12
健太と西條の二人が宿舎へ戻ってくると、ちょうど他の部員たちもプールから戻ってきたところで、健太の姿を見つけるとみんな口々に「大丈夫か?」と声をかけてくれた。
なかには健太の髪をくしゃくしゃと掻き回したり、肩へ腕を回していく者もいて、みんなに迷惑をかけて申し訳ないと思う一方、自分も水泳部の仲間として見てもらえているという嬉しさから、つい健太の顔に笑みが浮かぶ。
「久米、あんまり嬉しそうな顔しない方がいいよ」
西條が健太と腕を組みながら耳打ちした。
なんで?と健太が首を傾げると、だってほらと言って西條が指した先には少し不機嫌そうな内藤がいて、健太と目が合うとバツが悪そうに目を逸らせた。
「……俺、内藤になにかしたのかな」
内藤が健太に対してあんな態度をとるなんて。
自分でも気づかないうちに内藤へ何かしてしまったのだろうか。健太が戸惑ったように西條の腕を掴む。
西條は内藤の方をちらりと見ると「全く……どうしようもないな」と言って、ため息をついた。
「あーあ、もう。あいつも案外心が狭いよな。自分のものになった途端、これだから。久米はなにも悪くないから気にすんな」
「でも」
「内藤のあれ、ヤキモチだから。どうせ他のやつらが久米に触るのが面白くないんだろ」
「え? や、やき……えっ?」
健太の頬がポッと染まる。
内藤が自分相手にヤキモチを焼くなんて健太は考えてもいなかった。
だけどそれが本当ならすごく嬉しい。
(まさかとは思うけど、だけど……)
少しくらいは自惚れてみてもいいのだろうか。
「そ、そうなのかな。ヤキモチ、焼いてくれたのかな」
恥ずかしそうにそう呟くと、西條が「久米!」と叫んで健太に抱きついた。
「西條くんっ?」
「久米! もう、何なの? なんで久米そんなに可愛いんだ?」
「えっ、や、なに?」
「まじヤバい。ねえ久米、内藤なんかやめて俺と仲良くしない?」
「へ? 西條くんっ?」
健太に抱きつく西條の腕に力が入る。
一方の健太はどうしたらいいのかわからず、ただおろおろするだけだ。そんな様子も西條は可愛いと言って、さらに健太にぎゅうぎゅうと抱きついた。
「おい、お前らデキてんの?」
くっついている二人に誰かが声をかけた。
健太が声のした方へ顔を向けると、そこには同じ水泳部の斎藤がいて、ニヤニヤとからかうように笑っている。
「なに? 俺が久米と仲良くするのになんか文句でもあるのか?」
「別に文句はないけど?」
「ないけど、なんだよ」
キッと睨む西條を面白がるように斎藤が言葉を続ける。
「さっきも校庭の端っこで二人くっついてただろ。それでなくても普段からベタベタしてるし、お前らガチなの?」
「え、ちが……っ、西條くんとは友達で」
「友達どうしでそんな抱き合ったりするんだ」
いやに絡んでくる斎藤に健太が言葉を詰まらせる。
そのうち他の部員も集まり始めて、いつの間にか健太たちは数人の部員から囲まれるような形になってしまった。
斎藤とはとくに仲が良くないといったわけではない。それどころか、健太が一人で練習後のプールサイドの後片付けをしていると、いつの間にか現れて手伝ってくれたりしていた。
「斎藤くん」
どうしてそんなこと言うの?と健太が見つめると、斎藤が一瞬気まずそうな表情を見せる。
「おいおい、斎藤。もしかして俺が久米と仲良いからって焼いてんのか?」
「な……っ」
そう言われて怯む斎藤へ、今度は西條がニヤリとした笑みを向ける。
「俺、この間見たんだよね。お前、久米がプールサイドに忘れていったタオルをこっそり持って帰っただろ」
「…………えっ」
確かに数日前、健太はタオルをなくした。
部員数も多いし、みんな同じようなタオルを持っているので誰かが間違えて持っていってしまったのだろうと思っていたのだが。
健太が斎藤の方へ顔を向けると、斎藤は目のまわりをサッと赤く染めて健太から顔を背けた。
「タオルだけじゃないよな? 合宿の初日、俺と久米の部屋の前で……」
「…………わ、ちょっ、待て! 西條っ! 俺が言いすぎた、ほんとごめん。だからそれは、やめてくれっ!」
合宿の初日にいったいなにがあったんだろうか。斎藤が慌てて西條の言葉を遮った。西條がしてやったりといった風に、にんまりと笑う。
「ほんと、気になる子に意地悪するとか小学生かっての。いい? 他のやつらも、いくら久米が可愛いからってやたらと絡まないでよ! そういうの久米は慣れてないんだから」
わかってるよね?と言って西條が周りへ目を向けると、集まっていた部員らは一様に西條から目を逸らした。
「斎藤」
