第17話 4−2: 第221日
このところ、本を処分しようかと考えている。
実は、古書店に買い取りを頼もうと思い、さっき見に来てもらった。だが、一通り書架を眺め、また写真を撮った後で言われたのはこういうことだった。
「いまどき、こういう本はねぇ。仲間内でもやりとりはまずありませんよ」
「買い取りは難しいかな」
「買い取って欲しいって言われれば、買い取りますよ。でも金額は期待しないでください」
「だいたいどれくらいになるかな」
「まだ査定までしたわけじゃありませんから、はっきりとは言えませんが。まぁ、ちょっと良い喫茶店でコーヒーを何杯かってところかな」
つまり、これだけの分量はあっても、買い取り価格としては一冊の購入分くらいということか。
「ちょっと考えさせてもらってもいいかな」
「えぇ。その時にはまた連絡を下さい。今、撮った写真で確認しときますよ。値がつきそうなものがあったら、その分はちゃんと乗せますから」
古書店の男は玄関から出る時に、帽子をかぶると足を止めて言った。
「このところ思っているんですけどね」
何かと思い、男の目を見た。
「こういう本は持ち主がちゃんと持っている方がいいじゃないかなって」
「持っていてもなぁ」
「そうかもしれませんけどね。さっき、仲間内でもやりとりはまずないって言いましたよね」
あぁ、そんな事を言っていたか。
「何でだと思います?」
「いや、何でだろうな」
男は帽子を少し上げた。
「もう使っていないんですよ。だから、学生からも出てこないし買わない。そして、図書館ももうこういうのは放出済み。古書市場にあるけれど、求める人がいない。だから値がつかないんです」
「そうなのか」
そこで古書店の男は笑った。笑顔というわけでもなく、何かを企んでいるような。
「それで、実は考えていたことがあるんです」
「何を?」
「さっきお客さんの本を見て、やっぱりやった方がいいかなと思えたんですよ」
「だから、何を?」
男は帽子を少し下げた。秘密の話だと言うように。
「図書館を」
「図書館?」
「えぇ。図書館を作ろうかと思っているんです。まぁ、そうは言ってもただのうちの倉庫ですけどね」
「図書館か」
「お客さんがあれを売ってくれるなら、かなり上乗せするか、会員権や利用料を永久に無料にしてもいいですよ」
「図書館が金を取るのか?」
そこで男はまた笑った。今度は明るく。
「私設ですからね」
「なるほど。考えさせてくれ」
そこで男は会釈をすると、帰って行った。
* * * *
なぜ蔵書を売ろうと思ったのかは簡単な話だった。
いつの頃からか、修士レベルの本の内容の理解が困難になった。一旦は理解できたように思えることもある。だが、いつのまにかそれは頭から消えていた。
そして最近のことだが、学部レベルの本の内容も、理解するのが困難になって来た。一冊の本を昼も夜も繰り返し読み続けたことがある。たった一章だけを読み続け、演習問題を解こうとし続けたこともある。
だが、正直に言えば無駄だった。一日も経てば、あるいは数時間も経てば、理解したと思っていたことは消えていた。
それなら、持っていてもしょうがない。一部屋を占めているただのゴミだ。それなら、売れるなら売った方がいいと思った。
だが、古書店の男は面白いことを言っていた。図書館か。
あの男は何をしようと考えているのだろう。そんな図書館を作ったとして、誰が利用するのだろう。
それとも、それはあの男の執念か、それとも習性のようなものから来る発想なのだろうか。
それなら、少しは理解できるようにも思う。売ろうと思ったのは簡単な話だったが、古書店に連絡するまでにはやはり悩んだ。それは、ただ「それらがある」ことが与えてくれる、安心のようなものからでもあった。あるいはただの執着なのかもしれない。持っていても使いもしないのに。
「図書館」
私は呟いた。
馬鹿げた考えに思える。こんなような本の図書館。あの男が満足し、贈った人が満足するだけの図書館。使われることなく、蔵書があるだけの図書館。たぶんそうなるだろう。
どこかで、そういう話を読んだことがあるように思った。机の上に残っていた本を何冊かめくり、その本を見付けた。
だが、この図書館には、司書も修道士もいない。
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