…………明日」

「えっ?」

「明日は久米の食べたいものにしような。それで明後日は俺の食べたいものにしよう?」


 内藤が健太の肩に頬を乗せている。内藤からじっと見上げられて、いつもとは逆の目線に健太の胸の内が跳ねた。


「久米?」


 ダメか?と問われて、健太がふるふると頭を横に振る。

 ダメなわけがない。今日一緒に食事に行けただけでも本当に嬉しかったのに、内藤から明日、それに明後日も一緒に行こうと誘われるだなんて夢のようだ。


 健太の反応に内藤が満足そうに笑う。その笑顔がかっこよくて、落ち着きかけた健太の鼓動がまた早くなる。


「あー、もう。このまま久米のこと、どこかに閉じ込めてしまいたい」

「……へっ?」


 とうてい内藤らしからぬ発言に健太が目を見開いていると、その様子を見た内藤が、悪戯が成功した子どものように楽しそうに白い歯を見せた。


「冗談」

「…………」

「あ、でも久米のことを一人占めしたいと思ってるのは本当。俺って結構、独占欲が強いみたいだ」


 そう言って、内藤が気持ちよさそうに健太の肩へ頬を擦り寄せる。内藤の鼻先が首筋に触れて、健太は今まで経験したことのないゾクリとした感覚にふるりと体を震わせた。


 久米、と内藤が囁く。内藤の息が健太の首筋にかかって、先ほど感じたゾクリとした感覚がより強くなる。

 そんなところで喋らないで欲しいと思う一方、離れて欲しくないとも思う。そんな健太の葛藤を知ってか知らずか、内藤が言葉を続ける。


「俺は今高二で、まだ来年もあるけど、久米が水泳部にいられるのは今年の夏で終わりなんだよな」


 ひとことひとことを、確認するように言う内藤の台詞に健太が頷く。


「だから……っていうのも変な話だけど、俺、今年の夏は本気で頑張るから」


 だから、向こうに行っても俺のことを忘れないよう、しっかりと見ていて欲しい。そう続けた内藤に、健太はもう一度、今度はしっかりと頷いた。


「お、俺も頑張る。それでちゃんと元気になって、内藤のところに戻ってくる」

「うん。約束だ。三年でも五年でも、どれだけ時間がかかっても、俺は久米のこと待ってる」

「内藤……」


 内藤の腕が健太の腰に回る。健太も内藤の首へ腕を伸ばし、自然と二人の唇が触れあう。


(……指切り、みたいだ)


 ふと、そんなことを思って、健太は内藤と二回目のキスを交わしながらそっと目を閉じた。

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