第25話 ぶつかり合う想い

「ハルカ……なのか分からないケド、とにかく、それ以上はもうやめるネー!」


 リアさんの焦り切った声が聞こえる。でも、その声はどことなくフィルターがかかったかのようにぼんやりとした音となって私の耳に届いていた。

 状況が把握できなかった。耳には数名の人達の声が聞こえている。しかし、それらをはっきりとは知覚できないでいた。それに加え、この目は薄ぼんやりとした光しか感知できていなかった。抗わなければ、すぐにでも瞼が完全に落ちてしまいそうになるほどの眠気に襲われる。それでも私は、完全に意識を閉じることに抵抗した。そして、しばらくするとようやくこの目がしっかりと光を捉えられる様になっていった。


 瞬間、私は驚愕した。なぜなら、私のものと思しき腕がセレスティアさんの胸倉をつかみ、右手一本で彼女の身体を持ちあげていたからだ。

 一体どうしてこんな真似をしているの!? 早く、早くセレスティアさんを降ろしてあげないと!

 しかし、焦る気持ちとは裏腹に、この腕は微動だにしてくれなかった。

 掴まれて辛そうな表情のセレスティアさん。必死にそれを降ろそうとしているリアさんら親衛隊の人達。そして、


「また会ったわね、あんた」


 まるで他人を見るような視線でこちらを見つめているあおいの姿があった。

 「あおい、どうしたの?」。私はそう尋ねるつもりだった。でも、実際に私の口から発せられたのは、それとは全然違う言葉だった。


『まぁ、アオイ。また会えて嬉しいわ』


 それはどうやら私の言葉ではなく、さっき頭の中で話しかけてきたレイさん? という人の言葉らしかった。不思議な感覚だった。だって、私にはしっかり意識があるのに、私の身体の支配権が私にはないなんて、そんなこと当たり前だけど初めての経験だったからだ。


「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないでしょうに……。もうそれくらいにしたら? 気持ちは分かるけど、そんなことしたってそいつには遥の気持ちは分からないわ」

『ふっ、やっぱりあなたはハルカの心強い味方のようね。流石、ハルカは俺の嫁と豪語するだけのことはあるわ』

「そ、そんなことあおいは言ってない!」


 レイさんの言葉に顔を真っ赤にさせて動揺するあおい。言ってる場合じゃなけど、相変わらず焦っているあおいは可愛い。


「そんなことより! 早くそいつ降ろしなさい! 遥の身体を使って好き勝手なことをするのはやめて!」

『……アオイがそう言うのなら仕方ないわ、降ろしてあげる』


 レイさんは一度キツい視線をセレスティアさんに向ける。それを見て、彼女は「ひっ」と一度身体を震わせた。そして、レイさんは乱暴に彼女を地面へと落とした。

 倒れこむセレスティアさん。彼女はすぐに起き上がれず、そのまま地面に突っ伏してしまった。そして、その状態のままこう言った。


「やはり私が、あなたをここまで追い詰めてしまったのですか……?」

『そうね。でも、それはあなたに限ったことじゃない。カミラ・ブラッドフォード、あなたもそういう意味じゃ同罪ね。それに、他の人たちも。少しでもあなたたちがハルカの心に寄り添っていれば、あたしが出てくる必要はなかったでしょうにね』

「な、なぜ、私の名前が出てくるのでしょうか?」


 突然名指しされたカミラさんが不服そうにそう言った。


『「どうして?」とわざわざ聞かないと分からないの? なら、敵に対して最後の刃を振るうことができない彼女の苦悩など、あなたには一生理解できないでしょうね。それともなに? あなたは最初から簡単に敵を殺せたの? 一ミリの躊躇いもなかったの? 少しの心の葛藤もなかったの? ないのなら、あなたは異常者よ。根っからの人殺しよ。天職に巡り会えてよかったわね』

「そ、そこまで言われる筋合いはありません! 私だって、初めての実戦では、苦悩しましたわ……」

『苦悩したのなら、どうしてハルカに対してそれをフォローすることが言えないの? あなたは何様? 経験が長ければ偉いの? 上の立場からか弱い女の子を虐めて楽しいの?』

