第4話 〇〇〇と〇○○〇〇

「あー、うまかった!」


 と腹鼓を打った男にとって、このもてなしは満更でもなかった。

 一人暮らしでは味わえない、久しぶりの家庭料理――。


「あー、よかった! 来ることがわかってれば、もっとおいしいものがつくれたのにね。ごめなさい!」


 しかし、女にしても満更ではなかった。

 それは家庭料理を褒めてもらったことに対してではなく、

 結婚相談所を通じて紹介された男にしてはイケメン、という意味で満更でもなかったのだ。


 二人はデザートのアイスクリームを食べながら、

「実は、近くに大学の友人が住んでいるんだ。で、久しぶりに逢って驚いたね!」

 と男が、突然やってきた言い訳をかねて話し出した。


「え、どうして?」

 女は唇についたクリームを長い舌で拭う。(これはわざとである。舌の長さと動きをアピールする)

「それがさあ、もう正面からは生え際が見えないんだよ」

 掌を額にあてがって、富士額を見せる。(これもわざである)

「あらあら……」

 言いながら、スプーンでひと匙すくって口へ持っていく。

「しかし、しかたないさ。もう上の子供が中学生なんだって……。で、ボクはいまだに独身だしね」

 プロポーズをしてもいいのだが、やっぱり“アレ”は肝心だ。

“アレの不一致”は家庭崩壊の素になる。


 話しながらも、男は時間を計っている。

 ころあいの時間に、ころあいの言葉。 

 そのために、わざと電車で来たのである。

 片道2時間はかかるところへ。

 無理からに友人を拵えて、実地に足を運んでシュミレーションまでした。

 もちろん額の禿げ上がった友人は、男のイメージだ。


「さーてと、帰るかな~」

 男は、帰らないよ~、という意味で語尾を引っ張った。

「あら、もうそんな時間?」

 女だって時間を計っていた。


 結婚を前提として付き合う男が部屋に訪ねて来たのである。

 そして、家庭料理でもてなしたのなら……。

 もう、決まっている。


 ここで拒絶すれば、この話はご破産になってしまうだろう。

 女はそれも承知である。


 いっそ今夜、決着をつければ後々が楽である。

 そう、思ってそれなりの仕草も試みてきた。

 だから後は、体の味を教えるだけで結婚への主導権を握ることが出来るのだ。


「もう、遅いわよ。泊まっていって、ね……」


 これでいいのである。

 女もそのつもりだった。


 ところが急に、体の調子が思わしくなくなった。

 それこそ徐々にではなく、急にである。

 どうやら月に一度のものが始まったのか……。


 目頭がジーンとしてくる。

 体中がポッポと火照ってくる。


 男と会話することもうざったくなってきた。


「ごめん! 今日は帰って……。お願いだから!」

 女は片頬に掌をあてがい、もう片ほうの手で男の背中を促す。


 男にしても、その豹変振りには驚かされたが、女の真剣さにはあらがえない。

 ここで無理やり押さえ込んだとしてもそれきりになるだろう。

 それよりも、この状態を鑑みれば女に突発的な事態が発生したことは明白だ。

 男も結婚を前提としている。


「ああ、帰るよ。でも、どうしたんだよ?」

 言いながらも、背中を押す女の掌が非常に熱いのが感じられる。


「ちょっと、具合が……」

 女は顔を上げない、下を向いたままである。


「うん。じゃあ、クスリでも買ってこようか……」

 玄関で靴を履きながら言うも、返事はない。

 一歩外に出て振り返った時には、もうドアは閉まっていた。

 

