14
合宿が終わって、インターハイの二次予選まで一週間を切った。
次の二次予選の結果でインターハイ出場が決まるとあって、普段の練習の時も合宿の時とはまた違った緊張感が部員らの間に漂っている。
大会に出場しない健太も部員ひとりひとりが少しでもいい結果が残せるよう、精いっぱいマネージャーとしてサポートにあたっていた。
「七秒三、九秒四、九秒八……」
(すごい。内藤のタイム、また伸びてる)
タイムをとる西條の横で記録を書きつけながら、健太が小さく息を吐く。
もともと水泳バカで練習バカな内藤だが、ここ最近はそれに輪をかけて練習に没頭している。
だが単純にすごいなあと感心している健太の隣では、タイムを確認した西條が眉間にしわを寄せた。
「西條くん? どうかした?」
「ん、いや何でもない」
「…………内藤、すごいね。またタイムが伸びてる。今日も朝の五時から練習してたんだよ」
練習が始まるのは午前八時半からだ。なのに合宿が終わってからというもの、内藤は毎日早朝五時から独り練習をしている。
健太が感心したようにそう言うと、西條の表情が厳しいものになった。
「あのバカ……」
「えっ、西條くん?」
「おい! 内藤、ちょっと!」
プールから上がった内藤の方へ西條が歩いていく。
いったい何事だろうと、少し離れたところから健太が眺めていると、なぜか西條と内藤が言い争い始めた。
「え……ちょっと二人ともどうし…………」
「こら! お前ら何やってるんだ?」
「あ、稲木さん」
健太が二人を止めようとしたところで稲木が間に入った。
「有吾」
「稲木さん」
「おい、お前たち何をしてるんだ? ケンカか?」
「いえ……ケンカじゃ……」
「そうだよ。ケンカなんかしてないよ。俺はこの練習バカに注意してたんだ」
「なっ……バカって西條、お前」
「だってそうじゃないか。もう試合まで一週間切ってるんだよ? そろそろ調整に入らないといけないのに、何を今ごろ泳ぎこみやってるんだよ! それともなに? 俺の組んだメニューは気に入らないとでも言うのか?」
通常の練習メニューは基本、西條が作っている。いろんな資料を調べたり、部員それぞれの種目やコンディションに合わせて、頭を悩ませているのを健太も側で見ているので知っている。
内藤が調子を上げているのも、健太はてっきり西條が組んだ練習メニューのせいだと思っていた。
「別に西條の作った練習メニューが気に入らないとか、そういうわけじゃ、ない。ただ、今年は絶対にインハイに行きたいから……」
西條の言い分が正しいことがわかっているのだろう。少し気まずそうに言う内藤を見て、稲木がやれやれといったふうにため息をついた。
「内藤。お前の気持ちもわかるけど、ただがむしゃらに泳げばいいってもんじゃないんだ。西條の言う通り、もう試合まで一週間を切ってる。今からは試合に向けて疲れを残さないように練習も調整しないといけない。それくらい、お前もわかってるだろ?」
「…………はい」
「西條、お前も内藤にあまりキツくあたるな。内藤が一生懸命なのはお前もわかってるだろ?」
「…………」
「とりあえず内藤はもうちょっとペース配分を考えろよ? いくら一次予選でインハイの標準記録を切ってても、二次で切らないとインハイには出られないんだからな。来年があるからって無茶をしていいわけじゃない」
「…………来年じゃダメなんだ」
内藤がうつむき加減で呟く。
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
「そうか? まあいいや。それと万里、今日練習が終わったらゴーグル買いに行くの付き合えよ」
「なんで俺が」
「いいじゃないか。どうせ暇なんだろ? 俺一人だと迷ってなかなか決められないからさ。な? 万里、頼むよ」
「…………仕方がないなあ。わかったよ」
嫌そうに言ってはいるが、西條の纏う空気からとげとげしさがなくなった。
「さあ、練習再開するぞ-。内藤も早くプールに入れよ」
稲木に促され、渋々内藤がプールに入ったところで練習が再開された。
「ねえ、西條くん。内藤のタイム、悪くないけどダメなの?」
「……悪くはないけど。あいつ、ちょっと飛ばしすぎなんだよ。ちょうど試合の日に合わせてコンディションをピークに持ってこないといけないのに、あれだと試合前にバテる」
「そういうものなんだ」
ただ練習で調子がいいからといって、 手放しで喜んでいいものでもないらしい。
(内藤、どうしたんだろう)
確かに熱心ではあるけど、あからさまに焦った様子を見せるだなんて内藤らしくない。
プールへ入っても変わらず憮然とした様子の内藤を見て、健太は首を傾げた。