「ちょっと、もうその辺にしておきなさい。これ以上やると収拾つかなくなるから」


 ヒートアップしているレイさんを制するあおい。でも、当のあおいも決して冷静である様には見えなかった。あおいは倒れたままのセレスティアさんの元に向かい、しゃがみ込んだ。


「アオイ……」

「あおいはね、あんたのこと少しは信用していたの。あんたなら、遥のために涙を流せるあんたなら、きっとあの子の心の支えになってくれると思った。だからあおいは遥から離れる覚悟を決めたの。でも、結果はこのザマ。遥の心を傷つけるだけ傷つけ、あおいが来た時にはもう、あの子の心は限界を超えていた……」


 あおいの頬を雫が伝う。


「ねえ、どうしてよ? どうして遥に寄りそってくれなかったの……?」


 あおいの問い掛けにセレスティアさんは応えられない。ああ、いつから私と彼女との距離はここまで開いてしまったんだろう? 初めて出会った時、私はこの人ときっと心を通じ合わせることができると思っていたんだ。でも、気付いたらセレスティアさんと私はすれ違っていた。いつの間にか、彼女はこの世界でとても遠い存在になってしまっていたんだ。


「ねえ、黙ってないで応えてよ……。そうじゃないと、あおいは……」

「そんなつもりでは、なかったんです……」

「じゃあ、どういうつもりだったのよ……?」

「ハルカを追い詰めるつもりではなかったんです……。厳しく接したのは、彼女と本気でぶつかり合いたかったからです。私が本音をぶつければ、きっと彼女も私に本音をぶつけてくれると思ったんです。ですが、それは私の驕おごりでした……。ハルカは優しくて、調和を大事にする。本音を言いたくても、それが私を傷つけることなら言わない。それを分かっていながら、ハルカに私の勝手な思い込みを押しつけてしまった……」


 言葉を紡ぎながらも、セレスティアさんの目はすっかり赤くなっていた。


「分かってたんなら、なんでこんなことになるのよ、バカ……」

「分かりません……。もう、私自身も、自分のやっていたことが、分からなくなってしまいました……」

「ふん! だったら尚更、そんな人に遥を預けることなんてできないわ。悪いけど、このまま遥を連れて、元の世界に帰らせてもらうわよ」


 そう吐き捨てて立ちあがろうとするあおい。しかし、それをセレスティアさんが制した。


「待ってください! それは、それだけはやめてください! ハルカはこの世界の唯一の希望なんです。ハルカなしで、この国の平和は守れない……。だからどうか、彼女のことは連れて行かないでください!」


 必死にすがりつくセレスティアさん。それに対し、すかさずあおいが切り返す。


「その唯一の希望を打ち砕いたのはどこの誰? あんたはどこまで自分勝手なの? これはあんたの自業自得よ。遥は優しいから、あんたの土下座でも見れば残るとか言いそうだけど、あおいは絶対認めない。あおいは、遥のお母さんから遥を守ってほしいって言われているの。だから、あおいは遥を守る。あんたたちの勝手にはさせない!」


 お母さん……。お母さんがあおいにそんなことを言っていたなんて……。


「確かに、今回は全て、私の責任です……。でも、これからは、もっと彼女の心に寄りそいます! 私にやれることがあるならなんだってやります! だからどうか、ハルカを、私たちから奪わないでください!」

「わ、ワタシからもお願いネ! 確かにワタシも、セレスティアはやり過ぎと思ってたヨ。でも、それを見てるだけで、止めなかったワタシだって同罪ネ。これからは、みんなでハルカのことは守るネ。だからどうか、もう一度ワタシたちにchanceを下さいネ!」


 リアさんも普段の様子からは想像もつかないような深刻な表情で懇願する。

 私の知る限り、あおいは結構情に厚いところがある。本気で頭を下げている二人を前に、その想いを完全に無視することはできないんじゃないだろうか……。


「………………」


 あおいは答えない。どうやらあおいは考えを巡らせているらしかった。何かを言おうと口を開きかけるが、声にはならずに口を閉じてしまう。そんなことを彼女はしばらく繰り返していた。そしてようやく、彼女は絞り出すようにこう言った。