西條から名前を呼ばれて斎藤がびくりと肩を竦める。
「斎藤さあ、わかってるよね? また久米に変に絡むようなら、俺、マジで怒るよ?」
体格的には明らかに西條の方が小柄なのに、斎藤の方が小さく見える。
まるでヘビに睨まれたカエルのように西條の前で斎藤が固まっている。
「久米、行こうか」
「あ、うん。でも……」
健太が斎藤の方をちらりと見た。
ちょっとキツいことは言われたが、健太にはあれが斎藤の本心だとは思えない。今だって健太や西條へ言ってしまったことを後悔しているように見える。
「大丈夫だよ。ちょっと悪ふざけがすぎただけだから。なあ、斎藤?」
「あ、うん……ごめん久米。俺、言い過ぎた」
斎藤がすまなさそうに頭を下げる。
「な? 斎藤、マジで久米のこと意識してるから。俺とばかり一緒なのが面白くないんだって」
「えっ」
「……おい、西條!」
「あはは、斎藤、真っ赤だ」
焦る斎藤を尻目に西條が健太の手を引く。
健太は手を引かれながら振り返ると、斎藤にまた明日ねと言って手を振った。
健太と西條が部屋に戻ると、二人が使っている部屋のドアの前に内藤が立っていて、二人に気づくと少し気まずそうな顔を見せた。
「内藤」
「あ……久米。と、西條」
西條がわざとらしくため息をつく。
「なに?」
「や、さっきはごめん。それと西條も」
どうやら内藤は、さすがにさっきの健太への態度はマズかったと思ったようで、わざわざ先回りして健太のことを待っていたらしい。
「…………俺がついでみたいな感じだけど、まあいいや。あのさ内藤、ああいう時はお前が久米のこと助けてやらないとダメだろ? 斎藤と一緒になってヤキモチ焼いてどうすんの」
自分でもわかっているのだろう、内藤が黙って西條の言うことを聞いている。
「本人全然自覚ないけど、部員の中で久米のこと狙ってるやつ結構いるんだよ」
「へ?」
西條の台詞に健太が目を瞠った。
「えっ? なに? 西條くん、どういうこと?」
「ほら。こういうとこ。わかってる? 内藤、お前はもちろんだろうけど、俺から見ても久米って可愛いから。自分のだと思ってぼけっとしてると足元掬われるぞ」
神妙な様子の内藤へ西條がさらに続ける。
「それに久米だってずっと水泳部にいるわけじゃないんだし、今のうちにしっかり捕まえとかないとダメだろ?」
「さ、西條くん!」
それまでおとなしく話を聞いていた内藤だったが、西條の言ったひと言に目を見開いた。
「久米、部活辞めるのか?」
「そうだよ。今年の夏が終わったら……って、あ。久米、まだ言ってなかったっけ」
「西條くん」
ごめん、と健太へ目配せする西條を見て内藤の表情が険しいものになる。
「久米」
内藤から呼ばれて健太がおずおずと頷いた。
「西條は知ってたのか?」
「うん。だけど黙ってるつもりはなかったんだ。西條くんは同じマネージャーだから知ってただけで、俺、内藤にもちゃんと言うつもりだったし」
「だけど俺、今それを西條から聞いたんだけど」
心なし内藤の口調がきつい。すっかり萎縮してしまい、口を噤む健太を見かねて西條が間に入る。
「内藤、それは俺がうっかり喋ってしまっただけで、久米はちゃんと自分でお前に言うつもりで……」
「悪い。西條、ちょっと黙っててくれないか。久米と話したいんだ」
内藤が本気で言っているのが伝わったのか、西條はそれ以上口を挟むことはせず、先に部屋へと戻って行った。宿舎の廊下に健と内藤の二人が残る。
相変わらず不機嫌そうに眉を寄せている内藤を前に、健太は何から話せばいいのかわからなくなってしまった。
顔を合わせるのもなんだか気まずくて、健太は内藤から目を背けるように顔を俯けた。
(どうしよう。部活を辞めるって、俺がさっさと言わなかったから内藤は怒ってるんだ)
両親との約束で、健太が水泳部のマネージャーとしていられるのは今年の夏が終わるまでという期限つきだ。これは最初からわかっていたことだ。
だけど部活を通して内藤と接しているうちに、そのことを健太はだんだんと言い出しづらくなってしまった。
それに水泳部のマネージャーが実は期限つきだったことを言わなかっただけで、まさかこんなに内藤の機嫌を損ねるとは健太は思っていなかった。
「あのさ、内藤」
健太にはまだ内藤にも西條にも言っていないことがある。
これ以上内藤へ隠し事はしたくない。そう思った健太は、ひと呼吸置くと思い切って顔を上げた。
「俺、この夏休みが終わったら学校変わるんだ」
健太の言葉を聞いた内藤が目を瞠った。
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