水泳部の夏の合宿が始まった。

 健太の学校の水泳部は練習が厳しいことで有名で、合宿中は朝昼夕と一日に三回も練習がある。

 マネージャーである健太も選手のタイムを計るなどの練習の手伝いだけではなく、合宿中の食事の手配や宿舎の後片付けなど朝から晩まで目の回るような忙しさだ。


「今年は久米がいて良かった。すごく助かってる」


 昼食用の弁当に部員の名前が書かれた付箋を貼りつけながら、健太と同じマネージャーの西條万里(さいじょうまさと)が言った。


「去年は俺ひとりだったし、ほんと大変だったんだ。まあその分、みんなが手伝ってくれたけどね」


 西條が悪戯っぽく笑って肩を竦める。


「うちはマネージャーも大変だから、なかなか続かないんだよね」


 健太と同じ二年の西條は高校入学当初からマネージャーをしている。

 今年は最初、一年生のマネージャーだけで四人もいたが、部内での仕事のキツさから夏を待たずに西條以外みんな辞めてしまったそうだ。

 健太はその後に入部したので、実をいうと入部したばかりの頃、マネージャーは最初から西條ひとりだと思っていた。


「西條くんは本当に水泳が好きなんだ」

「そうかな? そうでもないけど。それに本当に好きならマネージャーじゃなくて選手として入部するよ」

「…………」

「俺はね、稲木に誘われたんだ」

「稲木……キャプテン?」

「うん。稲木ん家、俺の家の隣なんだ。あいつとは赤ん坊の頃からの付き合い。腐れ縁ってやつ?」


 そう言いながら西條が次々と弁当に付箋を貼りつけていく。


(えっと……からあげ弁当は……)


 ずらりと並べられた弁当を前に健太の手が止まる。


「久米。からあげ弁当は柳井でハンバーグは三井」

「あ、うん」


 昼の弁当は部員が各々好みのものを注文するため、誰が何の弁当を注文したのかがわかっていない健太はついオロオロしてしまう。


「西條くんはすごいね。みんなのお弁当の注文、全部覚えてるんだ」


 水泳部は一年から三年まで全部合わせると、総勢四十七人の大所帯だ。昼食の弁当ひとつとってもかなりの数になる。


「そんなことないよ。だいたいみんな同じような弁当ばっかり注文するし、何回もやってたら嫌でも覚える」


 そう言って明るく笑うと、西條は健太のそばに置いてあった弁当の注文リストを手に取った。


「とりあえずこの通りにすれば大丈夫」

「うん」

「ところで久米は? なんで水泳部?」

「俺は……内藤、に……憧れて」

「内藤?」

「うん。あ、あっ、でも変な意味じゃなくて! 泳いでるところがきれいだなって、思って……それで」


 真っ赤になりながらも、西條から変に思われないよう必死で言い繕う健太の様子を見て西條がくすりと笑った。


「さ、西條くんっ」


 すっかり止まってしまった健太の手から西條が付箋を取り上げる。


「うん……そうだな。内藤のフォーム、すごくきれいだもんな。俺もあんな風に泳げたらって憧れる」

「西條くん?」


 西條が付箋を貼り終えた弁当を健太に手渡す。


「俺、中学まで水泳やってたんだ。だけどどれだけ練習したってタイムも背も伸びないし、中学で辞めた。俺も内藤の泳ぎ方すごくきれいだと思うよ。あ、でもこれは稲木には内緒な。あんまり他のやつを褒めるとすぐ拗ねるんだ、あいつ」


 幼なじみの気安さからか、一学年先輩の稲木をあいつ呼ばわりする西條。そんな二人の関係を健太はちょっぴり羨ましく思う。


「久米は水泳やってた?」

「ううん。俺は……小さい頃から入院することが多くて、プールには入ったこともないんだ」

「そっか。ならよけいに憧れるよな……よし、できた! 久米、そっちの箱運んで」

「あ、うん」


 すべての弁当に付箋を貼ってしまうと、西條は弁当を入れた段ボール箱を持ち上げた。健太にはさりげなく軽い方の箱を持つように言う。


「さっきの、内藤に言ってみたら?」

「さっきのって?」

「内藤に憧れて……っていうの。久米からそう言われたらすごく喜ぶと思う。単純だからな、内藤」


 調子に乗ってタイムが上がるかも。などと冗談めかして言う西條を横目に、実はもう言ったんだけど、とは西條には恥ずかしくて言えず、健太はあいまいに頷いた。


「おっ。お疲れ」

「有吾!」

「あ、稲木さん。お疲れさまです」

「朝から大変だな。それと万里、有吾じゃなくて稲木さん、だろう? 家じゃないんだから、その辺はきちんとしないとダメだ」

「……わかったよ。有……じゃなくて稲木、先輩」

「…………っ」


 気のせいか、西條から上目使いで「先輩」と呼ばれた稲木の目が泳いでいる。

 健太に向けて悪戯が成功した子どものようににやっと笑う西條。健太はそれにどう返せばいいのかわからず、とりあえずニコリと微笑んだ。


「久米ってかわいい」

「えっ?」

「稲木せんぱーい! これ重いから手伝って」


 西條は稲木の手に自分の持っている段ボール箱を押し付けると、健太が持つ箱をひょいと取り上げた。


「え、西條くん?」

「いいのいいの。こういうのは力があるやつから順番に持てばいいんだから」

「西條くん、それって何気に酷くない?」

「そう? だけど俺の方が久米より力持ちだと思うけど」


 拗ねる健太を西條が楽しそうにからかう。

 西條とは水泳部に入って初めて話すようになったが、健太と西條はクラスも同じで何かと一緒に行動することが多い。そのため、今では学校で一番仲のいい友人だ。


「こら、そこの女子二人! さっさとしないと先に行くぞ!」

「女子だって? 有吾が一番酷い!」

「稲木先輩だろ? 全く……」


 健太と西條の二人へ呆れたように声をかけ、そのまま先を行く稲木の背中を西條が追いかける。

 自分もあんな風に内藤とできたらいいのにと二人の様子を健太は羨ましそうに眺めた。

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