13

 一見元気そうに見える健太だが、本当はあまり無理ができない。今も定期的に病院へ通っているし、少し無理をするとすぐに体調を崩してしまう。


 今回、具合が悪くなったのも、熱中症というより合宿中に張り切りすぎたのが原因だ。

 余計な心配をかけたくなくてそのことを西條には言わなかったが、結局、西條だけでなく内藤や水泳部のみんなに迷惑をかけることになってしまった。


「久米、転校するのか?」

「うん」


 健太が水泳部に入部するのに両親から出された条件がふたつ。

 部活は夏休みが終わるまで。それも途中で少しでも体調に異変があれば、その時点で辞めること。そしてあとひとつは――――


「秋になったらアメリカの病院で治療を受けるんだ」


 声が震えないよう気をつけながら、健太は内藤の目をじっと見つめて告げた。


「え……転校って」

「うん。むこうの学校は秋から新学期が始まるから。本当は行きたくなかったんだけど」


 実は健太の病気は完治していない。

 数万人に一人と症例が少なく日本ではまだ治療法が進んでいないため、国内では症状の進行を抑えることしかできない。

 毎日を静かに過ごす分には日常生活にそれほど支障はないし、今までは健太もそれでいいと思っていた。


「あっちの病院の方が治療方法が進んでいて、ちゃんと治そうと思ったら、こっちの病院にかかるよりもいいんだって」

「でも、日本で治療を続けても普通に生活はできるんだろう? それなら――」

「そうなんだけど……」


 高校一年の夏、体育の授業で健太は初めて内藤が泳いでいるところを見た。

 まるで魚のように水中を自在に泳ぐ内藤の姿に健太は目が離せなくなった。それはとても綺麗で眩しくて、一瞬でも目を逸らすことが惜しくて、自分も同じように内藤の隣で泳いでみたいと思った。


「内藤と一緒に泳ぐのはさすがに無理だけど、少しでも長い時間近くで見てみたいと思ったんだ」

「久米?」

「六割、なんだって」


 堪えているが、どうしても溢れてくる涙が健太の瞳を潤す。


「このまま何もしないで三十歳まで生きていられる確率」


 内藤がひゅっと息を飲む。だけど、健太は構わず言葉を続けた。


「これが四十歳になると三割。そこまで長い間、内藤が泳いでいるのかはわからないけど、ただじっとおとなしく眺めているだけなのは嫌なんだ。何もせずにただ寝て起きて……って抜け殻みたいに過ごしていくだけなら、この先長くなくてもいいと思ってた。だけど内藤と出会って、できることなら少しでもたくさんの時間、内藤と同じ景色を見てたいと思ったんだ。だから……」


 言い終わる前に健太の体が内藤の腕に抱きしめられた。


「内藤?」

「久米……ごめん。だけど、少しだけこうさせて」


 健太の頬へ伝わる内藤の鼓動が早い。何故だかとても内藤のことが愛しくて、健太は内藤のことをきゅっと抱き返すと広い背中をそっと撫でた。


「大丈夫だよ。今すぐどうこうなるって訳じゃないし、夏休みが終わるまではどこにも行かないよ?」


 だから離して、と健太が内藤の胸元をやんわりと押しやる。

 そこにはこれまで健太が見たことのない、不安げな顔をした内藤がじっと健太のことを見つめていた。


「どのくらい、向こうにいるんだ?」

「……最低でも三年。俺の状態によってはあと何年かはかかるかもしれないけど」

「三年」


 内藤がぽつりと呟いた。


「ごめん。待っててなんて重いことは言わないからさ、夏の間だけでも側にいさせて欲しいんだ」


 ダメかな?と、健太が首を傾げる。

 本当は元気になって戻って来るまで内藤に待っていて欲しい。だけどそんな厚かましいことを内藤へ無理強いするなんて健太にはできない。健太と違って、のびのびと外の世界で活躍できる内藤を自分のわがままで縛りつけるような真似はしたくない。


(内藤のことだから、これから先、俺みたいなやつよりもっと素敵な人と出会うだろうし)


「久米……久米は待っていなくていいって言うけど、俺、お前が元気になって戻ってくるまで待ってる。それでさ、一緒に泳ごうよ。俺が久米に泳ぎ方、教えるから」


 内藤が健太の考えを見透かしたようにそう言って笑う。


「内藤、なんで……」


 なんでこう健太が欲しい言葉を内藤はくれるのだろうか。


「だって俺、久米の彼氏だろ? 好きなやつを途中で放り出すような真似しないよ? 久米、もっと俺にわがまま言ってよ。ちょっと頼りないかもしれないけど、久米から甘えてもらえるの嬉しいんだ」

「内藤」


 内藤が白い歯を見せて笑う。

 健太は思い切って目の前の大好きな人の胸に飛び込んだ。

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