 男を帰らせた女は寝室へ飛び込んだ。

 6畳の洋室には大きすぎるセミダブルのベッド……、

 一瞬、人の形で沈み込んでからゆっくりと全身を包み込む。


 窓にひいたレースのカーテンをすかして黄白い光が差し込んでいる。

 ベッドの上を這うようにして、女は窓辺にいざリ寄った。


 蒼い、いやまさに黄色い満月が妖しい光を降りそそいでいる。

 ベッドにひざまずいて、女はブラウスを脱いだ。

 そして、黒のブラジャーもとる。


 あの男の、一つの掌では覆い切れないほどのたおやかな乳房がまろびでる。

 それでも火照った体の熱はおさまらない。


「ウ、ウウウッ……」

 口から漏れる言葉は意味不明で、獣の唸り声に近い。


 女は月の光を浴びながらベッドの上に四つん這いになり、猫のように体を反らせた。

 両腕の血管が見る見る浮き上がっていく。


 苦しそうな顔の輪郭がぼやけてくると、表皮の内側で肉が蠢き出した。

 口がどんどんすぼまっていく。

 頬が、異様に隆起していく。


 電気の消えた部屋の中で、女は月光を浴びながら変体を遂げようとしていた。

 月に一度、満月の夜の変体だ――。

 だれも知らない。

 ただ、部屋の隅のドレッサーだけが一部始終を映し出している。




「いったいどうなってんだ?」

 階段を降りながら男は呟いた。


 あの歓待ぶりや、思わせぶりな仕草を見れば誰だって100%出来ると思うだろう……。

 なんか、逆に損した気分である。

 男はポケットからムードンコの包みを取り出すとマンションの植え込みへむかって投げ捨てた。


「まったくションベンくらいしてくりゃよかったぜ!」

 男は、辻の電信柱の陰で立小便をした。

 ふと、マンションを見るとカーテンが揺れている。

 ということは……窓が開いているんだ。


 その部屋は2階で、まさしく女の部屋だった。

 いま降りてきた外付けの螺旋階段の、安全柵の外側を逆に上っていけばよいのだ。

 せいぜい3、4メートルの高さである。

 ベランダへは1メートルほどあるが、その間に配水管がある。

「よっしゃ! やったろうやないか!」


 ションベンはもう済んでいたのだが、考えながら指先でもてあそんでいたものだから、所定の位置に戻すのに一苦労した。

 もちろん、階段を上る前にムードンコを探したのは言うまでもない。


 しかし、考えていた以上にうまくいった。

「耐震構造も重要だが、防犯構造も重要だよな」

 男はベランダの鉄柵に手をかけながら呟く。


 LDKは電気がついていた。

 中を覗くとさっき男がいた状態のままである。

 ここの掃きだし窓が閉まっているのは、男がベランダに出てから戻って閉めたので確実である。


 問題はその並びの寝室。

 窓は1メートルほどの高さにある。

 男は足を忍ばせて近づいていった。


 ところが、寝室の窓の下にはベランダがなかった。

 てっきりあるものとはやとちりしたのだ。


 しかし、ここで諦めては申し訳ない。(って、だれに?)

 男はベランダの手摺の上に立ち、バランスをとりながら窓のほうへ顔を近づけていく。

「うっ、もう少し、もうちょっとや……」

 まるでヤモリのように体を壁に張りつけて、伸び上がるように中の様子を覗いてみる。


 しかし、電気は点いてないのでなにも見えない。

 むしろ男の方が、中からはよく見えるだろう。


 部屋の隅のドレッサーに男の顔が映っている。

 必死に覗き込もうとする男の顔は、非常にアンバランスである。

 顔を歪めてまで見ようとするものだから、片目はパッチリとどんぐり眼でもう片一方は糸である。

 鼻も口も右上に引っ張られるように見えるのは、ガラスに顔をへばりつけているからだろうが、まるで男は「ひょっとこ」である。


 どうしても窓ガラス越しでは見えにくい。

 レースのカーテンが邪魔をする。


 男は手を伸ばした。

 背筋をいっぱいに伸ばした。

 窓ガラスの端に指をかけゆっくりと引く。


 体が入るくらいに開いたら、窓枠にぶら下がってから転がり込む。

 その計算だったが、少し強いめの風が吹き、大きくカーテンが翻った。

 顔をなぶられ手元がくるった、いや足元もだ。


 手と足が同時に支えを失った。

 男が地上とのすべてのかかわりを失くした一瞬、部屋の中の女の姿が目に入った。


 なんと……。

 なんと女の顔は見る影もなかった。


 妖しい月の光を受けながら、女は上半身裸で踊っていた。

 大きな乳房を揺らせながら、女は「おかめ」の顔で踊っていた。


                                      (おわり)


 だからタイトルは「おかめとひょっとこ」です。


                              <了>

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