「こ、これでもあおいは、あんたたちと違って鬼じゃない……。だから、あんたたちのお願いを完全に無視するつもりはない……。でも、かといって、無条件に話を聞いてあげるつもりもないわ……」

「それなら、一体どうすれば……?」

「……セレスティア、あんた、あおいと戦いなさい」


 それは二人にとって、いや、私にとっても予想外の提案だった。


「な、なんですって……? 申し訳ないのですがアオイ、今の言葉、もう一度おっしゃっていただいてよろしいですか……?」

「だーかーらー! あおいと勝負しろって言ってんの! もしあんたがあおいに勝てたら遥は連れて帰らないであげるわ! でも逆にあんたがあおいに負けたら遥は連れて帰る! それで文句ないでしょ!?」


 恥ずかしいのかやけっぱちなのか、あおいは顔を真っ赤にさせてそう言い放った。

 正直なことを言ってしまうと、なんでセレスティアさんがあおいと勝負しなくちゃいけないのかはよく分からなかったりする。でも、これはもうすでに理屈の問題じゃないんだと思う。あおいはきっと、私の身を案じてくれている半面、この世界の人達を簡単に見殺しにすることもできないという葛藤の中でこの方法を捻り出したんだ。だとしたら、私はあおいのこの提案を受け入れるより他にないと思う。だって、私自身明確な答を導き出せそうにないからだ。


 全く意識していなかったけど、いや、努めて意識しないようにしていたんだけど、多分私はかなり無理をしていたんだと思う。例え後ろで私を支えてくれる人がいなくとも、私はここで戦い抜くつもりだったんだ。でも、それはただの強がりでしかなかった。人が独りでできることは限られる。それに、孤独の中で過酷な戦いを生き抜くような強い精神力は、残念ながら私は持ち合わせていなかったんだ。


 セレスティアさんはセレスティアさんなりに、私がこの世界で生き抜けるように鍛えていてくれていたんだ。だから私は彼女を責めるつもりはない。

 でも、私の心の強さでは、独りだけでみんなが期待する様な活躍は、正直できないと思う……。それでもこの世界に勇者として召喚されたからには、私はこの世界を救いたい。心に不安は抱えているけど、皆が支えてくれるのならできるかもしれない。だから、セレスティアさんが本気であおいと戦ってくれるのなら、私は心からそうしてほしいと思う。それくらい私を必要としてくれるのなら、私はまた頑張れると思うから……。


「セレスティア、どうするネ……? まさか、こんな無茶な提案に乗るつもりデスか?」

「確かに、無茶な話です……。しかし、もし我々がアオイの提案を無視したら、ハルカは、この世界から……」

「でも、セレスティアの今の体力で大丈夫デスか? アオイの力のほどは分からないケド、本当に勝てるのデスか?」


 リアさんは心配そうに尋ねる。実際セレスティアさんと戦ってみて感じてはいたけれど、彼女の昔の怪我の後遺症はやはり思ったよりも厳しいのかもしれない。


「……分かりません。ですが、これは私が発端となっていること。ここは、私が責任を取らなければなりません」


 それでもセレスティアさんは譲らない。既に彼女の瞳からは迷いのようなものは消えていた。そして彼女は、あおいに対してこう言った。


「分かりましたアオイ、私はあなたの提案を飲みます。あなたと戦って、あなたを、倒します……。そうしたら、ハルカを連れて行かないと、約束してくれますか?」


 強い意志を感じさせる表情。それに対し、あおいが応えた。


「ふん、あおいの言葉に二言はないわ。かかってきなさい。あんたなんて、あおいがボコボコにしてやるから」


 あおいがニヤリと笑った。


『なんだか、おかしなことになったようね。まあ、アオイの考えたことだから、あたしは文句を言うつもりはないけれど』


 レイさんがそう呟く。すると次の瞬間、彼女の影に隠れていた私の意識が、スッと表に押し出される様な、そんな感覚に襲われたのだった。

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