その日の練習が終わり、部員らが帰る支度をしている横で、内藤だけは帰る気がないのか一向に着替える様子がない。
見かねた西條が、また午前中の練習の時のように内藤のところへ行こうとすると、稲木が西條の腕を掴んで止めた。
「有吾」
「ほら、万里。いい加減にしろ」
「だってあいつ、俺の言ってること全然わかってない」
「まあまあ。お前はすぐにカッとなるから。ちょっと落ち着け」
気の強い西條も稲木にだけは強く出れないらしい。
ここで待っておくようにと言われて、渋々その場に立ち止まった。
「内藤、まだ帰らないのか?」
「稲木さん」
「残って泳ぐのか」
「…………はい。泳いでないと落ち着かなくて」
「まあ、どうしてもっていうなら俺は止めないけど。さっきも言ったけど、強い選手になりたいなら、ただ泳ぐだけじゃダメだ。試合に向けてのコンディション作りも練習のひとつなんだ」
「はい」
稲木は苦笑いしながら、納得のいかない顔をしている内藤の頭をくしゃくしゃとかき混ぜた。
「それと今日は俺と万里は買い物に行くから、最後の戸締りは久米に頼んであるんだ。お前が練習するのは勝手だけど、その間ずっと久米を待たせておく気か?」
「えっ、それなら戸締りは俺が……」
「ダメだよ。これは部長である俺から直接マネージャーの久米に頼んだ仕事だから。なあ、久米?」
稲木から話を振られた健太が、大きく頷きながらプールの鍵を顔の横に掲げた。
「えっと、今日の戸締りは俺の役目なので。責任をもって最後まで残りますっ」
「よしよし。偉いな久米。内藤が練習したいそうだけど、待っててもらえるか?」
「あ……はい」
「うん? 久米、どうかしたのか?」
「いえ、その、今日は昼にみんなの練習タイムをパソコンに入力してて……」
「なんだ。昼メシは?」
「…………食べてないです」
「だそうだ、どうする内藤?」
稲木が人の悪い顔でにやりと笑う。
「あっ、でも昼抜きはよくあるから大丈夫だよ? 内藤が練習してる間くらいは待ってるから」
これは健太の本心だ。別に稲木から何かを言われたとかではなくて、内藤が練習したいのなら喜んで見学させてもらいたいとも思っている。
健太がそう言うと、内藤は頭の後ろを掻きながら大きく息を吐いた。
「……稲木さん、久米が昼メシ抜きなの知ってたでしょ。西條から聞いたんですか?」
「えっ? 何のこと? 俺、有吾に久米が昼食べてなくてお腹空かせてるから、早めに帰らせてやってとか言ってないけど」
「西條」
「えっ? なに、俺が昼ごはん食べなかったのがマズかった?」
三人の様子を見て稲木が笑いを堪えている。
「あー、もう。わかりました。今すぐ帰りますから、稲木さんたちはどうぞ買い物でも何でも行ってきてください」
「内藤、練習は? 俺のことなら気にしなくてもいいよ?」
「大丈夫だよ。試合前だし、練習量を抑えようと思ってたところだから」
「よく言う」
「西條っ」
「はいはい、それじゃあ内藤のお言葉に甘えて有吾と買い物に行ってきます。有吾、行こ?」
内藤が更衣室へ入ると、西條は稲木の腕を取った。
「稲木さん。戸締り、ちゃんとしておきますから」
「ああ。よろしく」
「じゃ、また明日な。邪魔者はさっさと消えるから。久米、頑張れ」
「さっ、西條くん!」
西條たちが出て行って、プールサイドに一人残された健太が西條の言った台詞を思い出して思わず赤面する。
(これって、内藤と二人きりだ)
今更ながら、そこに思い当たった健太がぎゅっとシャツの胸元を掴む。
内藤と二人きりになるのは合宿以来だ。そう考えると、いったい何を話せばいいのかもわからなくなる。
(…………内藤)
ふいに健太の脳裏に保健室での出来事が思い浮かんだ。
(わ、わ、なっ、何でこんな時に思い出すんだよ)
一旦、思い出してしまうと、あの時のドキドキした気持ちまで再現されてしまう。
健太は何とか頭の中のものを追い出そうと、ぷるぷると頭を振った。
「何やってんの?」
「…………ひゃっ! な、な、内藤っ?」
「そうだけど。久米、大丈夫か?」
「え、何がっ?」
「顔が赤いけど」
「そっ、そうかな? あ、きっとお腹空いてるからかもしれない」
慌てた様子の健太をしばらく見ていた内藤だったが、そうかと言って目を細めて笑うと、健太の手を取った。
「な、内藤っ?」
「なに?」
「え、あの…………」
繋いだ手と内藤の顔とに交互に目をやる健太のことを、内藤が可笑しそうに見ている。
「腹減ってるんだろ? 何か食べて帰ろう」
「あ、うん」
健太が頷くと、内藤は繋いだ手をきゅっと強く握った。
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