第13話 3−3: 第-5日

「5日後に、あなたへの補助脳の種の埋込みを行ないます。当日は研究所の自室にて待機をお願いいたします。また、興味がおありでしたら、こちらをお試しください」


 届いたメッセージにはそう書かれていた。とくにこれと言って思うこともない。ただ、その日が来るというだけだった。

 ただ、「興味がおありでしたら」という文言には興味が惹かれた。何かと思い、その先を見ると、知能テストのサイトだった。二年ほど前から話題になり、今でもたまに目にするサイトだった。

 そういうことなら、「興味がおあり」ではない。というのも、中学校と高等学校で行なわれたテストの結果を知っているからだ。中学校での結果は、父親が後に教頭として赴任した時に、保管してあった結果を見ていた。勉強しろとさんざん言われたので、こちらもいろいろと言ったところ、知能テストの結果はこうなのにとボヤいた。高等学校の時のものは、地域の教員のネットワークなど小さいものだ。誰々の子だからというだけでテスト後の面談で担任がポロっとこぼした。何にせよ、145+。どちらもそういう結果だった。結果だったらしい。普通だ。

 さて、義務化以降、このテストは正規化に合わせて何らかの手を入れているのだろうか。つまり、誰もが100近くになるようになっているのか、それともむしろ小さい差を大きく見せるようになっているのか。100に近くなるのだとしたら、それは人々が選んだ正しさに基づく処理であり、人々が正しいと認識していることを確認する方法となり、人々に安心を与えるだろう。あるいは差が大きくなるようにしているとしたら、正規化の後ではあっても何らかの優劣を感じるための一つの要素として、そしてそれはまた別の安心を感じるためのものとして機能するだろう。きちんと計算するにせよしないにせよ、母集団の変動によって、結果に影響が現われるはずだ。経年劣化はともかくあるだろうが、数値としてのサンプルはここにある。それが信頼できるとしてだが。

 その点において、興味が湧いた。そこでテストを試してみた。

 結果は130++というものだった。結果に現われた注意によると、一定の信頼性を持って出てくる結果は130までであり、それ以上の可能性がある場合、+、ないし++と表示されるとのことだった。

 ということは、義務化前の、いや、それよりさらに前の母集団からの計算を持ち、使っているのかもしれない。

 義務化後、とくにここ150日くらいのネット上の反応を見てみた。だが、どうも傾向はわからなかった。

 正規化前に107から115だった人は、とくに変化を感じないと仮定するとしても、115から130に該当した人は、あるいはそれより高かった人は、変化を感じていないのだろうか。つまり、10%+の人々から、何かしらの変化の感想がネットにあってもおかしくないはずだ。もちろん、それ以外の人々の声が大きいということもあるのかもしれない。だとしても、そういう人々は声を潜めているのだろうか。それは正しいと認めたゆえだろうか。それとも、ただ何かを述べたいとは思わないのだろうか。あるいは、このような単純な要因だけでは、これといった変化はとくに感じられないというだけなのだろうか。

 変化があるのか、それともないのか。ここにサンプルがある。私は、私にとっての認識の普通は、一般にも普通であると感じている。だが、それは一般に普通なのだろうか。正直に言えば、今の私の何かが普通ではないとしても、私はそれを普通ではないとは認識していない。つまり、「普通」というものの変化を目を凝らして見ることはできない。日誌を続けても、そうと気付いたことと時にしか、その「普通」の違いを知ることはできないだろう。その違いがあるとしてだが。

 絶望ではなかった。落ち着いていた。だが、それは空虚であったのかもしれない。そこに、興味というものが芽を出した。この興味は、希望でもなんでもなかった。ただ、足を着ける場所だ。空虚だったとしても、それを満たす足場が見付かった。

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